Vol.71 時代を飾るキウイ 総集編1


E Cube は2002年1月に創刊され、今までに68人も のニュージーランドの著名人、キーパーソン、オピニオン リーダーなど、日本人以外でニュージーランドで活躍され ている方々にご登場いただきました。 2003年年末には創刊号から登場したいただいた22人 の方々を総集編として紹介いたしました。 そして、2007年の今月号と来月号は2004年から先 月までにご登場いただいた方46人を総集編として、2回 に分けてご紹介いたします。メディア、スポーツ、料理、 ビジネス、音楽、芸術、教育、映画、ファッションなど様々なジャンルからご登場下さった方々は、中には職種が変 わったり、ニュージーランドを離れてしまったり、休養を 取っていたりする人もいますが、今でも輝いている人達ば かりです。 この総集編はインタビューに登場して下さった方々のイン タビューの中からキーワードを選び出しています。それは 読者のみなさんに「あんなキウイがいたなと」記憶に留め ていただきたいと思っているからです。 今後も「時代を飾るキウイ」にご期待下さい。 (肩書きなどはインタビュー時のものです。)

Maggie Barry マギー・バリー テレビ番組プレゼンター2004年1月号<Vol.25>
● Maggie Barry マギー・バリーさん
テレビ番組プレゼンター
ニュージーランド・ガーデンの定義は「ない」というより「まだ、ない」と言っておきましょう。

ウエリントン生まれ、育ち。ジャーナリズムを専攻し、ラジオ番組のアナウンサーとして仕事を始めるが、そのかたわらクライストチャーチのリンカーン大学で園芸学の学位を取得。一時は造園業を営んだが、テレビの世界でニュース、時事番組を担当し、1991年より「マギーズ・ガーデン・ショー」の放映を開始。 2003年11月 28日で放送を終了。12年間の放送でニュージーランドのガーデニングの地位を内外に確立した。現在ウエリントン在住。一児の母。

今はニュージーランド・ガーデンとは何かという定義を確立中だと思います。インドアライフ、アウトドアライフを庭に持ってくる考え方あたりから、ニュージーランド・ガーデンのアイデンティティが生まれてくるのではないかと思っています。ニュージーランドは過去に自分達のアイデンティティを探す時に海外を参考にして来ました。しかし、もうその必要はないと思います。アート、ファッション、デザイン、音楽などニュージーランドがこのところ手掛けて来たものはニュージーランド人の愛国心やプライドで溢れています。ガーデニングについても同じです。ですから、ニュージーランド・ガーデンの定義は「まだ、ない」と言っておきます。

John Mayhew ジョン・メイヒュー  元オールブラックス・ドクター、 NZ・ラグビー協会・メディカル・アドバイザー2004年2月号<Vol.26>
● John Mayhew ジョン・メイヒューさん
元オールブラックス・ドクター、 NZ・ラグビー協会・メディカル・アドバイザー
NZの医師として世界で最もプレステージの高いスポーツチームに関われた誇りがあります。

1955年イングランド生まれ。4歳の時ニュージーランドに移住。オークランドのノースショアで育ち、ロスミニカレッジを経て、オークランド大学医学部卒業。
自らもノースハーバー地区のノースコート・ラグビークラブでプレー。1988 年以来オールブラックスの医師を務め、数々のオールブラックスの歴史的勝利や敗退を目の当たりにする。2003年のワールドカップをもって退くことを決める。3人の息子もラグビープレーヤー。

オールブラックスは世界で最も観客を集められるラグビーチームです。テストマッチになれば、スタジアムは満杯になり、オーラが立ちこめます。オーストラリアのワラビーズとのテストマッチになれば10万人近くの人が観戦します。私も応急処置のできるバッグを持ちフィールドに立つと、緊張感が走り、鳥肌が立つほどです。もし自分がプレーしたら、プレーできたら、とテストマッチの度に思います。しかし、ニュージーランドの医師として世界で最もプレステージの高いスポーツチームに関われた誇りがあります。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年3月号<Vol.27>
● Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルドさん
3ニュース プレゼンター
普段観ているニュース番組から他のニュース番組に代えることは生活習慣を代えるのと同じくらい大変なことなのです。

