Vol.26 Career up in NZ ニュージーランドでツアーガイドに


ツアーガイドは天職であると言う葉子コーフォードさんは20年以上もこの仕事を続けているベテラン中のベテランである。ニュージーランドにまだツアーガイドという分野の仕事がはっきりと確立されていない時期に始め、ご令孫がいる今でもバスに乗り込み、マイクを握るのはお客さんの笑顔を見ることが何よりの楽しみだからだと言う。ツアーガイドは葉子さんにとってそれほどまでにやりがいのある仕事である。

ニュージーランドでツアーガイドに

Yoko Kofoed
葉子コーフォード
島根県出身。まだワーキングホリデービザがなかった1972年に初めてニュージーランドに来る。帰国後、英語習得を考え、渡航先をイギリスとこの国とで迷うが、太陽がふりそそぐ明るい雰囲気が決めてとなり78年に再び戻ってくる。旅行会社の人からもらった急な電話がキッカケでツアーガイドの道に進む。やがて観光のガイドだけでなく、日本からの視察や研修のツアーで通訳を兼ねるガイド業務もこなすようになり、行政機関、学校、農場、福祉施設などを多数訪れる。現在も現役ガイドとして活躍中。

ニュージーランドとの出会い

ニュージーランドに初めて来たのは1972年のことです。姉がこちらにいたので数ヶ月滞在しました。その後、英語を学ぼうと思い、78年に再びやって来たのです。とはいうものの、英語がもともと好きだったわけではありませんでした。学生時代は自分に関係のない言葉である英語と、過去の話である歴史の授業が大嫌いでした。しかし、ニュージーランドを訪れたことによって英語に興味を持ったのです。
二回目の滞在では、期間を一年だけと決めていました。それぐらいの期間、海外の生活をすれば英語ぐらい何とかなるのではないだろうかと思っていました。しかし、実際に一年経ち自分の英語力を振り返ったときに、自分の思うことを十分に伝えられず、相手の言っていることをはっきり理解できていない自分に気づき、一体何をやっていたのだろうと自己嫌悪に陥りました。それでもう少しこの国に留まっていようと思ったのです。
このとき私は英語学校に少しだけ通ったのですが、座って学ぶということがあまり好きではなかったためにすぐに辞めてしまいました。その後、ホテルの中にあるお土産店で働き始めました。結果的にはこの仕事が英語を理解することの基盤となったのです。
仕事の内容は簡単に言えば店番です。出勤は週に三、四日でしたが、店には私以外、スタッフは誰もいません。そのためお客さんは全て私が対応していました。まだ観光客の数があまり多くない時代で、その中で大きなウェイトを占めるのがアメリカ人、オーストラリア人で、日本人はたまに、仕事で来ている人がいるくらいでした。

英語漬けの毎日

そんなあるときに一人のアメリカ人の女性が店に来て私に話しかけてきました。彼女は毛皮が買える店を探していたらしく、その場所を私に聞いたのです。そこで一番近くのお店の場所を案内しました。ところが十分くらい経ってから彼女が赤い顔をして戻って来て私に怒鳴り散らしたのです。怒鳴られる理由がわからないまま問答を続けていると、どうやら彼女が知りたかった店は毛皮店ではなく、薬局だということがわかりました。私はその女性が言った「Pharmacy」の単語の「Phar」の部分を「Fur」だと思い、案内してしまったのです。
多くの人はこういうことがあれば落ち込むものなのかもしれませんが、私の場合は反対に、確かに英語がわからなくて聞き間違えたかもしれないが、日本人だから仕方がない。そのかわり日本語はちゃんと話せるんだからあせらなくてもいいんだと、開き直りました。それが功を奏したのかもしれません。英語で話をするときでも腰が引けることがなくなりました。そういった心がまえだったので日々の仕事は楽しかったのですが、やはり緊張していたのでしょうか、家に帰ると一気に疲れがでる毎日でした。
お店では積極的にお客さんに話をして英語を使うようにしただけではなく、空いた時間に英語の本を良く読んでいました。私の場合はノンフィクションものが好きでした。その際にはほとんど辞書は使いませんでした。本を読むことだけに限ったことではないのですが、あまり辞書を使ったという記憶はありません。もともと持ってきた辞書は英和と和英が一緒になっているポケット辞書だったので使いにくかったのです。英語を身につける上では、多くの人と会話をすることが主体で、しかも仕事の上での会話だったため、いちいち辞書を引いている時間はありませんでした。その中で、わからない単語は、文章の流れから判断したり、相手に聞いて覚えるようにしていました。
今思い出せば、毎日ぐったりとしてしまうくらい英語漬けの生活をしていた覚えがあります。ツアーガイドのキッカケツアーガイドの世界に入ったキッカケは一本の電話からでした。ツアー会社で働いている知り合いの方から「今すぐに空港に行ってちょうだい。そして○○さんという人と会って××というレストランに連れて行って食事をして、△△というホテルでチェックインをしてちょうだい」とういう電話がありました。
お土産店が休みの日だったため、家でゆっくりしようと思っていたところでしたし、何より見知らぬ人を空港で出迎えて案内するなんてこれまでに経験したことがありませんでしたから、断ろうと思いました。しかし「すでにあなたの家にタクシーが向っているからそれに乗ってすぐに行ってちょうだい」というあまりにも切羽詰った相手の声と、断りの言葉を入れる間もない話し方に押されて、私はTシャツにジーンズという着の身着のままで、家に来たタクシーに乗り込みました。
それ以来、ツアー会社の方からちょくちょくと電話を貰うようになって、お店の仕事が休みのときにはお手伝いをしていました。そしていつのまにかツアーガイドが本業に変わっていたのです。まだツアーガイドそのものの数も少なかったため、休む暇もなく働いていました。毎日のように朝の五時から夜の十時までガイドをしたり、一つのツアーが終わって空港へお客さんを送っていき、そのまま次のツアーで別のお客さんの出迎えをするというスケジュールも頻繁にありました。

