Vol. 198 Career Interview

感染症内科専門医 青柳有紀さん

感染症の正しい知識を広めたい 海外赴任で踏み出した一歩 素直に医療と向き合えるこの環境で 教育と医療が平等に保障される世界に


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青柳有紀(あおやぎ ゆうき)さん

 千葉県出身。米国の大学院を卒業後、ユネスコからアフリカ大陸のナミビア共和国に赴任したことがきっかけで、感染症科の専門医を目指す。日本帰国後は群馬大学の医学部に編入学し、日米両方の医師国家試験に合格。日本での初期研修医、米国での医学トレーニング、ルワンダ共和国への派遣などを経て、現在はファンガレイ病院に勤務中。

海外留学で修士号 ユネスコに就職

 日本の大学を卒業して、コミュニケーション学の修士号を取得するために単身渡米しました。コース修了後は、ニューヨーク州にある慶応義塾の付属校で教師として働きつつ、国連の求人に応募したところ採用。ユネスコ(UNESCO)という機関に就職することになったんです。
 最初の赴任地はアフリカ大陸にあるナミビア共和国で、HIV予防に関するプロジェクトに従事しました。当時のHIVといえば、有効的な薬もなく、一度感染したら命を落としてしまうような病気です。特にナミビア共和国では、25歳ぐらいの年齢だと約4分の1ほどの人がHIVを患っていました。
 HIV感染に関して、正しく認識している人というのはなかなかいません。中には握手やキスだけでうつると思っている人もいるため、担当したプロジェクトにおいては、正しい病気の知識を広めることを目的として、テレビ関係者やメディア向けのワークショップを開催したりしました。
 当時のナミビア共和国は医学部がなく、自分たちの力だけでは若い医師を育てることができませんでした。HIVに感染した彼らは、そこから7年ほどで亡くなってしまう。そんな現実に衝撃を受けて、「自分もHIVのような感染症を診られる医師になりたい」と思ったんです。
 その後はパリ本部に転勤して1年半ほど勤めたのですが、その当時、すでに学士号を持っている人やその予定者を対象とした編入学制度の学士入学が群馬大学で始まっていて、通常は6年かかる医学部課程も、学士入学だと4年で卒業できるということでした。このチャンスを見逃してはならないと受験したことが、医師を本格的に目指すようになったきっかけです。

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医学部在学中、2つの医師国家試験に合格

 日本で医学部を卒業して、1年ほど研修医として医療に従事した後は、再度アメリカに渡り医学トレーニングを受けました。自分の場合、入学当初から感染症医になるという目的ははっきりしていたこともあって、HIVの患者さんも多く、世界中から集まってきた医師がしのぎを削り、最高の専門教育が受けられるアメリカが最適だと最初から思っていたんです。
 日本の医師免許を持っていても、ニュージーランドはもちろん、イギリスやアメリカ、オーストラリアなど、ほかの国で医師として働くことはできませんが、アメリカの専門医資格があると、より多くの国で活動できる。そのため、医学部に在学している4年の間に、日本とアメリカ、両方の医師国家試験の勉強をして、卒業時点ですでに2つの資格を持っていたんです。
 最終的に、アメリカでは研修医やフェローとして6年ほど働く中で、内科・感染症・予防医学専門資格を取得。そして、最後に勤めていた感染症科がある、ニューハンプシャー州のダートマス大学で教員として採用されました。
 そして、ハーバード大学やコロンビア大学、イエール大学といったアメリカで主要とされる大学と一緒にダートマス大学が行っていた、ルワンダ共和国の若い医師や医学部をサポートするというプロジェクトに参加することに。そこから約2年ほど、現地の医学生や研修医相手に、一般内科と感染症についての教鞭を執りました。

教育と医療 社会が平等に保障すべきもの

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 ニュージーランドに移住したのは、2015年のこと。ルワンダ共和国には家族で赴任していたので、娘の年齢が上がってくるにつれ、子どもにとって理想的な教育が受けられる国はどこなのだろうと思うようになりました。それに加え、自分を受け入れてくれる働きやすい環境ということも考えて、ニュージーランドという答えを導き出したんです。