ドイツに祖先を持つオーストラリア人の父と南島ウエストコースト生まれのマオリの母の間にオークランドで生まれる。大学在学中に専攻したのはイギリス文学とインドネシア語。ラジオ局、新聞社で時事問題を担当し、テレビジョン・ニュージーランドで時事番組のディレクターとプレゼンターを経てTV3へ。今年で「3ニュース」のプレゼンターは8年目を迎えた。9歳の息子と、3歳の娘の母。

私達は「ONE・ニュース」の視聴者にチャンネルを「3ニュース」に代えさせる番組作りをして来ましたが、最もエネルギーを費やして来たのは、若い頃から「3ニュース」のファンを作っていくことです。それは、子供達が親の視聴習慣に関係なく、自分達でニュース番組を選べる時代になって来たからです。子供達の部屋にはテレビが備え付けられるようになって来ましたし、たとえ家を出てフラッティングをするにしても、自分で判断してニュース番組を選べるようになって来たからなのです。ですから「3ニュース」は、知ってもらうこと、長く続けること、政治から芸術や社会風俗など、できるだけ広範囲なニュースを取り上げることを地道に重ねて来ました。

Peta Mathias ペタ・マセイアス シェフ、料理ライター、TVプレゼンター2004年4月号<Vol.28>
● Peta Mathias ペタ・マセイアスさん
シェフ、料理ライター、TVプレゼンター
私は脂が大好きです

オークランド生まれ、育ち。オークランドのセントマリーズ・カレッジを卒業。看護婦、カウンセラーを経て、カナダ、イギリス、フランスでなど海外で16年間過ごし、1990年にニュージーランドに帰国。1996年からチャンネルワンで「Taste New Zealand」の放送が始まり、今年で9年目。最新の著作「Noodle Pillow」を出版し、ベトナム料理、旅行記を紹介している

ニュージーランド料理の一例は、オークランドで言えば、近海で獲れた鯛をグリルし、マッシュポテトをその下に敷き、グリーンサラダを添えて、醤油ベースのソースで食べる環太平洋料理を指します。また、南島クライストチャーチでは、また違ったものを指します。ラムをローストし(中はピンク色で)、湯がいた青梗菜と焼いたトマトを添え、東南アジアの甘辛ソースで食べる昔のニュージーランド料理に各国のエッセンスを加えた料理を指します。このニュージーランド料理は海外で成功している例も多いのです。ロンドンではキウイ・フュージョン料理と呼ばれ、私はロンドンの友達に「ニュージーランドではこんなおいしい料理を食べているのよ」と言うと、みんなが驚きます。

John Mayhew ジョン・メイヒュー  元オールブラックス・ドクター、 NZ・ラグビー協会・メディカル・アドバイザー2004年5月号<Vol.29>
● Marc EllisJohn Mayhew マーク・エリスさん
チャーリーズ・トレーディング・カンパニー マーケティング・ディレクター、TVプレゼンター
ブランド名「チャーリーズ」は私自身を現しています。

1971 年10月ウェリントン生まれ。オタゴ大学卒業。専攻はマーケティング。21歳の時オールブラックスに選ばれ、キャップ(代表試合出場数)は8。95年のラグビーワールドカップでは対日本戦で6トライを記録。それは現在も世界記録。その後、ラグビーリーグに移籍し、キウイズでのキャップは5。96年からテレビ番組「Sports Cafe」、97年から「Game of Two Halves」を始め、98年にCharlies Trading Company Ltdを設立し、ラグビーとタレントとビジネスを併行させていたが、2000年にラグビー界から引退。現在はタレントとビジネスで活躍中。

