Vol. 194 Career Interview

現代美術家 Summer Shimizuさん

自分に今必要なのは何か 常に考えながらの海外生活 吸い寄せられるようにこの地にやって来て 今ではアートが全てです


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Summer Shimizu(サマー・シミズ)さん

 石川県出身。幼い頃から異文化に興味があり、1997年に海外進出を決心。ニュージーランドへ渡航し、語学学校および大学留学の経験を経て就労ビザ、その後永住権を取得。現在はオークランド大学のElam School of Fine Artsに在籍し、現代美術作品の制作や個展、グループ展に取り組む傍ら、広告写真アシスタントも行っている。

人生は常に選択の連続 人生の逆算

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 今でこそニュージーランドで暮らしていますが、「絶対この国に行きたい!」と意気込んでいたわけではなくて、幼い頃から、日本の古い習慣やプロトコール、日本社会の矛盾や成り立ちに対して賛同できないことがよくありました。その当時の日本は今よりさらに右向け右の精神が強く根付いていましたから、とにかく古風な社会から脱出したかったというのが海外移住を決意したきっかけです。

 そこからは今に至るまでは逆算の人生。日本にいたくないから海外に住みたい、海外に滞在するために必要なのはビザ、ビザを取得するために必要なのは何なのか、ということを18歳の時に考えました。本当はイタリアとフランスに興味があったんですけど、将来国際人として活躍するために第二外国語を習得するのであればスペイン語か英語のどちらかだと思って、2つあった選択肢のうち、基礎を学んだ英語の方が馴染みやすいだろうということで英語圏に渡航することにしました。
 当時海外留学といえばアメリカが主な渡航先だったんですけど、悪いニュースも耳に入ってきていて、自分の中では治安があまり良くないというイメージだったので止めました。それで今度はイギリスに目を向けたはいいものの、天気が良くなさそうだということと為替の換算レートが今の3倍ほどとものすごく高かったんです。
 最終的に名前が挙がったのはオーストラリアで、気候も温かくて過ごしやすいということ、日本人が多いということで、結局消去法で行き先を決めました。

引き付けられるようにニュージーランドへ

 渡航する国が決まったところで、学校を決めるために資料やパンフレットなどを集め始め、地元金沢市で開催されていた留学イベントに参加して、オーストラリアのブリスベンを本拠地とする学校に行くことにしました。これで海外留学が実現できると心の中でガッツポーズを浮かべていた折、「あなたの入学するキャンパスは、ニュージーランドのパーマストンノースにあります」という連絡が届いて。
 ブリスベンにある校舎で提供しているのは観光学のみとのことで、それ以外の学部はニュージーランドの小さな街で開講されているらしいというんです。それでも日本を出ることを第一優先として考えていたので、即決でパーマストンノースに留学することにしました。
 実は学校からオファーをもらった段階では、家族には一切相談していなかったんです。実家が伝統やしきたりを重んじる古い家系だったということもあって、海外留学など問題外。家族とは2~3カ月にわたる口論が続き、味方をしてくれるだろうと思っていた母と姉にまで反対されました。
 最終的には親戚まで出てきて、「英語もできないのにどうする。海外に住むというのは大変なことだぞ」と説教をされましたが、私の意志は全く変わらず。平行線だった言い争いに終止符を打ったのは祖父、「そこまで海外に行きたいというのなら学費は出してやるけど、大学は必ず卒業しなさい」と言って、支援してくれました。

