VOL69 10月号


NZで活躍する日本人

時代を飾るキウィ




Career up in NZ : 専門職に就いてキャリアアップ中

<ホスピタリティ業界 『歌舞伎』スーパーバイザー/ ミーク 万梨さん | メイン

General Manager & Executive Chef/徳山 真人さん

『Cuisine Restaurant of the Year 2007』にsotoが選ばれ、
ようやく土俵に上がれました。今からが本当の勝負だと思っています。

 3年前のオープン以来、NZの日本料理界に新風を吹き込み続けるsoto。今や、国内外の有名人たちが必ず足を運ぶ日本食レストランと言えばsotoというほどに。そして今年、ニュージーランドを代表する料理雑誌『Cuisine』のCuisine Restaurant of the Year 2007のエスニック部門で最優秀賞をsotoが手にしたことで、名実共に不動の地位を築き上げた。今回は、そんなsotoのGeneral Manager & Executive Chefとしてsotoの立ち上げから活躍する徳山真人さんにインタビューをお願いした。彼の素顔や生き方は、輝く自分を発見したい人にヒントを必ず与えるだろう。

Makoto Tokuyama
徳山 真人

1977年生まれ。佐賀県出身。実家は曹洞宗の禅寺。熊本学園大学卒業。学生時代に、アルバイトで飲食業界に入る。その後も飲食業界で働き、2000年NZにワーホリで渡航。帰国後、寺で半年修行した後、イギリスで1年間過ごす。NZおよび世界のトップレベルのレストランで働く。2003年NZに再び戻り、2004年から日本レストランsotoのGeneral Manager & Executive Chefとして活躍。今年8月、Cuisine Restaurant of the Year 2007のエスニック部門でsotoが最優秀賞を受賞し、NZのトップ・レストランに。仕事観は「早朝から買い付けに行って、仕込みをバシッとして、常に最高の料理をお客様に出したい、という気持ちです」と語る熱血料理人。カウンターに座っているとみんなが友達になる九州の呑み屋の雰囲気が好き。


酒と料理の学生時代
 ニュージーランドを代表する料理雑誌『Cuisine』のCuisine Restaurant of the Year 2007のエスニック部門で最優秀賞にsotoレストランが選ばれたことは、正直嬉しいですよ。でも、俺の中ではようやく土俵に乗れたんだと思っているんです。ある雑誌では、天才シェフと描写されたんですが、俺が本当に天才だったら、毎日、早朝から深夜まで働いていないですし。『なんで、こんな事もできないんだ』って自分に腹が立つこともよくあるんです。  飲食業界に入ったのは、大学生の時。商売に興味があって、商科大学に通っていた頃です。まず焼肉屋でホールをやって、それから深夜のラーメン屋でも働きだして、そこでキッチンにはじめて入って。毎日、チャーハンを100皿くらい作るのにフライパンを振り続けていましたよ。呑み友達から紹介されたガーリック料理レストランでも働くことになって、3軒掛け持ちで働いていましたね。酒が好きで、当時、少しでも空いている時間があったら呑み歩いていて。月30万のバイト代も、全部呑み代と食べ代に消えてましたね。 大学は一番初めの授業を受けた時に、間違えた所に来たと思って以来、殆ど行かなくなっていたので、ガーリック料理レストランのマスターに「どうせ大学に行っていないのだったら、ここで働けよ」って誘われたんですが、その時はこの業界に入ることを決心できずにいて。飲食か服飾かどっちの道に進むか決めれずにいたんです。ただ、『この世界はシブいな。シェフとして働くのも悪くないな』って思わせてくれたのは、彼だったんですね。そして二十歳前に将来を考えるために一人でヨーロッパとアジアを旅したんです。

包丁と共に人生の旅へ
『包丁が握りたい』。日本に戻って来た時に無性にそう思って。呑み友達に紹介されたイタ飯屋で働き始めたんですね。前に客としてその店に行った時に、プレーンなペペロンチーネとトマトソースだけのピザを食べて、旨くて感動した店で。『給料は要らないから、包丁を握らせてください』ってオーナーに頼んだんです。でも給料もくれて、食事も食べさせてくれて。その後、このイタ飯屋から独立した人の店でもバイトして。大学卒業後に、そっちの店に就職して1年間働きました。日本では本格的に料理の勉強もしたことがなくて、就職した経験はその時だけなんですね。  その頃、まだ落ち着く気になれず、もうちょっと海外をぶらぶらしたいなと思っていて、ワーホリでニュージーランドに来ることにしたんです。生活費が安くて、波乗りができるのが気に入って。7年前のことです。ニュージーランドに来てから、紹介して貰ったレストランのオーナーと出会った日に飲んだくれて、その翌週からそこで仕事をすることになって、ほぼ一年間お世話になりましたね。その後、ロンドンにいる従姉妹が飲食店経営をしようとしていたので、イギリスに飛んで。調査がてら日本料理店で働いていたんですが、たまたま日本食レストランUBON by Nobuでもバイトすることになって。Nobuはその当時から、世界のNobuでしたね。その後、ワークで働く話も貰ったんですが、考えた末、日本に一旦帰ることにしました。