私は23歳の時にオタゴ大学を卒業してマーケティングの学位を取っていました。29歳の時ラグビーから引退した時には、マーケティングの世界で生きて行こうと決めていました。選手時代の最後の2年間はビジネスとの兼業でした。私のようにラグビーの引退後に何をやろうか、何をやれるかがはっきりしている場合はラッキーだと思います。20代前半でオールブラックスに選ばれ、何の勉強もしないまま、何の資格も取らないまま30代になってしまっている選手もたくさんいます。オールブラックスに選ばれる事は、名誉な事でお金も入ってきますが、ラグビーに費やす時間がとても長くなり、勉強や資格取得に費やす時間は取れません。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年6月号<Vol.30>
● Suzanne Paul スザンヌ・ポールさん
ラワカ・マオリ・ヴィレッジ代表
これでやっと、オークランドでマオリショーが観られるようになります。

英国の工業地帯の街ウォルバーハンプトン出身。1991年、商品の実演販売の仕事でオーストラリアに出張の傍らニュージーランドに立ち寄り、定住を決意。ニュージーランドでも一貫して物販にこだわる。テレビでの通販コマーシャルを駆使して、マッサージ枕や化粧品「Natural Glow」などで大ヒットを飛ばし、90年代のサクセスストーリーとうたわれる。会社を売却後、新事業「Rawaka Maori Village」を起し、観光業にチャレンジを始めた。

このままではますます世界中の旅行者がマオリ文化に触れることなく、ニュージーランドを後にすることが増えることでしょう。そんな単純な理由から、オークランドでマオリショーをやろうと思ったわけです。オークランドでマオリショーが定着するようになれば、他の地域も刺激されて、マオリ文化を発信する機会が増えると思います。私は世界のあらゆる都市を訪ねた時には、必ずその国の伝統的なショーや食べ物に触れるようにしています。ニュージーランドには300〜400年前から存在するマオリ文化があり、ハンギ料理があるのですから、それらを最大の都市オークランドで楽しめなかったことがおかしいと思います。(現在、ラワカ・マオリ・ビレッジは営業をしていません)

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年7月号<Vol.31>
● Goodshirt グッドシャツ
バンド
レコーディングはプロのスタジオではなく、自前でフラットの裏にあるガレージで行います。

1999年ロドニーとマレーのフィッシャー兄弟とアートスクールで出会ったガレス・トーマス、マイク・ビーレの4人がオークランドで結成。2001年のデビューアルバム「Good」は7ヶ月もの間トップ40チャートにランクインし、プラチナアルバムに輝く。シングル「sophie」は8週連続No.1を獲得し、NZ MUSIC AWARDS 2003のシングルオブザイヤー、ベストソングライティング、ベストPVを受賞。2004年2月にリリースされたセカンドアルバム「Fiji Baby」がある。「Good」は今年4月、日本でTRIDENTSTYLE(トライデントスタイル)から発売され、5月に初来日し、日本デビューを果たす。

去年はインディーズバンドの世界的祭典といわれるアメリカのテキサスで開催されるSXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)に招待されました。ここには世界中の音楽メディアが集まります。過去には「Norah Jones」、「The Darkness」などがデビューするきっかけとなった祭典です。「Goodshirt」もSXSWに参加したことで、海外デビューのきっかけになったことは確かです。今までにデビューしたのは、オーストラリア、カナダ、日本です。今年もSXSWに招待されましたが、今年は参加できませんでした。なぜかというと、日本デビューと日にちが重なってしまったからです。4月にファーストアルバムの「Good」が発売になり、5月末に初めて日本に行きました。東京でライブとCDショップイベントをこなし、名古屋、福岡でラジオ出演、そして、多くの雑誌から取材を受けました。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年8月号<Vol.32>
● Steve Weidmann スティーブ・ウェイドマンさん
スカイ・ジャンプ代表
スカイ・ジャンプを見上げている人たちを見かける度にやりがいのある仕事だと実感します。

1959 年オークランド南部のワイウク生まれ。両親はスイスからの移民。ガスパイプラインなどを敷設するエンジニアとして25年のキャリアを持つ。エンジニアの職業と並行して北島中央部にあるワイトモ鍾乳洞のアドベンチャー・ビジネスにも進出し、エンジニアの経験を生かして、アドベンチャーマシンを開発。スカイ・ジャンプで使用しているマシンもワイトモ鍾乳洞をケーブルで降りて行く「ロスト・ワールド」の試作機を改良したもの。「スカイ・ジャンプ」は195ドル、学生割引だと145ドルになる。