通訳ガイドの仕事

そういった仕事をこなしているうちに次に通訳を兼任するガイドの仕事が入ってきました。これは観光でニュージーランドを訪れるのではなく、視察とか研修といった仕事で訪れる人たちを案内する仕事です。行き先は市役所、学校、牧場、農場試験場、ワイン会社など様々でした。特にニュージーランドが84年に公的部門の民営化と行財政組織の統廃合中央集権から分権化といった改革を行い、86年にG.S.Tを導入して、通貨の切り下げを断行して以来、多くの人が行政関連の視察に来るようになりました。
こういったツアーでは普通ではなかなか出会うことができない人たちと会うことができるだけでなく、様々な話を聞くことができるのが魅力の一つでした。
オークランド脳卒中協会の会長に会いに行ったときにはこの国では多くの医師がボランティアで患者さんのケアをしていることを知り、活動されている人たちには頭が下がる思いでしたし、自分がそういった尊敬できる人たちと出会えたことを嬉しく思いました。また、ロトルアのD.O.C(環境庁)を訪れたときにはオポッサムの今現在の推定数は約六千万頭で、そのオポッサムが毎晩食べる植物は二万一千トンにものぼるということなども知ることができました。
しかし、過去にはあまり晴れ晴れとした気分で案内できないこともありました。以前、郵便局の民営化について視察をするツアーがありました。訪問した関係機関の担当者はどこでも民営化に伴い成功した例をいくつも挙げていました。しかし、その背後では多くの失業者を出しているという現状がありニュージーランドポストという単位で見れば成功したかもしれませんが、それだけではニュージーランドを見たことにはならないのではないか、失業者やそれにかかる失業保険などを考えると本当に成功したのだろうか、視察に来た人たちにとってこの国の一遍を見ただけでいいのだろうか、という思いが私にはいつもつきまとっていました。
ただ、それは私が個人的に思うだけのことなので、実際の通訳では話をすることができません。ですから、いつもスッキリしない気持が残ってしまっていたのです。
通訳ガイドの仕事では長く続いているお客さんもいます。ニュージーランドからキウイフルーツを輸出する際にその数や品質をコントロールする会社の「ゼスプリ」は今から約八年ほど前に通訳として仕事をして以来、今でも毎年、何本か仕事をしています。

