Vol. 196 Career Interview

保育士 ダロック和泉さん

やりたいことには挑戦あるのみ 6年かけて資格を取得 夫とビールでも飲みながら 楽しく毎日を生きていきます


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ダロック和泉(いずみ)さん

 北海道出身。日本での仕事を退職し、オーストラリアでの生活やアジア圏での旅行を経て、1999年、ニュージーランドに渡航。その後結婚と出産を経験し、専門的な職に就きたいという思いから幼児教育の資格を取得することを決意。現在はスーパーマーケットで働きながら、幼稚園などの契約保育士(リリーバー)として勤務中。

タイミングが重なり海外渡航を決意

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 日本では看護師として働いていました。多忙な生活を強いられる状況だったため、趣味のサークルなどに所属することはほぼ不可能だったものの、やはり何か仕事以外のことに挑戦したいと思って、英会話学校のプライベートコースを受講することにしたんです。
 それで学校に通っていると徐々に講師たちと仲良くなり、いろいろな話を聞いているうちに海外に興味を持つようになりました。そんな時にちょうど乙武洋匡さんの本を読んでいたということもあって、「自分にしかできない何かがある」という思いが膨らんだというのも海外渡航を決意した理由の一つです。
 同時に私生活では失恋、仕事では急な部署移動。さらに親友が結婚したことで、まるで彼女が遠くへ行ってしまったかのような失望感も重なり、全てのことから逃げるために「今だ!」とオーストラリア行きのチケットを購入しました。
 渡航直後の私はというと、英語力が不足している部分に関しては、身振り手振りと愛嬌、そして度胸で毎日をしのいでいる状態。そんな中、現地で知り合った英語を第二言語としている人たちはとても優しく、彼らにオーストラリアでの生き方を教えてもらったようなものです。
 オーストラリアでは最初にお世話になったホストファミリーが経営していたビジネスのお手伝いをしてスポンサーシップのビザを取得し、時間を見つけてはスキューバダイビングに明け暮れていました。

前進あるのみ ニュージーランド移住

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 ニュージーランドにやって来たのは1999年のこと。もともと来るつもりはなかった国でしたが、オーストラリアで数年間を過ごした後、アジア圏の国々を旅行していて。タイ、そしてバリへと渡っているうちに、いつの間にか「ゆっくりと自然の空気を味わいたい。他人がまとわり付いてこない、人を信用できる空間に行きたい」と考えるようになったんです。それがニュージーランド行きの航空券を購入したきっかけでした。
 実際にオークランドに到着して大きく深呼吸をした時に、人を気にしなくてもいいことの素晴らしさを感じ、涼やかな空気に感謝の気持ちが芽生えたんです。そこから北島から南島へと下りて来て、きれいな自然に魅了されて南のさらに下の方で暮らしてみようと思いました。今はクイーンズタウンから車で2時間ほどなんかした場所にあるテ・アナウという街に、家族で住んでいます。
 もう長い間ニュージーランドで生活をしていますが、周りから見ると、もしかしたら今でも私の英語は怪しい部分があるかもしれません。でも私はもともと日本で看護師として働いていたので、長所といえば度胸が据わっていることと、分からないことは分からないと伝えられること。英語力があると感じたことはあまりありませんが、自分の思いはどうにかして伝えられるようになりました。
 もちろん付き合いが長くなっていくに従って、周りの人たちが私の話し方に慣れてしまったという部分も大きいのでしょうが、海外渡航をしてから今に至るまで、持ち前の根性を活用して生きています。
 それにテ・アナウには日本人が少ないので、友達が欲しかったら自分が頑張るしかないんです。まさに環境がなせる業です。