ハーネスを付けて釣り下げる方法だと身体への負担がずっと少ないため、スカイ・ジャンプを多くの年齢の人に受け入れてもらえます。「Hard in the mind, Gentle on the body」(心にはハードだが、身体には優しい)と言い、飛んでいるようだと形容する人もいます。最高齢は男性で86歳、女性で78歳。共にアメリカ人です。最も多く飛ぶのは英国人、次いでアメリカ人、オーストラリア人、ニュージーランド人の順番です。まだ日本人はニュージーランド人に比べても3分の1以下です。トム・クルーズも映画「ザ・ラスト・サムライ」の撮影の合間に飛んで行きました。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年9月号<Vol.33>
● Hinewehi Mohi ヒネウェヒ・モヒさん
シンガーソングライター、TVプロデューサー
マオリ語とマオリ文化を音楽で表現する情熱

北島ホークスベイ生まれ。ワイカト大学でマオリ学を専攻。卒業後、オークランドでラジオ・ニュージーランド、テレビジョン・ニュージーランドなどでマオリ語番組のディレクター、プロデューサーとして活躍。1999年に世界に初めて紹介されたマオリ音楽のアルバムとして「オセアニア」をリリース。2004年3月にオープンしたラウカタウリ・ミュージック・セラピーセンターの設立に大きく関わる。オークランド、シビック・シアターで8月21日を初日とする舞台「Whale Rider on Stage」では、自作の曲が多く使われ、自らもステージで唄う。

私はマオリとして、音楽を通して自らを発見したいと考えています。自分で作った曲を唄って音楽と関わる事により、マオリ語とマオリ文化をテレビ、ラジオなどあらゆるメディアを使って世界中に発信し、世界中の人にマオリへの関心を持ってもらいたいのです。それが私のアイデンティティだと思っています。そのハイライトが1999年のラグビーワールドカップでのオールブラックスの最初の試合で唄った、マオリ語でのニュージーランド国歌です。今ではオールブラックスの試合にはマオリ語と英語の両方の国歌が唄われるようになりましたが、マオリ語の国歌をラグビーの試合で全世界に紹介したのはこれが最初だと思います。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年10月号<Vol.34>
● Geoff Scott ジェフ・スコットさん
エグゼクティブ・シェフ、ホワイト・レストラン ヒルトン・オークランド
ニュージーランドらしい素材の発見。手近にある素材でも違った試みを施す。この二つが私の哲学。

1967 年オークランド生まれ。AIT(現AUT=Auckland University of Technology)を卒業後、シェフの道へ。21歳でシェフ・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。フランス、イタリア、スペイン、ロンドンなどヨーロッパで修行後、帰国。いくつかの高級ホテルのレストランでヘッドシェフを経験し、34歳でヒルトンホテルの「ホワイト」のヘッドシェフに就任。TVNZの朝の番組「Good Morning」で誰でも簡単に出来る料理コーナーを担当して2年。オークランド・シンフォニー・オーケストラでトランペットも担当する。9月に第一子の父親になったばかり。

レストランはまず、味です。おいしくなければ意味がありません。おいしい物を食べた時の衝撃とその時の記憶を作るのがレストランです。私の哲学はニュージーランドらしさのある素材を見つけ、その素材を完璧に料理することと素材と味付けのコンビネーションを重視することです。そして、それらの素材をその味わいが最高に出るように完璧に料理します。また、手に入れやすい素材でも切り方、味付け、火の通し方、他の素材との組み合わせなどで、今まで味わったことのない料理になります。(Geoff Scottさんは現在Whiteを離れ、Vinnies Restaurantのオーナーです - 166 Jervois Road - Herne Bay - Ph: 376 5597)

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年11月号<Vol.35>
● Bryan Williams ブライアン・ウィリアムスさん
元オールブラックス ポンソンビー・ラグビーフットボール・クラブ ラグビー統括責任者
パシフィック・アイランダーズが世界のラグビーの主役になる日もそう遠くないかもしれません。

