Vol. 189 特集

2017 JSANZ Tertiary Japanese Language Speech Contest


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 ニュージーランドの大学で日本語を学ぶ学生を対象としたスピーチコンテスト「Tertiary Japanese Language Speech Contest」(JSANZ主催)が今年も開かれ、10月11日にクライストチャーチのカンタベリー大学で表彰式が行われました。1〜3位に輝いた3学生のスピーチ内容と受賞コメントを紹介します。

(写真)カンタベリー大学で行われた表彰式。左から村瀬充在クライストチャーチ領事事務所所長兼領事、第2位のJack Hayesさん、優勝したAmanda Deaconさん、Jonathan Le Cocqカンタベリー大学人文学部長、荻野雅由JSANZ副会長

▼JSANZ : Japanese Studies Aotearoa New Zealand

 日本語名ニュージーランド日本研究学会。ニュージーランドの高等教育機関における日本語教育と日本研究の推進活動を目的に2013年に発足。ニュージーランドの日本語教育や日本研究に関心のある人であれば誰でも入会できる。

▼Tertiary Japanese Language Speech Contest

 日本語を学ぶ学生の学習成果の発表の場として2014年から開催。10人以上の聴衆の前で4分半〜5分間でスピーチをした後質問に答える様子をビデオで撮影し、応募する。2017年大会のテーマは「旅」。7大学から12人がファイナリストとして参加し、第1位の学生には優勝杯とニュージーランド航空から日本行きの往復航空券が贈られた。

第1位「Travel and dreams」

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Amanda Deacon (University of Canterbury)

受賞コメント:
 JSANZのコンテストに参加し、優勝することができ光栄です。結果を聞いた時本当に驚きました。スピーチを書くことも、人の前でスピーチをすることも私にとっては大きな挑戦でした。カンタベリー大学の日本語プログラムの先生たちのおかげで、少しずつ上手になって、自分でも納得のいくスピーチをすることができました。日本を訪問することを楽しみにしています。

 皆さんは将来の夢がありますか。その夢はどうやって見つけましたか。私は長い間夢がなくて、人生の目的もなくて、ずっと迷っていました。でも、ある旅行で出会った二人の子供のおかげで、すべてが変わったのです。
 私の父は国際銀行に勤めていたので、二、三年ごとに違う国への転勤がありました。最初は、香港でした。その後、中東のドバイ、マカオ、また香港、イギリス、シンガポールに転勤し、ついにニュージーランドに来ました。いくつもの異なる国で育った私のような子供は、将来に不安を抱えていることが多いと思います。私は成長するにつれて、この不安が大きくなってきたので、三年前、私は思い切って、ひとりで半年間旅行することにしました。
 英語を教えるためにネパールにあるドゥリケルという町に住みました。ここは、ヒマラヤ山脈がはっきり見えることで有名な町です。生徒たちに、「何になりたいですか」とよく尋ねました。ある女の子は、「故郷の教師になりたい」と静かに答えました。彼女の出身地は先生が一人もいないところで、そこに先生として戻りたいと教えてくれました。困難があっても、この素敵な夢の実現のために努力していました。私も、そんな強い目的を探して、一生をそれに捧げたいと思いました。
 ネパールを出てから、日本を三週間ぐらい旅行しました。伝統とポップカルチャーが混在するこの国を見たかったからです。私が旅行した日本の街の中で、広島が一番きれいな町でした。秋だったので、紅葉がとても美しかったのです。
 ある日、広島平和記念公園を訪問しました。ここでは、広島や1945年に落とされた原爆について学ぶことができます。その時、修学旅行で記念公園に来ていた五、六人の小学生が話しかけてきました。「将来の夢は何ですか。」と聞くと、一人の男の子はしばらくの間考えて、「戦争の被害を受けた人を助けたいと思います」と答えました。私はすごく感動しました。今も彼の夢とその時の表情をよく覚えています。
 旅行を通した出会いがなかったら、私の生活はずいぶん違っていると思います。コミュニケーションや、人との出会い方に興味を持つようになりました。ですから、ニュージーランドに来てから、日本語とコンピューター科学を勉強することにしました。日本語を選んだ理由は、新しい言語を通して新しい人に会えるし、日本は技術で世界を導いているし、この国についてもっと知りたいと思ったからです。コンピューター科学を選んだ理由は、インターネットのような技術が世界中の人との出会いを可能にし、お互いの理解を深めることに興味があるからです。
 お互いの理解を深めれば深めるほど、共感を築いたり、生活の質をよくしたり、争いを減らしたりする機会があります。ネパールの女の子の夢のように、教育へのアクセスをよくすることができて、日本のおとこの夢のように、平和のために働くことができます。
 私の夢は、旅行を通して、さらに素敵な出会いをすることです。でも、旅行することができない人もいます。私の人生の目的は、旅行ができなくても世界の人々がお互いに繋がる手助けをすることです。 そのためにこれからもがんばっていきたいと思います。ご静聴、どうもありがとうございました。

