Vol. 202 特集

強く生きる人たちの美しさ 生まれ変わるクライストチャーチ


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渋沢憲一さん

クライストチャーチに移住して11年の渋沢憲一さんは、日本人教会の牧師として活躍中。地震直後にはけがなどで病院に入院した日本人患者の精神ケアを担当し、心のよりどころとなるべく奔走しました。周囲の人と協力し合いながら多くの苦労を乗り越えてきた渋沢さんに、当時の出来事やクライストチャーチの現在の魅力についてお話を伺いました。

「死」と「生」 抱えていた2つの疑問

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 小学生の時、前日まで遊んでいた仲の良い友人が交通事故で亡くなったんです。それをきっかけに、"死"というのは"生"の延長線上にあるのではなく突然訪れるものだということに気が付いて、「なぜ人は死ぬのだろう」「なぜ生まれてくるのだろう」ということを考えるようになりました。
 ほかにも身近な人を亡くした経験からその疑問はより一層深いものになっていき、高校生の時には、陰湿ないじめを目の当たりにしたことで「人という生き物はなぜこうも性根が悪いのだろう」と感じるようになっていったんです。最初は問題を起こすような人たちとは付き合わないように頑張っていたのですが、ある時、自分の友人がいじめに捕まってしまって。
 当時は自分は"良い人間"だと信じていたから、助けようと思った。ところが、今度は自分がいじめの対象になるのではないかと思うと、怖くて何もできませんでした。そうしているうちに、友人は学校に来られなくなり、留年。その時に気付いたんです。そういう性根の悪さは自分の中にもあるのだ、と。一生懸命真面目に生きている人たちがばかを見て、悪く生きている人たちがのさばっているのはどうしてなんだろうと感じました。
 犯罪を犯したりして法律を破れば裁判所などしかるべき場所が対処してくれるけれど、いじめに携わるような人たちに権威をもって罰を与える存在はないのか。人間として生きる上でかっこたる善悪とは何なのか。そうしていろいろと考えを巡らせているうちに自分でも訳が分からなくなって、先生や親をはじめとする自分より経験豊富な大人たちに直接疑問をぶつけてみたのですが、結局、満足できる解答は得られませんでした。

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人生を懸けて尽くしたい

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 やがて大学生になっても悶々とした日々を過ごしていたのですが、ある時、ある人とお茶をする機会があって。その時にまずされたのが「君は自分が罪人だって知っているか?」という質問。そんな突拍子もないことを聞かれれば、普通は戸惑いますよね。でも、私は違った。ずっと人生について考えてきたものだから、その言葉にはむしろ共感を覚えたんです。だからそれまでに大人たちに尋ねてきたのと同じ疑問を投げかけてみると、その人は聖書を開いて「罪人たちに与えられる報酬は死」なのだと説明してくれました。
 「イエスキリストが十字架にかけられて死んだのは人間のためである」という理由は、もともと理論的な人間だった自分にとっては全く納得のいく話ではなかったはずです。それなのに、なぜか涙が出てきて。もし自分のためにイエスキリストが死なれたのならば、自分の人生は彼のものだ。そう思ったのが、クリスチャンとして生きていくことにしたきっかけです。
 人と話していると「なぜ牧師・宣教師になろうと思ったのか」というようなことを聞かれることがあるのですが、私の場合は、牧師という職業を目指そうとしていたわけではなく、あくまでも彼のために人生を懸けて尽くそうと考えた結果にしかすぎないんです。