 何年も過ごしたアメリカを選ばなかったのは、保険に加入していないと治療費が払えず、本来受けられるべき医療が受けられないということが多々ある国だったから。患者さんの経済的な状況で、自分がしてあげられる範囲が変わってきてしまう環境では、働きたくないと感じていました。教育と医療は、誰にでも平等に与えられる人間として当然の権利です。
 対してニュージーランドには公的な医療システムがあって、基本的には無料。さらには専門医の資格を認定する団体が正常に機能しているため、医学教育が充実しているのはもちろんのこと、国内で一定のクオリティーを保つためのトレーニング制度などがしっかりしているんです。
 それでニュージーランドで求人募集を掛けていたファンガレイ病院(Whangarei Hospital)に履歴書を送ったところ、Skype面接をしてもらうことになり、その後すぐに採用が決定しました。今は患者さんの経済的負担など含め、余計なことを考えず素直に医療と向き合える環境で 働けていることに、幸せを感じています。

ニュージーランドで働く優秀な仲間たち

 働き出してみてまず驚いたのは、ER(救急部)を見に行った時のこと。在籍している医師の半数以上がアメリカ人だったんです。最初は「アメリカからファンガレイのような片田舎に来て、わざわざ医師として働くなんて少し変わった人なのではないか」「もしかしたら何か問題があった人なのではないか」と疑ったりしていたのですが、実際に調べてみたら、なんとみんなアメリカの超一流施設で研修を受けた人たちであることが分かりました。いわゆるエリートと呼ばれるような人たちです。
 それなのになぜわざわざニュージーランドに来たのかというと、医療の不平等をはじめ、たくさんの問題が積み重なる自国の未来に危機を覚えたからだそうで、彼らの中にはニュージーランドの国籍まで取得してしまった人も少なくありません。多様な経 験をしてきたからこそ、ニュージーランドを「未来のある国」として判断したのでしょう。自分のような考えを持つ人は多くないだろうと思っていましたから、とても意外でした。
 また、日本だと医師や看護師などの医療従事者は激務というイメージがありますが、ニュージーランドはワーク・ライフ・バランスに優れた国です。例えば、医師には年に6週間の長期休暇があるだけでなく、教育のための機会も保障されていて、学会に出席する10日間の休みが与えられたり、学会の旅費や教科書代などに充てられる一定額の補助も毎年支払われます。その分、「良い」というエビデンスに基づいた医療を提供できるよう、常に進歩している医学を追求していく責任もあるんです。

ノースランド唯一の感染症医であること

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 先住民族のマオリ人たちが多く住む地域・ノースランドの中心地、ファンガレイ。自分の患者さんも
約3割ほどがマオリ人なんですが、彼らはリモートなエリアに住んでいることが多く、医療に対するアクセスも良くありません。また、糖尿病や高血圧といった慢性疾患、そして喫煙などから来る健康問題を抱えている人も少なくなく、マオリでない人と比べると、9年も寿命が短いんです。
 マオリ人とそうでない人の間に生まれたこのギャップをどう埋めていくのか。それが我々が現在直面している問題ですが、ファンガレイ病院で働くことによって、社会的に弱い立場に置かれている人に貢献できるというのは、「医療は平等に与えられるべきだ」という信念を持つ自分にとっては大きくやりがいを感じる部分でもあります。
 また、感染症科では、HIVだけでなく、尿路感染症や重症の肺炎、結核、マラリア、その他ウイルス感染といった、多岐にわたる症状を扱いますが、ノースランドで働く感染症医は現在、私だけです。
 以前は感染症科を受診するのにわざわざオークランドまで出向かなければならず、特に最北端の街・カイタイアなど遠方に住む人たちにとってはとても大変なことでした。中にはオークランドまで通いきれず、途中で治療をやめた結果具合が悪化したというケースもあったようで、自分がファンガレイに感染症科を立ち上げたことで誰かが生き続けられる、そんな感動がダイレクトに伝わってくる今の仕事に誇りを感じています。
 そして、医療に従事する上で、今は医師の数が少ない南太平洋の地域にも目を向けていきたいと考えているのですが、ニュージーランドは拠点としてとても最適な場所です。周辺諸国には医学部がないような小さな島もたくさんありますから、今後はそういった場所に活動範囲を広げ、若い医師への教育などを経て、医療の格差を少しでも縮めていけたらと思っています。

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