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方向転換で軌道修正を図る

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 ニュージーランドの国立大学に入学するのに必要な英語力は、IELTSのスコア6.0(オーバーオール)でした。勉強が苦手だったということと、英語習得のために決意した留学ではなかったということで、私の向上心は不十分。他の語学留学生が2回目の受験で必要スコアを取得していくのに対し、私は4回挑戦しても6.0に到達することができなかったんです。それで大学の新学期が始まる直前に、これで駄目なら諦めて日本に帰国するしかないと思いつつ受けた5回目の試験で、ようやく6.0を獲得することができました。
 入学したのはパーマストンノースにあるマッセー(Massey)大学。通い出した頃は興味があったイタリアとフランスに関するヨーロッパ文明学科(European Studies)を専攻していましたが、その1学期目にまた私の逆算が始まります。
 外国人の女性で年齢も若く、実用的ではないヨーロッパ文明学科に所属していても、仕事を見つけるのは難しいだろうという結論に行き着いたんです。私の気持ちはあくまでも「日本に帰りたくない」ということでしたから、方向転換をしなければいけないと思いました。
 それで移民局で永住権を申請するのに有利な職業を探していたところ、「看護師」と「IT」という分野を見つけて。当時偶然選択科目として「情報システム(Information Systems)」を勉強していたということもあり、ITの道に進むことにしたんです。ただ、私はもともと文系の人間ですから、良い成績を収めるというのは二の次で、「単位を落とさない」ということを目標にしました。

新たな出会いで芸術の道に

 何とか課題をこなし卒業間近になってくると、今度は「就労ビザを申請するために就職先を探さなければいけない」と思うようになって、マッセー大学でITサポートのインターンシップの仕事を見つけました。その半年後には大学のITサービスのマネージャーに直接連絡をし、翌週にはオフィスに伺えることになって、そのまま契約社員として就職することになったんです。正直なところ、この時点ですでに就労ビザも永住権も取得できると確信していました。
 実際に就労ビザを申請した時は、マッセー大学がニュージーランド国内で非常に信用されている雇用主だということもあって、こちらが拍子抜けしてしまうほどあっさりとビザが下りたんです。移民局からの追加書類提出の要請や質問なども何一つありませんでした。
 大学時の専攻学部と職務内容を合致させていたため、2年目に就労ビザを更新する際、移民局から永住権を申請するように勧められて、こちらもスムーズに取得。そしていよいよニュージーランドでの生活も11年が経過して居住地を移動することを考え始めた頃、当時のパートナーがウェリントンに移住することになり、私も着いて行くことにしたんです。
 次に就職した現地企業では、ITサポートの仕事を任されることになりました。毎月月末になると部署ごとにパーティーを開いたりするニュージーランドらしい社風を持つ会社だったんですけど、イベントで撮影していた同僚たちの写真が会社の広報用の資料に使われたりするようになって。
 そこから徐々に写真の魅力に気付き、そのうち写真コースがある夜間学校に通うようになりました。仕事と写真に打ち込む生活を続けていると、なおさら本格的な勉強に取り組みたくなったので、仕事を辞めてカピティ・ラウマティビーチにある写真学校に入学することにしたんです。

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より多くの経験と共にさらなる成長を

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 ウェリントンでコマーシャル写真アシスタントを経験していく傍ら、もっとアートという分野に打ち込んでみたくなり、今はオークランド大学の「Elam School of Fine Arts」というアートスクールで作品制作を行いつつ、写真のアシスタントとしてもお手伝いさせていただいています。
 Elam School of Fine Artsは、あえて彫刻学科や写真学科というように仕切りを作らない学部。Elamコミュニティーの中で互いに切磋琢磨しながら、コンテンポラリーアーティスト(現代美術家)として成長できる環境が整っているんです。さまざまな趣向の学生がいて、異なったミディアムを使うアーティストが集まるからこそ、考え方や見方などが大きく広がって行きます。
 写真学校が技術面に重点を置く一方で、アートスクールというのはアイディアやコンセプト重視。私も作り上げたいコンセプトに一番適した手法で表現したいと思っているので、写真だけではなく、彫刻作品やインスタレーションアートも制作しています。作品を通して、自分が何を表現したいのか、何を伝えたいのか、どう表現したら私の概念が作品を体験する人に伝わるのか、ということを常に念頭に置きながら制作に取り組んでいます。
 アートに限らず、留学で何を勉強するかというのは本人次第。情熱があって一生懸命何かに打ち込んでいれば、自然と周りは付いてくるものです。私自身、こうしてまた改めて好きなことを勉強できるというのはとても幸せな環境だと思うので、今後も与えられた時間の中で、できるだけ多くの経験を積み、自己成長を遂げられればいいと考えています。

カテゴリ:Career Interview
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