きっかけは校長先生 幼児教育の道に

 2000年には現地で出会った男性と結婚し、出産も経験。育児を始めてしばらくすると、日本でしていたのと同じように、専門的な知識を身に付けて手に職を付けたいという気持ちが芽生えました。その頃はモーテルの掃除やカフェのバリスタなどの仕事をしていたのですが、「脳みそを使いたい」と思ったんです。
 夫に相談してみると、大賛成してくれて。ただ看護の道に戻るには、テ・アナウではなくさらに2時間ほど南に下りたインバーカーギルという街に住まなくてはならなかったので、状況や環境などを照らし合わせ、考えあぐねていました。
 そんな折、息子が通う保育園でみんなと手巻き寿司を作ったり、習字のようなことをしてみたり、折り紙wおしたりしているうちに、私の存在を知ってくれる人が増えていったんです。するとある時、園長先生から「勉強をしてうちで働かないか?」と声を掛けれて、それをきっかけに幼児教育(Early Childhood Education)のコースを受講することにしました。当時は政府が全ての保育士に対してECEの免許を保持するよう推奨していたんです。
 英語力の問題で授業についていけるか不安だったので、まずは通信で学べるレベル5のナニーコースから始めることにしました。入学基準として一定の英語力は求められたものの、オーストラリアに住んでいたころにケンブリッジ英語検定の初心者レベルに合格していたということもあり、その結果を提示した上で「それ以降ずっと海外で生活していて、市民として問題のない行動ができるレベルです」と交渉。すると思いの外すんなりと入学することができて。
 ナニーコースを修了する頃にはすっかり自信も付いていたので、レベル6、レベル7と、最終的には6年という時間をかけて幼児教育の資格を取得しました。

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先住民族「マオリ」を伝えていく

 私が受講していたコースは主に通信で行われていたため、在学中は、基本的に教材を購入して熟読し、アセスメントシートにのっとって論文を書き上げるということの繰り返しでした。それから3カ月に一度はダニーデンまで赴き、ワークショップに参加。実践についての議論をしたり情報を共有したりして、6年目にもなると結構頼りにもされていました。
 ニュージーランドの幼児教育において、私たち大人はマオリ文化や歴史、言語についての理解を深め、子どもにしっかりと伝えていくという義務があります。先住民族の通ってきた悲しい話にまつわる勉強をするので、興味深くもあり、一面的だと思うこともあり、また、日本文化との類似性を感じることもあり。何にしても、マオリの人たちはそういった歴史を忘れ去ることなく手の中に握り締めていて、強い信念を持っているように思います。
 マオリをはじめ、他の文化を受け入れるということを学びながら、同時に日本の文化や日本人としてのアイデンティティーについて考える良い機会にもなりました。
 在学中の実習は合計4回で、それぞれ1カ月ずつです。実習先は個人の希望に合わせて学校が手配してくれますが、赤ちゃん、2歳児、3~4歳児、4~5歳児のクラスに1回ずつ行くことを勧められます。
 初めのうちは1人の子どもに焦点を置いて、慣れてきたらグループを見る。次にクラス全体を担当し、そしてアクティビティーをリードする、などできることが増えていって、毎回楽しく過ごしていました。ただ、実習先はインバーカーギルだったので、平日は現地に滞在し、週末だけ家に帰るという生活は息子にとって大変なことだったと思います。

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人生を頑張らない 肩肘張らずに生きる

 つい先日、11年間働いていた就学前の子どもたちが通う「Early Childhood Centre」を退職しました。理由は、長年にわたり勤務してきた結果として施設のリーダーのようになってしまって、何のチャレンジもない生活に、自分の見解がどんどんと狭くなっていってしまっているのではないかと感じたこと。一度職を離れて、すっきりしようと考えたんです。
 「もったいない」「あなたらしい」と周囲からはいろいろな反応をもらいましたが、誰が何と言おうと私の人生。チーム構成や人間関係、評価や不満、書類仕事などと向き合わない日々が過ごしたいと思いました。今はスーパーマーケットで働きつつ、チャイルドケアセンターや幼稚園の契約保育士(リリーバー)としてお手伝いをしています。新しいことを新しい環境で学び、何もかもが刺激的な毎日。新鮮に感じることばかりで、とても充実しています。
 私の夫の信念は、「喉が渇いたらビールを飲もう!」です。最初に聞いた時は驚きましたが、18年の月日を経て、一緒にいるうちにいつしか「そうだな」と思うようになりました。人生を頑張らなくてはいけない理由はないな、と。
 より良い人になれるよう模索するよりも、自分の思いに正直に、無理なく自分のペースで生きていくことが今の私の目標です。だから今回も、退職するに当たり、迷いは一切なくて。運命がきっと私をどこかに導いてくれるのだろうと考えているので、夫とビールでも飲みながら、あるがままに生きていこうと思います。

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カテゴリ:Career Interview
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