Vol.154 Dr Andrew Barrie - The University of Auckland


世界の全地域に日本の文化を発信する日本で唯一の専門機関である国際交流基金の海外巡回展の建築展のひとつ、"3.11 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか"(How Did Architects Respond Immediately after 3/11 - The Great East Japan Earthquake)が10月17日(金)から11月21日(金)まで約一か月間、オークランド大学建築学部学生センターにて開催される。
この建築展がオークランド大学で開催されるにあたり、強力にサポートするのがオークランド大学、建築・都市計画学部のAndrew Barrie教授だ。Barrie教授は上智大学、東京大学ならびに大学院で建築を学び、日本でも著名な建築事務所で働くなど、日本の建築界と太いパイプを持っている。日本の建築を学んだニュージーランド人として、日本とニュージーランドの建築を通した深い関係について語っていただいた。。

St Pierre's【Profile】
Professor of Design in the School of Architecture, The University of Auckland
1968年パーマストン・ノースとウェリントンの中間、レベンを中心都市とするホロフェヌア地区の小さな街ワイオペフ生まれ。オークランド大学建築学部卒業後、日本で建築を学び、建築事務所に勤務。ニュージーランド帰国後2009年よりオークランド大学建築学部へ招かれ、教授に就任。2女の父。仕事と子育てで忙しく、趣味も持てないが充実しているとのこと。

The University of Auckland
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未来都市のような東京

北島の南部Levinの近くの街Waiopehuで生まれ、高校までそこで育ちました。図面を書くのが好きでしたので自然と建築図面を書き始めました。オークランド大学では建築と会計を勉強しました。会計は両親が会計士だったので、身近に感じていたのだと思います。どちらにも興味がありました。右脳と左脳を別々に使うとよく言いますが、理論に基づいて進める会計に対して、アイデアを出して組み立てて行く建築というように互いに喧嘩し合わない、どちらかの頭を使っているうちは片方が休み、またその逆を使っている時は片側が休むという感じでうまく補い合っていました。どちらかと言うと大学に入りたての頃は建築があまり好きではありませんでした。しかし、結局会計では卒業資格は取らず、建築で卒業しました。と言うのは最終学年の時にグループで出展したイタリアのベニスで開かれた世界で最大の建築展で部門賞を獲得したからです。ヨーロッパやアメリカなど、世界中のいろいろな国から出展者がいたのですが、その中から選ばれたのです。その後は建築の道に進むことに決め、大学院に進みました。海外の建築展に出展したり、いろいろなプロジェクトに参加したりしていました。1995年に上智大学で一学期間だけの奨学金を得る機会に恵まれました。どうして日本だったのかというと、あまりはっきり覚えていないのです。とにかく奨学金を得て海外で勉強できるところはないかと探していた時、友人が「日本はいいよと」教えてくれたからだと思います。初めて東京に着いた時、未来都市に来たのではないかと思いました。上智大学には建築学部はないので、経済学部でビジネス全般を勉強しました。ですが、東京のいたるところにあるビルを見学するのに時間を費やしました。これが建築への理解を深めることになりましたし、大学院での研究テーマに大きな影響を与えました。

さらに日本へ

大学院で修士を取った後、文部省の奨学金で研究生として東京大学で建築を学びました。その後phD(博士号)を取るため在学を延ばしました。コンペに参加したり、建築展に出展したり、海外の建築誌に寄稿したりと2001年から2009年までいろいろなことをやりました。特に思い出深いのは安藤忠雄名誉教授と出会えたことです。安藤教授は月に一度くらいしか大学に顔を出さないのですが、授業は満席になります。「元ボクサーだから、変なことをしたら殴られるよ」とクラスメイトからビビらされたこともあります。とにかくタフでエネルギーのある人でした。建築界のロックスターと言われる彼のために翻訳や通訳で協力できたことはいい思い出になっています。また、東大在学中に建築家の伊東豊雄さんがニュージーランドで行う展覧会や講演会を手伝いました。これが縁で博士号を取得後、伊藤豊雄建築設計事務所に就職しました。主に海外のプロジェクトを担当しました。とにかくものすごく忙しく、毎日ハードワークでした。将来に向けてのトレーニングだと思い、3年間頑張りました。

東京での経験を活かす

伊藤豊男建築事務所を辞してニュージーランドに戻りました。東京で学んだことはニュージーランドで活かせると確信していたのです。Pip Cheshireというニュージーランドでも名高い建築事務所で働きながら、2009年からパートタイムでオークランド大学の日本現代建築の授業を受け持ちました。ニュージーランドの建築は日本の建築と比べると、インターネットが普及する前と後ほどの違いがあると思います。ニュージーランドには建築界に大きな影響を与えるような有名建築家がいないことや建築デザインへの速さや厳しさ、野心など競争がないこと、さらに建築を学ぶための本や雑誌、ガイド、写真集などの資源が少ないのがその理由です。ですが、その反面、スペースを広く使って森、庭、池、緑、風などを活かした自由な発想ができます。ニュージーランドは海外建築の影響をどんどん取り入れてニュージーランドらしさを出して行けばいいと思います。2013年にオークランド大学建築学部教授に就任しました。私の役割は日本での経験を活かして、大学と建築という仕事を橋渡しすることです。大学で勉強するだけではなく、ホリデーに建築事務所で働いて、そこで得られた経験やコネクションはその後のキャリアに大きな意味を持ちます。さらに、海外の有名建築家を招いて学生たちにそのエッセンスを吸収してもらい、ニュージーランド独自の建築文化を育てることも私の役目のひとつです。

2.11と3.11

今年の8月に『Cardboard Cathedral Shigeru Ban』という本がオークランド大学出版局から発売になりました。2011年2月11日のクライストチャーチ大地震後にボール紙で建てられたCardboard Cathedralを設計した日本の建築家坂茂氏の完成までのドキュメントを私がまとめたものです。私は坂さんが2009年に国際交流基金の招きでニュージーランドで講演旅行を行った時からお付き合いさせていただいています。Cardboard Cathedralの建設が始まってからすぐに私に連絡が入り、設計とこのプロジェクトを一冊の本にまとめて欲しいと依頼されました。日本から帰って来てから、世界の有名建築家とニュージーランドをどのようにしたら結びつけたらいいのかをずっと考えていました。これがその想いを実現する機会になったのです。オークランド大学出版局と出版の契約がまとまると私は毎月クライストチャーチに飛び、坂さんにインタビューし、建設現場を取材し、原稿を起こしました。今回の建築展"3.11 東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか"も国際交流基金が主催する海外巡回展です。オークランド大学建築学部学生センターで開催されます。大震災後に日本の建築家をはじめ、世界の建築家が何を考え、どんなアクションを起こしたかが展示してあります。これもニュージーランドと世界の建築(家)を結びつけるいい機会だと思います。このところ、建築家の仕事のひとつに復興支援があります。世界のどこかでなにかしら災害が起きています。その時に建築家に何が出来るか? ニュージーランドの建築家が何かアクションを起こすきっかけになれば幸いです。

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