Vol. 195 特集

デフの世界 ~私の生きる道~


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 ニュージーランドでデフとして初めて永住権を取得した小林香里さんは2006年、NZSLが公用語として認められた歴史的瞬間を見守っていました。日本では長年デザイナーとして一般企業に勤めていたという小林さんに、NZSLについてはもちろんのこと、手話の先進国であるニュージーランド移住を決意したきっかけや永住権取得までの苦労、今後の目標などについてお話を伺いました。

小林香里(こばやし かおり)さん

 デフラグビーの試合を観戦するために初めて訪れたニュージーランドでの生活に憧れ、永住権の申請基準を満たすために通信制の大学に編入して2年で卒業。イギリスのろう学校でのボランティア経験を経てニュージーランドに渡航し、2004年、一般技能部門(現在の技能移民部門)の主申請者として永住権を取得した初のデフに。現在はオークランドにあるろう学校で小学校の教師兼教頭として子どもたちを教えている。

―― ニュージーランドに移住したきっかけは何だったのでしょうか。

 私が初めてニュージーランドに足を踏み入れたのは、1999年のことです。同じデフの夫がニュージーランドで開かれる国内デフラグビー大会を観戦したいと言うので、付き添いとしてやって来ました。
 日本では約10年間、大手企業でデザイナーとして働いていたんですけど、初めてニュージーランドという国を訪れた時に美しい景色や穏やかな国民性に衝撃を受け、ほとんど一目惚れのような形で「いつか はニュージーランドに」と思うようになったんです。日本帰国後すぐに現地で暮らす方法を本格的に調べ始め、永住権というものの存在を知って取得しようと決心しました。
 ここで問題になったのが、当時永住権を申請するには大学卒業資格が必要だったということ。私は短大卒でした。だから働きながら勉強できる通信制の大学に編入し、睡魔や肌荒れと戦いながらもなんとか2年で卒業しました。
 移住に向け最終的には長年勤めた会社も退職し、就職したいと思っていたニュージーランドのろう学校の校長先生に何度も連絡を試みていたんですけど、返事が戻って来ることはありませんでした。
 待ち切れなくなって、とりあえずろう学校でのボランティアの話があったイギリスに行ってみることにしたものの、日本を発つ直前にニュージーランドから返答があったんです。それでイギリスの夏休み1カ月間だけ、ニュージーランドに行くことにしました。

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―― そのままニュージーランドに?

 ニュージーランドで1カ月のボランティアが終わった後は、イギリスに戻りました。ただ、最終目的地はもともとニュージーランドだったので、その1カ月の間に「また戻って来るから、今度はちゃんとした形で雇ってほしい」という自分の意志は校長先生に伝えていたんです。
 一度日本に帰国してしっかりと準備をしてから、改めてニュージーランドに連絡を取ってみましたがまたもや返事は来ず、イギリスの時同様待ち切れなくなって、履歴書とデザイナー時代のポートフォリオを握り締めて、直接交渉するために現地入りしました。
 どきどきしながら校長室のドアを叩くと、振り返るや否や校長先生は「待っていたよ」と笑顔で迎えてく れたんです。「え?待っていたのはこっちだけど...」と思ったのもつかの間、すぐにジョブオファーをもらうことができました。しかしこの時点で長期滞在できるビザは持っていませんでしたので、早急にワークビザの申請手続きから始めることになりました。

―― 急展開ですが、ワークビザはすんなり取得できたのでしょうか。

 これが大変でした。私が日本から持ってきた物といえば、履歴書とポートフォリオぐらい。これだけではさすがに無理があると思って、日本にいる夫に急きょいろいろな書類をファックスで送ってもらったり校長先生に推薦状を書いてもらったりしてから、移民局へ向かったんです。
 それでも十分といえるほどの装備とはいえなくて、何度も移民局に足を運んだ結果、やっとの思いで1年間のワークビザを取得することができました。

―― そこから永住権を?

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 もともと永住権を取得することが最終目標で渡航して来たので、1年目のビザが切れる前に永住権を申請することにしました。
 しかしここでもまた問題発生。永住権申請の際にはIELTS6.5(オーバーオール)以上の英語力を証明しなければならなかったということです。IELTSは「読 む・聞く・話す・書く」の4項目で行われるため、非常に難しいと感じました。
 IELTSの受験を回避する方法として1つ、現地の企業で1年以上の就労経験を積むというものもあったのですが、当時はちょうど移民法の改正が話題に上がっていた時期だったということもあり、とりあえず一刻も早く申請しなければならないと思ったんです。
 そこで移民局で直接自分の状況を説明したところ、私のことを良く知っていて、かつ社会的な地位に就いているニュージーランド人などから英語力とNZSL力を証明できる推薦状を書いてもらうことができれば、可能性はあるかもしれないと教えてもら って。早速イギリスでボランティアをしていたろう学校の校長をはじめ、現地で知り合った大学教授や英語教師、デフ協会の会長など、たくさんの人にお願いをしました。
 いろいろと大変でしたが、結果として、晴れて永住権を取得することができたので一安心。移民法変更後も同じように申請権利が得られるとは限りません から、本当に嬉しく思いました。ここで驚いたのは、一般技能部門(現在の技能移民部門)の主申請者で、 永住権を取得したデフは私が初めてだったということ。それからはずっとこの国で暮らしています。

