Vol.35 時代を飾るキウイ -ラグビー・ダイレクターBryan Williams-


ラグビーの国内選手権NPCが終わり、ニュージーランド国内のラグビーシーズンが全て終了した。振り返ってみると、スーパー12ではニュージーランド勢は従来どおりの活躍を見せたものの、グラハム・ヘンリーが監督に就任したオールブラックスは、2007年のラグビーワールドカップでの優勝を期待させるかのような順調な滑り出しだったが、結局トライネイションズ(南半球3か国対抗戦)で最下位に終わり、ファンの期待を裏切った。
今年のラグビー界のニュースと言えば、新しい試みとなった、西サモア、トンガ、フィージーの3か国の混成チーム「パシフィック・アイランダーズ」だ。ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカに伍する力があることが証明され、来年も試合が組まれることになれば、新たなラグビー勢力として注目を集めるに違いない。 そんな「パシフィック・アイランダーズ」を一歩引いた立場から熱い視線を浴びせていたのがブライアン・ウィリアムスだ。西サモアに祖先を持ち、オールブラックスとして活躍し、引退後のコーチ、監督としても優れた手腕を発揮している。「パシフィック・アイランダーズ」が発足した今年のラグビーシーズンを総括するのに最もふさわしいのはこの人に違いない。

ラグビー・ダイレクターBryan Williams

ブライアン・ウィリアムス
元オールブラックス, ポンソンビー・ラグビーフットボール・クラブ ラグビー統括責任者 / Ex All Blacks, Ponsonby Rugby Football Club Director of Rugby

西サモアとラロトンガの両親のもと、1950年オークランドに生まれる。19歳でオールブラックスに選ばれ、38キャップ(代表試合出場数)を持つ。現在でも歴代の偉大なプレーヤーとして常に名を連ねる。ポンソンビークラブ、オークランドB代表、A代表、西サモア、ハリケーンズなどのコーチ、監督を歴任。ラグビーへの貢献が認められ、1983年にエリザベス女王からMBE(Member of the British Empire)が贈られる。職業は弁護士。二人の息子長男ゲビン、次男ポールともにラグビー選手。

ラグビーの王道を歩む
選手としてもコーチとしても常に陽の当る場所を歩いて来た

父親はオーストラリアに先祖を持つ西サモア人、母親は南アフリカに祖先を持つラロトンガ人です。両親はニュージーランドで出会い、私はオークランドで生まれました。5歳の時、最初にプレーしたのはラグビーリーグ(13人制)でした。その後、10歳から、ポンソンビー・ラグビー・クラブでラグビーユニオン(15人制)をプレーするようになりました。すぐにオークランドの小学校代表メンバーになり、セカンダリー・スクール(中、高校)代表になり、オークランド・コルツ(21歳以下代表)、オークランド代表を経て、19歳でオールブラックスに選ばれました。過去には私より若く選ばれた人がほとんどいませんでした。選手時代のハイライトと言えば、オールブラックスに選ばれた直後、1970年の南アフリカ遠征です。4試合のテストマッチ(国代表の試合)で3敗しました。敵地の南アフリカで行われるテストマッチで勝ち越すことは本当に難しいことです。そして、1978年のヨーロッパ遠征でアイルランド、ウェールズ、イングランド、スコットランドの英国4か国に全て勝ち越したグランドスラムです。この遠征を最後にオールブラックスから退きました。
今では考えられませんが、選手時代から、自分の所属するポンソンビー・ラグビー・クラブのコーチを兼任していました。初めてコーチになった翌年1976年に1954年以来のオークランド地区での優勝ができました。以来70年代後半から80年代前半はほとんどポンソンビー・クラブが優勝を独占しました。1982年にオークランド代表として最後の試合に出た後、引退してコーチに専念し、ポンソンビー・ラグビー・クラブとオークランド・コルツの二つのチームに関わりました。この実績が認められ、87年からはオークランド代表チームのコーチに就任し、91年まで、アルゼンチン代表やオーストラリア代表を破って、黄金時代と言われる無敵の時代を迎えました。
もともと私は優秀なコーチではありませんでした。それはコーチになって選手とコミュニケーションを取るようになってから分かりました。自分の経験を元に選手に話をしても、それが選手のプラスになるとは限りません。優秀なコーチは選手が今、何を必要としているのか、何を考えているのかを理解しないといけないのです。要は自分がしなかったこと、できなかったことを選手に要求しないことなのだということが分かりました。コーチングは人間管理なのです。そのうえ、コーチはグラウンドの中でも外でも自分の行いに責任を持つことが必要になってきます。
オークランド代表のコーチを経て、91年からワールドカップの西サモア代表のテクニカルアドバイザーになりました。4年ごとに95年、99年と3度のワールドカップを経験しました。99年には現在のオールブラックスの監督グラハム・ヘンリーが監督として率いたウェールズを破りました。西サモアラグビーの記念すべき瞬間でした。
「いい選手は必ずしもいいコーチならず」と言われます。まさにその通りだと思います。しかし、時にはその経験をうまくし活かし、選手から尊敬されることで、素晴らしいコーチになることがあります。

