Vol. 191 特集

福島県浪江町とわたし


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 2011年2月にカンタベリー地方を襲った大地震。当時高校生だったAmy Vivian-Nealさんは、妹と一緒に帰宅するためバスの中だったといいます。それから数週間後、日本では東日本大震災により多くの尊い命が失われました。その様子は遠く離れたニュージーランドでも報道され、衝撃を受けたそう。カンタベリー地震を経験し、現在は福島県の浪江町でALT(Assistant Lanuguage Teacher)として活躍中のAmyさんに、お話を伺いました。

日本で暮らす家族に会うために

 祖母が沖縄県の中城出身で、ずっと日本には興味がありました。いつか祖母方の家族と会いたいと思っていたんです。歴史的に沖縄県が他の都道府県とはまた少し異なった独自の文化を持っていることは知っていましたが、現在は同じ日本語が使用されていることから、私自身も高校生のときに勉強を始めました。
 JET Programmeを通してALTとして日本を訪れ、2017年11月にようやく祖母の姉妹とその家族と顔を合わせるという一つの目標を達成することができました。そのときに東北大震災の話をして、今私がそこで働いていることを伝えるととても心配してくれたのを覚えています。

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ALTとして浪江町に配属される

191feature3_02.jpg 日本の学生に英語を教えるため、福島県の浪江町を訪れたのは2016年8月のことです。震災発生から5年という月日が流れていた当時でも、浪江町で暮らす人々はどこか不安そうにしている印象を受けました。
 実は配属先が浪江町に決定したとき、それが震災の被害に遭った地域だということを全く知らなかったんです。数週間後に初めて聞いて、まず私がしたことはGoogle Imageを使って画像を調べるということでした。これは間違っていたと今では思います。何故なら、出てくる写真はほとんど震災後のものだったからです。
 怖くなり、逃げ出したくなったというのが正直な感想です。でも数日時間を置いて考え直し、福島県で生きる人たちのこと、そして現状がどうなっているのか知りたいと強く思うようになりました。

歩き続けるということ

191feature3_05.jpg 2011年3月11日に発生した東日本大震災は、浪江町で生きる人たちの生活をがらりと変えてしまったと思います。でもそれだけじゃない。地域としてのつながりが前にも増して強くなったり、彼らのアイデンティティーをより確かなものにしたりと、前向きな変化もあったはずなんです。
 浪江町は一歩ずつ前進しています。新しい学校ができました。授業にもiPadやWiFi、3Dプリンターといったテクノロジーを導入し始めました。2017年、7年ぶりに十日市祭が開催されました。こうしていろいろなことが少しずつ、確かに良い方向に変わってきています。
 今教えている生徒たちには、震災の経験を他の人たちと共有する勇気を持って欲しいと思っています。私自身、カンタベリー地震のことを口にできるようになるまではかなりの時間が必要でした。でも彼らには自分がどこで生まれ、育ち、生きていくのか。それを誇りに思って欲しいと願っています。自分のアイデンティティーを大切に、浪江町の伝統や文化を受け継いでいってほしいです。

「福島の"いま"を伝えていきたい」

191feature3_03.jpg 私がALTとして日本に行きたいと思った理由は単純に「現地で働いて日本語の能力を伸ばしたい」ということでした。でも実際に滞在してみると考えが変わりました。浪江町には大堀相馬焼や十日市祭、地域で栽培されている梨など、若い世代に残していくべきたくさんの魅力があります。
 震災後の福島県に対して、あまり良いイメージを持っていない人も中にはいるでしょう。私はそういった人々の考えを変えていきたい。将来的には作家や写真家としての活動に興味があるので、自分なりのやり方や表現で福島県の人たちの暮らしや震災後の影響、どのような未来を生きていくのかということ、そして「本来の福島の姿」を発信していきたいんです。

今月の特集その1 あの日から7年 記憶とともに未来へ - ニュージーランドで地震が起きたらどうする? 「Drop, Cover and Hold」

今月の特集その2 ―今を生きる― 未来をつなぐアートの形

今月の特集その4 被災地応援プロジェクト

カテゴリ:特集
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