 

第2位「Voluntourism(ボランツーリズム)」

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Jack Hayes (University of Canterbury)

受賞コメント:
 二位を取ったことを聞いたとき、本当にうれしかったです。スピーチを書くことはとても難しかったし、何時間もかかりましたから、受賞できてよかったです。これからも頑張って、日本語を勉強し続けるつもりです。

 ボランツーリズムという言葉を知っていますか。ボランティアとツーリズムの英語の言葉でできていて、意味は旅行する間慈善活動をすることです。多くの人と違って、カンボジア、ベトナム、インドなどの国貧しい人を助けに行きます。
 ボランツーリズムをする人は貧しい国か自然災害があった国に行って、誰かのために自分の時間を使います。自分のためじゃなくて、誰かを助けるため、幸せにするために旅行します。でも、この人たちはほかの人を幸せにする手助けをすることが楽しいのだと思います。わかりにくいかもしれませんが、みんなのために世界をよくしたい人もいるのです。
 高校生の時、私は初めてボランツーリズムを知りました。私の同級生はカンボジアに行きました。カンボジアにいる間、家を建てるのを手伝ったり、水をきれいにしたり、子供と遊んだりしたそうです。私は行きませんでしたが、その話を聞いて、感動しました。外国旅行はお金がたくさんかかりますから、知らない人を助けるためにそこまで行くことが信じられませんでした。その時まで、私は旅行を楽しむために、海でリラクスしたり、おいしいものを食べたり、きれいなホテルに泊まったりすればいいと思っていました。旅行なのに、ボランツーリズムをする人たちはだれかを幸せにするために大変な仕事でもしたいようです。
 でも、ボランツーリズムをする人たちが批判されることも多いそうです。貧しい人を助けるより、自己満足のために慈善をする人がいるからです。でも、私は批判したくありません。家を建てるのを手伝ったり、誰かにお金をあげたりしたら、自己満足のためであっても、その家はまだ残るでしょう。食べ物を買うためにそのお金が使えるでしょう。結果として、誰かの人生がよくなったら、理由は関係ないと思うのです。
 もう一つの批判される理由があります。貧困はどの国にもあるのに、ボランツーリズムをするために、どうしてわざわざほかの国に行かなければいけないのでしょうか。例えば、ニュージーランドはかなりいい国ですが、ホームレスの人も、食べ物のお金がない家庭が増えてきています。もちろん、ニュージーランド人はニュージーランド人を助けるべきです。でも、貧しい国の政府は自分の国民を助けるお金がないのです。ボランツーリズムをする人たちがいなければ、ある国の人が全く助けられないはずです。ニュージーランドにも貧困の問題がありますが、ほかの国の人を無視しないほうがいいと思います。
 でも、ボランツーリズムはカンボジアのような貧しい国に限りません。2011年に、日本の東北にすごく強い地震と津波がありました。日本では、これまで一番大きく、世界でも4番目に大きい地震でした。たくさんの人がなくなって、たくさんの人がけがをして、たくさんの人が今でも行方不明です。自分の家に住めなくなってしまった人がたくさんいます。地震の後で、世界中の人が悲しんで、日本人をかわいそうと思いました。でも、かわいそうと思い以上のことをした人がいました。東北の人を助けたい人が日本に行って、できることもできないこともやってみました。救援隊を手伝ったり、生き残った人を探したり、食べ物を作ったりしてあげました。その人たちがしたことは役に立ったと思います。自分の家でニュースをみて、悲しむことで満足せずに、「何かをやらなければいけない!」と思いました。その気持ちは本当に大事だと思います。
 この世界は大変です。食べ物がない人がたくさんいるし、災害のせいで苦しんでいる人もいます。でも、ボランツーリズムをする人のように、みんなが協力すればするほど、人の人生がよくなると思います。聞いてくださって、ありがとうございました。