西サモアとラロトンガの両親のもと、1950年オークランド生まれる。19歳でオールブラックスに選ばれ、38キャップ(代表試合出場数)を持つ。現在でも歴代の偉大なプレーヤーとして常に名を連ねる。ポンソンビークラブ、オークランドB代表、A代表、西サモア、ハリケーンズなどのコーチ、監督を歴任。ラグビーへの貢献が認められ、1983年にエリザベス女王からMBE(Member of the British Empire)が贈られる。職業は弁護士。二人の息子長男ゲビン、次男ポールともにラグビー選手。

私のほとんどの時間はポンソンビー・ラグビー・クラブで費やされています。クラブのラグビーに関わる全ての面を管理するのが仕事です。試合の日程管理、コーチのセレクション、用具の手配、選手やコーチへの助言、毎週の試合結果のまとめなどが主な仕事です。さらに、母校のマウント・アルバート・グラマースクールで9、10歳の子供達にジュニア・ラグビー・アカデミーを週2回開いています。ラグビーの歴史、ルール、技術、心構えなどを教えています。ニュージーランドではラグビーをやる子供が年々減少し、サッカーやバスケットをやる子供が増えています。しかし、私は将来子供達がラグビーに戻って来ると信じています。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2004年12月号<Vol.36>
● Marie Simberg-Hoglund マリー・シンベルグ・ホグランドさん
ガラスアーティスト、デザイナー、ガラス彫刻士、ペインター
ニュージーランドで極めるガラスアートの最先端

スウェーデンのゴーセンブルグ出身。もともとは布地のデザインをするテキスタイル・デザイナー。夫のガラス職人、オラ・ホグランドと二人三脚でアートガラス器を作り続けるうえに、総勢30人のスタッフを統括する、マーケティングの総責任者。現在ギャラリーはニュージーランド国内にはオークランド、ネルソン、ウェリントンに、オーストラリアではシドニー、メルボルンに、その他デュバイとシンガポールに計7軒オープンしている。

私の担当するのはスウェーデンで学んだ技術にニュージーランドの自然の美と素朴さから受けたインスピレーション、例えば、暖かい色、微妙な光、流れるような景観や森の持つ緑の輝きに代表される地球の秘めた力をブレンドする事です。スウェーデンの伝統とニュージーランドの直感。このコントラストが我々の持ち味だと思っています。私達の目標はガラス工芸の最先端を行く事です。未来に継承される技術を確立する事、ガラス工芸を評価する基準になる作品を生み出すこと、新しいアイデアを追求する事を念頭においています。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年1月号<Vol.37>

● Peter Leitch QSM ピーター・レイチさん
肉屋チェーン マッド・ブッチャー創業者
ワーキングクラスのヒーロー

1944年ウエリントン生まれ。15歳で学校をドロップアウトし、様々な職に従事したあと、オークランドで肉屋を開業。以来、マッドブッチャーチェーンとしてニュージーランドに29軒のフランチャイズショップがある。ラグビーリーグのボーダフォン・ウォリアーズの熱狂的サポーターである事はあまりにも有名。サインを求められると「Best of Luck, Your Mate, The Mad Butcher」を付け加える事を忘れない。妻ジャニスとの間に二人の娘がいる。三人の孫のおじいちゃんでもある。

私は毎試合ウォリアーズをサポートするためにツアーを組んだり、会報や雑誌を作ったり、イベントを企画したりしました。私設応援団長を買って出たようなものでした。その甲斐あってか、2001年にウォリアーズの親善大使の役職をもらい、さらに背番号19を自分の番号としてプレゼントされました。私以外に背番号19を着る事が出来ない、永久番号ですので、非常に名誉な事です。また、地域貢献がビジネスに役立っているかと良く聞かれますが、それは分かりません。そう考える事には興味がないと言っておきましょう。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年2月号<Vol.38>

● Andrew Eade アンドリュー・イェードさん
オークランド・クリケット協会 チーフ・エクゼクティブ
日本でもクリケットはプレーされています。

1961年ニュージーランド人の両親のもと、インドに生まれる。オークランド大学でスポーツ法を学ぶ。オークランドのサバーブス・クリケット・クラブ勤務の傍ら、コーチも兼任。その後、ICC(インターナショナル・クリケット・カウンシル)で東南アジア・太平洋地域、全世界の普及・強化委員を経て、2003年に現職に就任。スポーツ法を学んでも、いま注目を浴びる職業、スポーツエージェントにはなるつもりは無い。

