Vol.127 時代を飾るキーパーソン -ニュージーランドで合気道


合気道を広めるためにニュージーランドにやって来たのが1969年。以後43年間ずっとこの地で合気道を指導してきた高瀬信夫さん。方向転換や受け身の体さばきから生まれる技の数々を、2人1組になって繰り返し稽古を重ねることによって、自身の心身を鍛えることが合気道の目的だという。ほんの数人から始まった彼の道場は、今やNZ各地に22箇所、現役メンバーが800人を超える規模に成長した。

ニュージーランドで合気道【Profile】
高瀬信夫 たかせ のぶお   合気道 神流館 師範 七段位。1947年2月6日生。兵庫県姫路出身。地元の高校を卒業後、三重県伊勢にある皇學館大學入学。それと同時に合気道を始めた。1969年にニュージーランドへ渡航。ニュージーランド人の夫人とオークランド市内に暮らす。3人の成人の子供のうち2人は日本在住。

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1969年に高瀬さんが活動開始したニュージーランド合気会は、1986年に現在の呼称合気道神流館となった。
1969年に高瀬さんが活動開始したニュージーランド合気会は、1986年に現在の呼称合気道神流館となった。
年に2回、昇級昇段審査を行なう。
年に2回、昇級昇段審査を行なう。
ニュージーランドで合気道
昇級の免状は、高瀬師範が1枚1枚、署名する
昇級の免状は、高瀬師範が1枚1枚、署名する。
合気道は最低、週二回は稽古に通うことが必要。
合気道は最低、週二回は稽古に通うことが必要。
ニュージーランドで合気道
ニュージーランドで合気道
ニュージーランドで合気道
ニュージーランドで合気道

ギブアップしないと決めた

私は戦後のベビーブームの盛りに生まれました。中学、高校と吹奏楽をやっていて、音楽の方向に進むことも考えましたが、高校のときに出会った先生に皇學館大學の出身者がいて、その先生の勧めで皇學館大學に進みました。専攻は国文学。そして入学とほぼ同時に合気道を始めることになりました。新入生の部活勧誘に遭ったという、ほんの出来心でした。それでも合気道部に入部したとき、自分自身、卒業するまでの4年間はギブアップせず必ずこれを続けよう、と心に決めました。だから、楽しいとか何とか考えることなく、ただがむしゃらに稽古に励みました。まさかこれが生涯の糧になるなどとは思いもよりませんでした。東大など多くの大学で学生紛争が起こっていた時代のこと。でも私たちはそんな学生たちとは対極で、学ランに高下駄姿で肩で風を切って歩くようなバンカラでした。さて、大学在学中に合気道を通してある空手道場の師範と懇意になり、休みの度に東京の彼の所へ行って武道の修業をしましたが、そこでニュージーランドから研修に来ていた空手と柔道の師範、Jack Simsに出会いました。Jackの強力な勧めもあり、卒業したらニュージーランドに行って合気道を広めよう、と決めたのは大学3年のとき。そして1年後、合気道の総本部、日本合気会から認可を受け、合気会ニュージーランド支部を名乗ってこの国で合気道を広める大役を担い、オークランドにやってきたのです。初めての海外渡航は今は無くなってしまったPan Am航空で。まず、羽田空港からどこだったか忘れてしまいましたが東南アジアの都市に飛んで、そこで1泊しました。それからパプア ニューギニアに飛び、そこからシドニーへ。シドニーで航空会社が替わって、オークランドへ飛んだ、という大変な長旅だったのを覚えています。今でこそ、ジェット機でひとっ飛び、その日のうちに簡単に着いてしまう日本-ニュージーランド間ですが、当時は客船兼貨物船というのが主な交通手段でしたから、それでも飛行機の旅は早いほうでした。


2年の予定が永住になった。

とりあえず、2年というつもりで来たニュージーランド。最初の6ヶ月ほどはJack の空手道場を間借りして、合気道の指導を小ぢんまりと始めました。幸いなことに合気道は、めずらしさ、好奇心も手伝ってか、地元の人たちに受け入れられ、少しづつこの国に浸透していきました。その時の私の英語は全くのブロークン。単語の羅列しか出来なかった。でも何とかなりましたね、不思議と。当時オークランドにいる日本人は本当に少なくて、商社の駐在員か、ニュージーランド人と結婚している女性か、片手で数えられるほど。ましてや、私のように若い男性などは極めてまれな存在でした。英語の語学学校などもありませんでした。ニュージーランドに来てまもなくニュージーランド人の現在の家内と出会いました。そしてそれが私の人生の大きな分かれ目となりました。帰国するはずだった2年後には、すでに彼女と一緒になるつもりでいましたし、せっかく芽が出たニュージーランドの合気道を継承者のないまま放り出せないという責任感が、私をこの国に留まらさせたのです。結局、最初にこの国に来てから9年間も一度も帰国しませんでした。そんなに長いこと母国を離れていると、ものすごい欲望、というのとはちょっと違うんですけれども、とてもとても食べたい日本の食べ物、とかを夢見ましたね(笑)。今でこそニュージーランド市場にも出ていますが、当時、日本の梨をとても恋しく思ったことを覚えています。


継続することが大切

Queen's Streetはあんまり変わっていないですよ。昔は、緑色の路面電車が走っていて風情がありましたけれど、それを除けばビルの街並みなど、そんなに今も昔と違いは無いです。もちろん新しいビルは別ですけど。変わったのは街の風景ではなくここに住む人びとです。現在のニュージーランドには、実に多種多様の人種が住んでいる。私の道場に来る弟子の中にも、いろいろな人がいます。宗教上、ベールをかぶったまま稽古している中近東の女性や、絶対に手を床に着かないキリスト教の信者など、そんな人との触れ合いは常に新鮮で興味深いものです。合気道はずっと継続することがとても大切ですが、先日、私の所で42年間ずっと稽古しているニュージーランド人、Bill Wicksteadの90歳の誕生日を道場中で祝いました。さすがに現在は彼は激しい稽古には参加しませんが、それでも道着を着て道場にやってきます。合気道は彼の生活のかけがいのない1部、生活基盤になっているのです。


相手を尊重し自身の練成を図る

合気道には他人と優劣を競う試合がありません。合気道の稽古は 2人で一組になり、お互いの習熟度にあわせて技を繰り返します。あらかじめ投げ役、受け役が決まっていて、左右同じ技を、同じ回数づつ行います。組む相手を尊重し、自身の心身の練成を図る。だから、年齢、性別、職業、国籍に関係なく、誰でも稽古できます。初級者の中には合気道の動き、技をストレッチ エクササイズ、健康法として楽しむ人も多いです。私はワーキングホリデーや留学生としてニュージーランドに来ている皆さんに、ぜひ合気道の道場に来て欲しいと思います。地元のユニークな人たちと深く知り合え、学べる場ですよ。私の役目は、樹木の根のようにベース、要であることだと思っています。いまや私の弟子が各地で、弟子を取って合気道を広めている。そのまた弟子が新入者を教えている。枝がどんどん広がり、どんなにたくさんの葉が茂っても、芯がしっかりしてさえいれば揺るがないでしょう。私は、合気道の持つ良さ、柔らかさ、暖かさ、そして強さを、稽古する人が自ずと習得できるように導く案内人です。この先もずっと継続して、もっと多くの人に生活基盤としての合気道を広めていくつもりです。
nobuo takase
Bill Wicksteadさんの90歳の誕生日を道場中でみんなでお祝い

nobuo takase
ニュージーランド全国に22支部、約800名の会員がいる

カテゴリ:他スポーツ
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