仕事中のハプニング

ツアーガイドはお客さんと接することができ、そしてこの国を楽しんでもらい、お客さんの気持が直に自分に返って来るため、お客さんに喜んでいただけたときは私の喜びもひとしおです。そのなかではハプニングも多々あります。
ある農業研修のお客さんをガイドしたときです。研修が終わって観光をしているときに偶然、私達の目の前にヘリコプターが降りてきました。それを見たお客さんがどうしてもそのヘリコプターに乗りたいと言い出したのです。その後の予定が決まっていたため、日本から来ていた添乗員と話し合い、その場所から次の移動先のレストランまでであれば時間的に支障がないということになり早速ヘリコプターで移動し始めました。
ところがレストランに着いてみると食事がまったく用意されていません。そこのスタッフは目を丸くして「どうやってここまで来たんだ」と問いかけてきたのです。実はそのレストランは山の頂上にあり、ゴンドラでしかアクセスできない場所にあったのですが、ちょうどその時に停電のためにゴンドラが止まっていたのです。ですから当然私達のことも予約は入っているものの、来るはずがないと思っていたのでした。
そこでレストランのスタッフは急遽、料理を用意してくれることになりました。電気が止まっているために温かいものは無理だということでしたが、その代わりに飲み物は何をどれだけ飲んでもいいということになったのです。このツアーは男性ばかり三十人ほどのツアーでしたので、お客さんは飲み放題ということに非常に喜んで次々にグラスを空けていきました。そして食事が終わり、いざ帰るとなった時にもう一つ問題が起きました。帰る方法です。次には空港から飛行機に乗って移動しなければならなかったため、復旧がいつになるかわからないゴンドラを待つわけにはいきません。それどころか刻一刻と飛行機の時間は迫ってきます。もう、山をリュージュで降りるしか手立てがありませんでした。酩酊しかかった三十人のおじさんと私は次々にリュージュで山を滑り、なんとか飛行機の時間に間に合ったのです。
幸い誰も怪我することもありませんでしたし、お客さん自身は後の旅行中も、この話題で持ちきりだった程楽しんでいたようですが、このようなハプニングは通常ほとんどありませんし、あってはいけないことです。それだけに強烈に覚えている出来事でした。

仕事と英語

私にとってツアーガイドは本当に楽しめる仕事です。オークランド観光で多くの人が訪れるマウントイーデンはこれまでに数え切れないくらいお客さんを連れて行きました。しかし、何度行っても、飽きることはなくマウントイーデンを案内する楽しさは変わりません。経験を積み、歳を重ねるほど、自分の個性が出せますし、気負いがなくなり、お客さんに楽しんでもらうことができます。これはただ英語の技術を磨くだけでは身に付かないものだと思っています。
以前、ツアーで通訳専門の方と仕事をしたことがありました。一つのグループを私が、もう一つをその方が担当しました。その方の英語はネイティブといってもいいほどですので通訳として完璧でした。そのツアーの最後にお客さんが私に「英語は完全に○○さんの方がうまいけど、私たちを楽しませることに関してはあなたの方がはるかに長けていますね」と言ったのです。もちろんどっちが良いとか悪いという話ではありません。単純にお客さんの感想ですし、私はツアーガイド、その方は通訳なので当然と言えば当然のことです。
私はツアーガイドとして、英語は道具の一つだと捉えています。例えば英語をハサミだとすると、英語の技術を上げることは綺麗に切れるハサミを持つことと同じです。何を切るか、どうやって切るか、切る人によって仕上がりは大きく違ってきます。ですから、英語と同時に自分の土台となる考え方をしっかり身につけておいたり、ニュージーランドについて勉強する必要もあると思っています。
そのために普段から多くの情報をキャッチしておくことも大切なことです。形があってないのがこの仕事です。お客さんとのやり取りによってツアーが決まってくるのですから、相手が欲しがっている情報に対してある程度はすぐに答えられるようにしたいと思っています。
それは今でも実践しようと心がけています。新聞、テレビのニュース、ラジオなど生活の中で情報を得て、少しメモをとればいいだけです。この間もラジオでオークランドでは一年間で約二百五十人が皮膚がんで亡くなっているということを言っていたので、数字をメモしました。

これから目指す人に

これからは私よりも若い世代の人がツアーガイドとして活躍すると思いますし、実際に今でも多くの優秀な人がいます。 ツアーガイドの仕事はどんな仕事もそうかもしれませんが「人間が好きな人」に向いていると思います。時間のことや気苦労を考えるとお金で割り切れないことが多々あります。そういった苦しい状況に立ったとしてもお客さんを楽しませるにはやはり、人間が好きでなくては、ガイドをしている本人が辛くなってきます。自分が幸せでない限り、他の人を幸せな気分にすることは難しいと思います。ですから、そういった考えを持っている人がどんどんツアーガイドになっていくのは素晴らしいことだと思いますし、私自身もこれからも気負わずに、ガイドを楽しんでいきたいと思っています。

カテゴリ:ツアーガイド
各種法律や移民局の規定等は改定されている場合があります。詳しくはお問い合わせください。

お問い合わせはこちら