クリケットのやりがいは二つあると思います。一つは歴史と伝統を感じる事が出来る事でしょう。服装を正しくする、プレーでは不正をしないなど、クリケットを行う上でのエチケットとマナーを守らなければならないからです。フェアプレイと社交を重んじる紳士、淑女のスポーツなのです。その上、テストマッチになると試合の最中に40分のランチタイムや20分のティータイムがあり、英国の伝統を肌で感じる事が出来ます。二つ目は試合終了直前には非常にエキサイティングになる事でしょう。野球で言えば、1点差で負けていて、9回の裏2アウト満塁という目を離せない時間がやって来るのです。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年3月号<Vol.39>

● Lauraine Jacobs ロレイン・ジェイコブスさん
雑誌『Cuisine』 フードエディター
料理のレシピがあるから雑誌『Cuisine』は売れるのです

オークランド生まれ。マウント・イーデンにある教育大学卒業。インターミディエイト・スクールの教員を経て、料理の世界へ。1990年『Cuisine』のレストラン批評から始め、現在では最も影響力のある編集者兼食評論家に。最も好きなレストランはオークランドの「フレンチ・カフェ」。家でディナーを作る主婦、母親の役割も毎日こなす。食べる事が仕事のため、週2~3回はトレーナーを付けてジムで汗を流す。

今までにそんな「いい時間」を過ごせる店をたくさん紹介しているのですが、私が掲載する店を選ぶ基準は、まず料理です。おいしい料理と言う点ではニュージーランドはここ4~5年の間に著しい進歩を遂げました。その理由は質のいいワインが作られるようになった事が大きいでしょう。ワインと料理は切り離して考える事は出来ないのです。いいワインがあるところには、必ずいい料理が存在するのです。さらに、海外で経験を積んだシェフがニュージーランドに戻って来て腕を披露する機会が増えたことでしょう。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年4月号<Vol.40>

● Lou Thompson ロウ・トンプソンさん
スポーツ・マネジャー、GSMワールド代表
誰もが「私はエージェントだ」と言える時代は終わりました。

1969年クライストチャーチ生まれ。リンカーン大学商学部でマーケティングを専攻。自らのラグビーは大学クラブで活躍し、セミプロとしてスペインのクラブで一年間プレーした事もある。クライアントにはクリケットや陸上の選手もほんの少しいるが、ほとんどがラグビー選手。大きな契約を決めるスポーツエージェントにしては世界的に見ても若すぎる事が目下の悩み。

ニュージーランドから最も多くの選手を受け入れているのが英国です。次いで日本です。今年英国は約30人、日本は17人の予定です。以前はライフスタイルを重視する場合はフランスへ、金額では英国と相場が決まっていました。日本は文化も違い、法律も全く別の解釈で、トラブルが絶えないため、強い偏見もありました。しかし、今では日本は最もいい契約内容を結べる国となりました。日本で子供を産み、育て、生活を楽しんでいるニュージーランド選手も多くなっています。それはニュージーランド選手を受け入れる日本の企業のクラブがどのように外国人選手を受け入れて、言葉や文化の違いをどのようにその家族に説明するかにかかっています。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年5月号<Vol.41>

● Geoff Thomas ジェフ・トーマスさん
フィッシング・スペシャリスト
今までの全経験の集大成がフィッシング・ビジネスに結実しています。

1947年オークランド、パクランガ生まれ。オークランド大学でジャーナリズムを専攻。今までに経験した新聞記者、ガイド、旅行会社経営、テレビ・ビデオ制作会社経営などの職業はすべてがフィッシングがテーマ。現在はインターネットも含む全メディアでフィッシング・スペシャリストとして活躍中。今でも時間があれば、家族で海に出て、フィッシングを楽しむ。

