Vol. 188 特集

特集2:地図に載っていないマオリの村 僕はパリハカに「里帰り」する


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 地名を入れれば、インターネットですぐに場所を調べられる時代。ニュージーランドの北島に、検索しても地図に表示されない村があります。タラナキ山の麓にある「パリハカ(Parihaka)村」。かつて入植者の侵略によって土地を追われたマオリの人々が非暴力で抗議を続けた場所です。ワーキングホリデーでニュージーランドを訪れたのをきっかけに、この村と交流を始めた朏昌汰さん。「日本とパリハカの間に橋を掛けたい」と話す朏さんがこのほど日本から同行者を募り、パリハカ村を再び訪問しました。

朏 昌汰(みかづき・しょうた)さん

 京都府出身。2016年2月からワーキングホリデーでニュージーランドに滞在。2017年2月23日にタラナキ山の山頂で、150人分の夢を書いたハンカチをつなげて輪にし、願いを届けるため空に掲げる「サムライ・ドリーム・フェスティバル」を開催したことをきっかけにパリハカ村とつながりを持つ。村の重鎮・マアタさんのことを家族のように慕っている。

 8月11日。ニュージーランド国内と日本から集まった10人の日本人が、1台のバンでパリハカ村へ向かいました。朏さんが「里帰り」と称する2泊3日の滞在は、団体のツアー旅行ではなく、朏さんら主催者とパリハカ村の人が案を出し合って計画した、日本とマオリの人々との交流の旅です。
 朏さんがパリハカ村と交流を始めたきっかけは、今年2月23日の「富士山の日」に合わせ、富士山と形のよく似たタラナキ山で行ったイベント。日本で10年以上続く「富士夢祭り」のニュージーランド版として行った「サムライ・ドリーム・フェスティバル」を開催するにあたり、朏さんは知人からパリハカ村を紹介されます。「グーグルマップで『パリハカ』と調べたけど出てこなくて。でも、タラナキ山に繋がっている人たちにイベントのことを知ってほしいと思い、直接訪ねることにしました」

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 動機となったのは、ウェリントンで知り合ったマオリの男性・ジョセフさんから教わったマオリの伝統的な自己紹介の仕方。「自分の名前を言った後に、生まれた場所の名前、そこにある山の名前、川の名前を言って、祖父の名前を言う」。これを聞いた朏さんは「タラナキ山を自分のアイデンティティーにしている人たちがいるはず」と考えます。
 2月上旬、友人と2人でニュープリマスから南へ海沿いの道をひたすら走ると「パリハカロード」に行き着き、そこからさらに進むと「パリハカ」の看板が現れました。「見つけた時はめちゃめちゃテンション上がりましたね。本当にあったって」

 タラナキ山の麓にあるパリハカ村は、19世紀後半にヨーロッパからの入植者によって侵略され、そこに住むマオリは偽りの約束や暴力によって土地を追われました。理不尽な扱いを受けたパリハカの人々は、後に拘束されるトフ・カカヒ、テ・フィティ・オ・ロンゴマイの2人のリーダーを中心とし、「Parihaka Settlement」を設立。非暴力の信念を掲げ、侵略の問題を話し合うため、毎月18日と19日にパリハカへ足を運びました。
 長い年月をかけた交渉により、ニュージーランド政府が過去の迫害の事実を認め、侵略によって破壊された財産などへの償いとして900万ドルを支払うことを約束。和解に向かって歩みを進め、今年6月9日に行われた式典の中で政府がパリハカ村の人々に謝罪しました。

 朏さんはパリハカ村に着くと、さっそく村の人にイベントの話をします。内容を説明すると「これはみんなに知らせる必要がある」と、今も毎月18、19日に行っているミーティングの場で発表するようにと言われます。朏さんはミーティングまでの約2週間村に留まることを決め、村の重鎮であるマアタさんの家の手伝いをしながら過ごしました。
 ミーティングでイベントの話をすると、参加者一同が賛成。「本当は一緒に登れたらよかったけど、パリハカの人たちにとって、山は神聖な場所。山に登るということは神様の頭に登るのと同じだからできないけど、応援していると言ってくれました」

 無事にイベントを終え、報告のために訪れた朏さんをマアタさんは温かく出迎え、次のように話します。「パリハカは歴史的に有名な場所で、世界中のいろんな人たちとイベントを通じて知り合うことがある。でも、昌汰たちとのつながりはこれからも大事にしていきたい」。この言葉に感激した朏さんは、必ずまたパリハカを訪れると約束しました。
 イベントの様子は地元紙「デイリー・タラナキ」の一面でも扱われ、多くの人が朏さんらの活動を知ります。「イベントみたいなものも大事だけど、パリハカの人たちとのつながりが大事だと思うようになった」と話す朏さんは帰国後、再び村を訪れる計画を立て、インターネットで参加者を募集。初めてパリハカを訪れてから半年後の8月に、仲間を連れて訪問しました。

188feature2_03.jpg  滞在中はマアタさんから薬草について教わったり、カゴを作ったり、伝統食のハンギを食べたりとマオリの人々の文化を体験しながら、日本食や日本文化も紹介。最終日に訪れたマオリの小学校では、英語の使用が禁止されている中でコミュニケーションを取りながら、日本で書道を教えている参加者が書道を実演。マオリの人々に馴染み深い「山」「川」「船」の文字を書きました。朏さんもマアタさんの名前を、自分の名前から一文字取り、「真愛汰」と書いて贈りました。
 マアタさんらに改めて「このつながりを大切にしたい」と伝えた朏さん。マアタさんはかつてマオリ語で話すことを禁じられ、40歳までマオリ語が話せなかったといいます。そこから言葉を取り戻し、マオリとしての誇りを持ちながらも、近代的なものの考え方、最新の技術にも目を向けるマアタさんの生き方を尊敬する朏さんは、これからもパリハカへの訪問を定期的に続けていきたいと話します。

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 「僕1人では伝えられることはあまりないけど、パリハカに興味を持ったり、何か知りたいっていう人たちが一緒に行ってそれぞれ得意なことを生かしてくれたらいい。僕が窓口にならなくても各自でパリハカの人たちと交流をしてくれたらいいって思うんです。小さな橋がいっぱい掛かれば、いつかは大きな橋でつながると思うんで。次はまた来年の2月くらいに友達を連れて『里帰り』したいと考えています」(写真中央がマアタさん)

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カテゴリ:特集
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