―― どのようにしてニュージーランド手話を覚えたのでしょうか。

 手話は世界共通ではありません。でも「NZSL(New Zealand Sign Language)」と呼ばれるニュージーランド手話は、歴史を見ていくとイギリスからの移民が持ち込んだということもあって、イギリス手話(BSL)によく似ているんです。
 BSLに関しては、イギリスのろう学校でボランティアをしている際に他の人を観察し、自分自身使っていく中で自然と覚えていきました。その経験があったので、いざニュージーランドにやって来た時には大きな苦労はしませんでした。

―― NZSLが公用語になる前と後で、何か違いを感じることはありますか?

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 普通に生活している上で大きな違いを感じることはあまりありません。公用語になったことにより何が変わったかというと、「法律」です。どういうことかというと、例えばデフが犯罪を犯して裁判所に送られる場合に必ず権利を保障しなければいけない、とか。また、「NZSLウィーク」が毎年5月に開催されるようになり、首相が手話で挨拶をする動画が流れたりして、少しずつ手話という言語が一般に認識されるようになったと思います。
 だけどこれが「教育」の話になったとき、学校で絶対に手話での教育が必要だという風には記されていません。デフの子どもたちが全員ろう学校に通っているわけではないので、普通校に通っている子どもたち含め全員に授業における手話サポートや通訳を付けるような費用も人材も足りないんです。また、デフの子どもが手話を使えないこともあります。
 授業に手話通訳が付けられたとして、子どもがそれを理解できるようになるには時間が掛かるでしょう。公用語になったことで教育の場においてももっと保障されるべきだとは思いますが、実際にはなかなか難しいというのが現状です。

―― 英語のデフという言葉には「Deaf」と「deaf」、2通りの表記がありますが、意味は違うのでしょうか。

 それを話すにはまず何をもってデフと呼ぶのかというところから話さなければなりません。これは少し難しいところがあって、例えば完全に聞こえない場合は、「Deaf」の場合が多いと思うのですが、それなりに聞こえる状態であった場合は、自分がDeafだと思えばDeafだし、deafだと思えばdeafです。あるいは「Hearing Impaired(難聴者)」の場合もあります。
 基本的に、言語とアイデンティティーはリンクします。だから手話を好んで使っている人をデフとすれば分かりやすいかもしれません。大文字Dは自ら進んでデフコミュニティーに所属している、デフカルチャーの一員。小文字dは単に耳が聞こえない、あるいは耳が悪い人たちのことを指しており、そこに文化などの背景は存在しません。
 私たちは「Japanese」であって、「japanese」ではありません。自分をJapaneseと呼ぶとき、必ず日本文化を背負っているということを意識するでしょう。そういう風に考えていただければ良いかと思います。

―― ニュージーランドでろう学校の教師として生活していく中で、取り組んだことなどは?

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 一度、日本の大手企業が取り組んでいる「障がい者基金」のプログラムで、日本からデフの学生がやって来たことがあります。同プログラムの委員を務める人が昔からの知り合いで、ニュージーランドのろう学校で働いている私に相談を持ち掛けてきたんです。
 学校側と話し合った結果プログラムをサポートすることになり、日本の学生たちを1週間ほど受け入れました。子どもたちにはとても良い経験になると感じて学校の中で話し合いを重ね、今後も交流を続けていこうという結果になったんです。
 そして2014年、今度は私たちの方が希望生徒を募り、日本に連れて行くことに。食費や航空券代、滞在費などを含む必要実費の一定金額を支払えて、普段からの生活態度が良好であることというのが、学校側から提示した募集要項で、結果的に集まった生徒は9人。滞在期間中は東京や京都、大阪に兵庫などを訪問し、特にろう学校を見学させてもらったり、現地の学生と交流をしたりすることもありました。

―― 小林さんの今後の目標を教えてください。

 生徒の学力を向上させるのはもちろんのこと、みんなの記憶に残る教師になることです。「ニュージーランド版金八先生」とでもいいましょうか。いつか自分が受け持った生徒から「Kaoriがいたから今の自分がいる」なんて言葉をもらうことができたなら、それこそ教師冥利に尽きますよね。
 また、公用語としてNZSLがもっと世間に認識され、一般の人もそれなりに手話ができるようになって、ろう教育のレベルがさらに上がることを願っています。私はそれを実現する中心メンバーの中にいたいです。
 今後もいろいろな経験をして、年齢を重ねたら誰からも愛されるお茶目な「いじわるばあさん」になって、周りの人をたくさん笑わせるというのも楽しそうだな、なんて思っています。

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カテゴリ:特集
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