私がこれらのメディアでフィッシングを語り、演じ、書く事が出来るのはいつも他の人から学んだ新しい知識が増えて行くからなのです。フィッシングはそれまでに知っている知識や経験だけでは決して十分ではなく、その釣り場で長い間伝えられて来た知識や経験が必ず存在します。ですから、海外への取材の際には必ず、地元のフィッシャーマンを同行して一緒に釣りをします。世界中のあらゆる場所に住む地元のフィッシャーマンから学ぶ事は本当にたくさんあるのです。優れたフィッシャーマンとは地元の知識に敬意を払い、必ず地元のフィッシャーマンから学ぶ姿勢を持っているものです。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年6月号<Vol.42>

● Leila MacDonald レイラ・マクドナルドさん
不動産エージェント
トップセールスになるための_特別な秘密などありません。

レバノン生まれ。1960年にニュージーランドに移住。カフェ、アンティークショップの経営を経て、24年前に不動産業界に入る。過去に販売した家は数限りないにも関わらず、1965年築の現在住むオークランドのEPSOM地区の家から移る事は考えた事がない。その理由はガーデニング雑誌でも取り上げられるほど丹誠込めた庭。5人の孫もいる。

口コミで私に仕事を依頼する電話は今は海外からも受けるようになりました。海外に住んでいるオーナーが家を売って欲しいと言うケースも増えています。私はそれに応えるべく、買い主の満足する物件を用意し、売り主の満足いく金額を提示できるプロでなければいけません。トップセールスマンに必要な特別の秘密はないと言いましたが、あえて言うなら、当たり前の事を当たり前にする道徳観と一言で言っていいでしょう。それはお客さんのために真剣に働く事となって現れます。それらは誰でも出来る事なのです。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年7月号<Vol.43>

● Bernice Mene バーニス・メネさん
スポーツアドバイザー
スポーツ選手への学業、仕事、家族のアドバイスに教育現場の経験は欠かせません。

西サモアの両親の元にクライストチャーチで生まれる。史上最年少でネットボールの代表チーム、シルバーファーンズに選ばれ、2002年の引退までに3シーズンでキャプテンを務める。2003年に結婚した元ブラックキャップス(ニュージーランドクリケット代表)のディオン・ナッシュとのおしどり夫婦で有名。ちなみに身長は189センチ。

ニュージーランドのネットボール選手は皆、仕事や学業と両立させているセミプロなのです。引退した現在は主にスポーツ奨学生に対してスポーツと学業、仕事、家族などとの時間の割き方やエネルギーの注ぎ方、お金の使い方ヘのアドバイスを行っています。トップレベルのスポーツに関わる若い人たちが悩みがちな周囲の期待ヘのプレッシャー、スポーツの取り組み方への不安などを払拭するための理解力と判断力を養うのに、私の過去のスポーツと教育現場で得た経験が役立つと思っています。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年8月号<Vol.44>

● Eduard Ebbinge エデュアルド・エビンジさん
スノープラネット社長
ライバルは雪山ではなく、街のエンターテイメント施設です。

1969 年オランダ生まれ。ニュージーランド人と結婚し、ニュージーランドに来て、オランダのイン・ドア・スキー場の成功例から、ニュージーランドでも流行るのではないかと思ったのがオープンのきっかけ。ニュージーランドに来るきっかけとなった奥さんは子供の世話が忙しく、経営には一切タッチしていない。

忙しいのはニュージーランドの冬、6・7・8月と目論んでいます。本当の雪山に行く前の準備として、また、シーズン中の練習として使ってくれる人が多いと思います。したがって、ライバルは雪山ではなく、映画館、水族館のケリータールトン、カジノがあるスカイシティのようなオークランドのエンターテイメント施設になると思っています。真剣なスキーヤーやスノーボーダーだけではなく、「ちょっと一時間だけボードをやりに行こうか?」「仕事帰りにジム感覚で」「スキー場を見ながら食事を」といった感覚で、ビジネスマン、ビジネスウーマン、家族やカップルにも利用してもらえる施設にして行きたいのです。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年9月号<Vol.45>