自分が一番輝ける瞬間
 ニュージーランドで以前いっしょに働いていた仲間が、新しいレストランを立ち上げるので、それを手伝うために4年前にこの国に戻って来たんです。その後、他のレストランの立ち上げも行って、それからsotoレストランの立ち上げに加わったんですね。ここのコンセプトは、『ニュースタイル・ジャパニーズレストラン』。長年、自分で書き溜めてきた資料を見せながら、キウイ・オーナーのマークに自分がやりたいことを話して、彼と一緒に具体的にアイデアを固めていって。それで誕生したのが、今のsotoのスタイルなんです。これまで日本料理屋で仕事をしてきてないので、俺が日本料理をうたうのは失礼だと思うんですね。ただ、俺は日本で育ってきた日本人で、日本を愛して誇りに思っている根っからの日本人なんです。だから他の国の料理を作っても結局は和風だと思うんですよ。そういう俺の母国の『和』をベースにしながら、ニュージーランドを活かして、旬、シンプル、クオリティ、美しさ、驚きや楽しさ、スピードなどを大切にして創作して実現したのがsotoの料理なんです。sotoには伝統がないのですが、その代わり自由があります。そして、常にその時代に応じて進歩していきたいという意味がコンセプトに込められているんです。  役所からレストランの認可が下りてから、レストランのオープンまで3日間。自分がイメージしているものをその間にキッチンのスタッフに伝える訳ですから、本当にハードな3日間でしたね。でも経験者が集まっていたので飲み込みが早くて、彼らには本当に助けられましたよ。そんな風にsotoは3年前にスタートしたんです。オープンしたのは年末だったので客の入りが良かったのですが、年が明けてから一年間は安定しなくて、ちょっと辛い時期でしたね。ただ、マークは常に店の経営に関わって、設備投資や販促費の枠をいつも持っていて。そして広告を打ち続けた効果が、一年が経った頃から少しずつ現われて、色んな雑誌でsotoが取り上げられるようになってきたんです。それに伴ってリピーター客も増えて、それからは波に乗って行きましたね。美味しくないと料理店をやる意味がないので、味は当然ですが、このsotoのスタイルが受けていると思うんです。テイストは、俺が美味しいと思える範囲内でキウイ客を意識して味付けしています。それと柚子や紫蘇(しそ)とか、薬味や香辛料といった『日本の香り』を意識して大事にしています。お客様が付いて来てくれているということは、ローカルの人もその良さが分かるのだと理解しています。ただ、理想を追い求めれば求めるほど、コストや調理時間との戦いが常に付きまとって。味の面では、ありとあらゆる卸業者と交渉して、『理想』に近づけたり。そうしていく中で、自己満足ではなくて、お客様に最高のサービスをするために、妥協点を見極める目が時に必要なことも学びましたね。最終的には、お客様に喜んでいただくのが、俺の喜びだから、そこに情熱を注ぎたいし、自分が動くんだから時間なんて関係ないんですよ。そしてそれが、自分が一番輝ける瞬間なんです。

必然に奇跡が起こせるレストラン
運と『当たり前のことを当たり前にやる』という毎日が、今回の『Cuisine』での受賞に結びついたのでしょう。たとえば、刺身のプレートはアート性もかみ合わせて、『うわー、美味しそう』と絶対にお客様に思わせたいんですね。でも大根と紫蘇のツマが、食べた後の皿にいつも残っているのを見て、キウイにはこれらが食べ物だと認識されていないと思ったんです。それで、これをサラダみたいにすることによって、意識を変えてくれるのではないかと考え、トマトのマリネ、大根と紫蘇のツマ、ほうれん草のおひたし、わかめのおひたしを刺身と一緒に盛って、それらが食べる物だということを徐々に伝えていったり。 今年7月頃、『Cuisine』の審査の関係者から、『あなたのレストランが最終審査に選ばれているので、予約を取って後日伺います』って連絡が入って、sotoが最終審査に入っていることを知りました。ただ、誰がいつ審査のために食べに来るかは、レストラン側は分からないんですね。だから、俺も審査員たちが来たのを後で知ったんです。刺身、天ぷら、タタキなどを食べて行って。サービス、料理、ワインリスト、雰囲気、知識が審査されるんですが、その日は特に店が混んでいて、彼らに満足行くサービスができてなかったことを悔やみましたよ。後日、審査の評価を電話でもらった時も酷評で。落選したと思い込んで落胆していたら、受賞していたんです。そら、本当に嬉しかったですよ。  俺が行き着きたい所は、『必然に奇跡が起こせるレストラン』。お客様がこういう物が食べたいと思う時に、そのワンランク上の料理が出せて、こういう飲み物が飲みたいと思った瞬間にウエイトレスが来て、『こういう物はいかがですか?』と言ってくれるとか。そういう要素が常にあれば、それはもう感動でしょうし、奇跡だと思うんです。でも、それをやるには確固たる知識が必要だと思うんですね。俺はまだまだ食材にしても遊んで冒険している段階で、食材がキラキラって輝く瞬間が何となく分かり始めたのも最近で。ほんとうに土俵にようやく上がった所なんです。ただ、「常に『死』を意識しろ」ってUBON by Nobuの当時のヘッドシェフに言われたこの言葉が、自分の人生の指標かな。どうせ一度の人生、やっぱりカッコ良く生きたいじゃないですか。

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