カンタベリー地震で日本人のケア

 クライストチャーチでの生活を始めたのは、2008年のこと。それまでも宣教師としてフィリピンやオーストラリア、パプアニューギニア、バヌアツなど太平洋を中心とした国々で活動していたのですが、次はどこに行くべきか祈りをささげていたところ、当時ニュージーランドの日本人教会で牧師をされていた方が後任者を探しているという話を聞き、移住することにしたんです。
 カンタベリー地震が発生したのはそれから数年後のことです。教会は倒壊こそしなかったものの、政府からの規制によりしばらくは使えなくなりましたし、地元の病院には連日メディア関係者が押し寄せ、現場はまさにパニック状態。混沌とした状態の中、私の担った役割は、病院に入院している日本人学生の精神的なケアをすることでした。
 地震が発生したのは、団体留学の彼らが到着した翌日。前日に初めてホストファミリーと顔を合わせ、次の日に学校に登校し、震災に巻き込まれた。建物は崩壊し、多くの尊い命が失われ、救出された子たちも度重なるストレスで、とてもではないけれど普通に会話ができる状態ではありませんでした。
 言葉も分からない土地でかなり心細かったと思います。身も心も傷付いている彼らに、どうすれば少しでも安心感を与えられるのか。自分にできることはないか。そう考えた結果、思い付いたのが日本食を食べてもらうことでした。母国の食を味わってもらおうと考え、白米やみそ汁、梅干しなどを持参して病院に通ったんです。私たちも被災した当事者でしたから何でも手に入れられるわけではありませんでしたが、そうしたちょっとしたものを持って見舞い続けているうちに、彼らも少しずつ心を開いてくれるようになりました。当時高校生だった娘が話し相手になってくれていたというのも、その理由の一つでしょう。
 そうしているうちに一人、また一人と日本に帰って行き、最後の一人が帰国したのは地震発生から約3週間後のことでした。

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テレビをつけて見た衝撃の光景

 私たちの生活がどうだったかというと、その数週間の間は水も電気も止まった状態になっていました。それでも周りの人たちと助け合いながらなんとか乗り切り、電気が復旧したのは約3週間後のこと。ちょうど学生の最後を送り出したタイミングでもあったので、お世話になった人たちを我が家に招き、バーベキューコンロを使って料理を振る舞おうとしていたんです。
 ちょうどその時に電気が戻ってきたので、とりあえずリビングの電気をレビをつけました。今でもその時の光景は忘れられません。テレビがついた瞬間、目に飛び込んできたのは東日本大震災により発生した津波の映像。まさに「大ショック」の一言で、その場にいた誰もが愕然とした思いでした。「ここで倒れるわけにはいかない」とずっと張り詰めていた糸が切れて、ポキリと何かが折れる音がしたような気がしましたね。

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 また、ずっとカンタベリー地震に注がれていたメディアの目も、すぐに東日本大震災に向けられたようです。波を引いたように、クライストチャーチから日本メディアの存在は消えました。そうしてサッと周りから人がいなくなった時、「私たちは興味本位ではなく、一生懸命戦ってきた皆さんをねぎらうつもりで取材させてほしい」と留まってくれた人たちがいて。彼らは日曜日の礼拝に参加し、この数週間、本当に頑張ってきた人たちと真摯に向き合ってくれたんです。
 正直に言うと、震災直後は強引な手段を使って取材依頼をしてくる記者がいたりしたこともあり、日本のメディアに良い印象は持っていませんでした。けれどその一件で、なるべく遠ざけたいと思っていた人たちの中にも、誠心誠意、向き合ってくれる人たちがいるのだということが分かったんです。

外見×内面 クライストチャーチの魅力

 徐々に復興が進みつつあるクライストチャーチという街を語るときは、地震前と地震後で区別する必要があると思います。地震前は、街のシンボルでもある大聖堂を中心としたヨーロッパ的な雰囲気の素敵なガーデンシティ。それに対して地震後はというと、多くの苦労を共に乗り越え、心の深い部分で同じ傷を分かち合いながら前を向く人々の強さ。外側に感じていた魅力は今、内面的な美しさに変わりました。
 クライストチャーチは今、新しい街に生まれ変わろうとしています。震災により半倒壊したビルの取り壊し作業も進み、ようやく最近になって新しい建物ができ始めました。そのどれもが都会風で、地震前からクライストチャーチに住んでいる私たちからしたら少し寂しいような気もしてしまいますが、新しい世代にとってはそれも魅力の一つといえるのかもしれません。
 また、昨年までは私も運営に携わっていた年に一度の日本の祭典「Canterbury Japan Day」も震災の翌年からの開催。実際のイベント開催までは苦労も尽きませんが、当日に参加してくれる短期ボランティアの人たちの笑顔に何度励まされたか分かりません。無償で手伝いを頼んでいるのはこちらだというのに、本当によく頑張ってくれるんです。街の復興含め、みんなで何かを作り上げていくというのは素晴らしいことだと実感しています。

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Japanese Christian Fellowship Christchurch
New Zealand(JCF)
Address: South City C3 church
Web: www.jcf.org.nz

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