● Hayley Westenra ヘイリー・ウィステンラさん
歌手
あれから3年。E-CUBEのアイドルが、世界のスターになって戻ってきた。

1987年4月クライストチャーチ生まれ。 18歳。6歳の時、ヴァイオリンのレッスンを始め、その後ピアノ、リコーダー、ジャズダンスなどを習う。12歳でデモアルバムを作成し、それが話題を呼ぶ。2000年にユニバーサルNZと契約。2001年アルバム「Hayley Westenra」でNZデビュー。4週間連続1位。トリプル・プラチナム獲得。2003年デッカ・レーベルよりアルバム「Pure」で世界デビュー。好きな国は日本とニュージーランド、刺身がfavourite food。

E-CUBE 2002年7月号に初登場。3年後に再び登場して変わった事は、以前より歌を歌う機会が増えたことと、仕事を通して以前より大人になったこと。忙しくなって、移動も多くなって・・・。アルバム『Pure』が成功したので、ニューアルバムでは、マスコミの取り上げ方や対応など、様々な面で以前よりも敬重されています。前アルバム『Pure』とニューアルバム『Odyssey』の違いというと、路線は大きく変わっていないけれど、先ず私の声が随分成長し、声の幅も出てきたし、このアルバムの方が、全体的にもっと強い印象を受けると思います。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年10月号<Vol.46>

● Ben Lummis ベン・ルミスさん
歌手
彗星のごとく現れた敬虔なクリスチャン・シンガー

1978年6月1日生まれ。ウェリントン出身。昨年5月「第1 回NZアイドル」で優勝。ファーストシングル『They Can't Take That Away』はNZヒットチャートで7週間に渡り第1位。ファーストアルバム『One Road』も2週間1位に。NZ ミュージックアワード2004ではHIGHEST SELLING NZ SINGLEの大賞に輝く。敬虔なクリスチャンのベンは、教会では歌は歌わずに聴いているという。プロ歌手として、ボイストレーニングは週に1度。趣味は映画鑑賞。家で過ごすのが好きで、タッチラグビーやラグビーをして休みの日は楽しんでいる。お酒は、誕生日会や結婚式などの特別な日にだけ飲み、普段は飲まない。好きなレストランはポンソンビー通りの「Prego」。

初めて、TV番組『NZアイドル』で歌を歌った時はナーバスになって体が震えました。2回目もまだナーバスで、3週間くらいそういう状態が続いたけど、回を重ねていくうちに自信が付いてきて、リラックスできるようになった。現在は、大勢の前で歌を歌っても、全く緊張しなくなった。人前で歌うことはとても楽しいし、大好きです。特にNZアイドルで優勝した時、両親とも会場に2人とも来ていて、母親は嬉しくて泣いてしまって、おやじは会場の客席で立ち上がって両手をVの字に上げているのがテレビで放映されています。

Carol Hirschfeld キャロル・ハーシフェルド  3ニュース プレゼンター2005年11月号<Vol.47>

● Cathy Campbell キャシー・キャンベルさん
ANZFW コミュニケーションズ・ダイレクター
NZファッションを世界へANZFWはパーティだけではなく、ビジネスなのです。

ウェリントン生まれ。TVNZのニュースキャスターからピーアールへ転身、2002年よりANZFWのメディアを取り仕切る。その人脈の広さ、キャラクター、仕事の完璧さには定評がある。趣味はテニス、ボクシングなど。14歳の息子とご主人と共にオークランドに暮らす。
(編集部注:Cathyさんは2012年2月にご逝去されました。)

ファッションウィークの大きな目的は、NZファッションの認知度を世界的に高めることです。始めた当時、大きな難関はローカルメディアにNZFWが単なるお祭り騒ぎだけではなく、ビジネスであるということを理解してもらうことでした。海外のメディアやバイヤー、キーパーソンを通して、インターナショナルな評判を上げることがいかに大切かを理解してもらうことだったのです。私が仕切るメディア・センターの仕事は、世界の全てのメディアが仕事をし易い環境を整えることです。とかくわがままな海外のファッションプレスもNZFWのオーガナイズを高く評価してくれています。

各種法律や移民局の規定等は改定されている場合があります。詳しくはお問い合わせください。

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