 
第3位「自分を発見した旅」

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Corey Crocker (University of Auckland)

受賞コメント:
 3位に入賞できたと聞いた時、とても嬉しくなりました。高校時代から日本語を勉強していますが、話すことはいつも僕の弱点でした。今回のスピーチコンテスト入賞は僕が様々なハードルを越えて成長したことを示してくれていると思います。これまで、日本語の勉強の旅で僕を支えてくださった方々にも非常に感謝しています。日本語に対する新たな熱意と自信を持って、未来に向かって、もっともっと日本語が上手になるように頑張ります!

 旅行の「りょ」、という漢字には元々「旗を持って行進する兵士たち」という意味があったそうです。今、「旅」という言葉から戦争や流血を想像する人はいないでしょう。やはり旅行と言えば、魅力的な文化、美しい景色、おいしい食べ物などが思い浮かびます。
 去年、僕は自分にチャレンジしようと思って、一年間日本に留学しました。高校の時からずっと日本語を勉強していますが、もっと日本語能力を伸ばして日本文化を経験する機会がほしかったからです。その一年間に、自分が住んでいた京都だけではなく、鹿児島から北海道まで、さまざまな所を訪ねることができました。
 中でも、北海道では自分を再発見するすごい出会いがありました。去年の2月、友人からの招待をきっかけに北海道を旅行した時、「白老」という町にも行きました。白老は、多数のアイヌ人が住んでいて、「ポロトコタン」というアイヌ民族博物館があることで有名です。
 僕は「ポロトコタン」に入ったとたん、初めてホームシックを感じました。手の込んだ彫刻は、祖父の作品のようです。写真に写った入れ墨の女性は、祖母の友達にそっくりです。博物館の中にいると、まるで自分がマラエの中にいるような気分になりました。マラエというのは、先祖の保護のもとに部族が集まって、会議や儀式を行う場所です。懐かしい!帰りたい!マオリ文化を想起させられるアイヌの文化に触れて、僕の中のマオリの血が目覚めたと思います。そして不意にマラエに行きたくなったのです。
 僕の祖母は半分マオリ人で、半分中国人です。だから、僕は八分の一マオリ人です。祖母はワイカト地方で育ちましたが、「白人と結婚したい」と言った時、家族が大反対したので、祖父と結婚するために、僕の生まれた「ギズボーン」まで逃げました。そんな訳で、僕は祖母の部族のマラエに行ったことがありません。実は、その時まで、自分の中のマオリを意識しなかったし、どちらかというと軽視していたかもしれません。でも、「ポロトコタン」で、マラエはマオリ文化の中で重要な役割があるだけではなくて、僕の中でも大切な文化だということを強く感じました。だから、今学期の試験が終わったら、祖母のマラエに行ってみるつもりです。
 不思議なことに、遠く離れた北海道まで旅行して、初めて僕は自分の文化との繋がりをより密接に感じるようになりました。この旅行はアイヌ文化を体験させてくれただけではなく、アイヌ文化を通して自分の中にいたのに今まで気づかなかった自分に会わせてくれたすばらしい機会でした。

カテゴリ:特集
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