多くを期待させたオールブラックス2004
オールブラックスがいい結果を残せなかったのは西サモアがウェールズに勝ったことと関係ある

今年のオールブラックスはグラハム・ヘンリーが新監督に就任しました。去年のワールドカップで優勝したイングランドに完勝し、アルゼンチン、パシフィック・アイランダーズも寄せつけない強さでした。南半球3か国で競うトライネイションズでも最初の2試合は隙も見せず、今年も優勝すると多くの人が期待していました。が、その後の2試合を落とし、結局最下位に終わりました。昨年のワールドカップの準決勝で負け、次回2007年のワールドカップに向けての必勝体制で満を持して就任したグラハム・ヘンリーでした。問題点は多くの議論を巻き起こした「フラットライン」と言うバックスの攻撃パターンにあると思います。「フラットライン」はバックスが浅い位置、つまり、相手ディフェンスから近いところに立って攻撃するというパターンです。時には非常に効果的な攻撃なのですが、ディフェンスがし易いのです。西サモアがグラハム・ヘンリー率いるウェールズに勝った99年のワールドカップでは「フラットライン」を採用したウェールズに西サモアは早いタイミングでディフェンスを仕掛け、ことごとく攻撃の芽を潰し続けたことで勝つことが出来ました。
グラハム・ヘンリーはオールブラックスでも「フラットライン」を採用したのです。しかしながら、今のオールブラックスのメンバーには「フラットライン」はマッチしないと思います。グラハム・ヘンリーは自らの戦力を細かく把握し、相手の戦力を分析する力に長けている監督です。オールブラックスの現状を考えると「フラットライン」は機能しづらいと考えるのが普通ですが、今は戦法を優先し、戦法に選手を当てはめています。今までのグラハム・ヘンリーとは違ったアプローチをしています。
とは言っても、グラハム・ヘンリー程の監督が一時的な思いつきで「フラットライン」を採用したとは思えませんし、次のワールドカップまでまだ3年もあります。それまではいろいろ試し、本番のワールドカップまでには何か秘策を考え出すと思います。

可能性を秘めた「パシフィック・アイランダーズ」
ポリネシアの3か国の良いところをブレンドした楽しみなチーム

「パシフィック・アイランダーズ」は非常に良いコンセプトで発足したチームだと思います。トンガのがっしりした当たりの強いフォワード、フィージーの縦横無尽に走り回るバックスに、西サモアのオールマイティーな選手が加わり、特に弱点のない、良いところがうまくブレンドされたチームです。今年はニュージーランド、オーストラリア、南アフリカで各1試合ずつテストマッチを行いました。結局全敗でしたが、点差の大きく開いた試合はなく、実力的にも世界のラグビー地図に印が付けられたはずです。残念なことに、今のところ来年も試合が組まれていると言う話を聞いていません。
一部では「パシフィック・アイランダーズ」はヨーロッパや日本、ニュージーランド、オーストラリアでプレーした方がいいお金になるため、優秀な選手が定着しないトンガ、フィージー、西サモア3か国のラグビー協会が選手を引き止める資金を捻出するために考え出した苦肉の策だと言われています。しかし、資金集めとしても結局3等分されてしまいますので、たいした金額が入ってくる訳ではありません。入場料収入、放映権、スポンサーなどが主な収入源ですが、メディア、観客、スポンサーが長い目で見る理解を示せば、「パシフィック・アイランダーズ」の試合は毎年恒例になり、世界ラグビーの主役に躍り出ることが出来るのではないかと思います。
ポリネシア3か国のラグビーは今まで不遇な歴史を味わってきました。95年に環太平洋選手権構想が持ち上がり、毎年恒例でリーグ戦を行うことが具体化しました。各国ラグビー協会、広告代理店が実現一歩手前まで漕ぎ着けたのですが、最後の最後にスポンサーが降りてしまい、実現出来ませんでした。それはラグビーの問題ではないのです。政治とお金の問題なのです。毎年恒例で行われるようになれば、資金的な余裕が出来るのですが、このように翻弄され続けているのがポリネシア3か国のラグビーなのです。ですから「パシフィック・アイランダーズ」は今までの不遇を打破する新しいコンセプトですし、個人的にも非常に期待しています。

ダイレクター・オブ・ラグビー
ポンソンビー・ラグビー・クラブでラグビー関連の全ての事柄を統括する

職業は弁護士ですが、現在はそれほど多くの時間をかけていません。ほとんどの時間はポンソンビー・ラグビー・クラブで費やされています。クラブのラグビーに関わる全ての面を管理するのが仕事です。試合の日程管理、コーチのセレクション、用具の手配、選手やコーチへの助言、毎週の試合結果のまとめなどが主な仕事です。
さらに、母校のマウント・アルバート・グラマースクールで9、10歳の子供達にジュニア・ラグビー・アカデミーを週2回開いています。ラグビーの歴史、ルール、技術、心構えなどを教えています。ニュージーランドではラグビーをやる子供が年々減少し、サッカーやバスケットをやる子供が増えています。しかし、私は将来子供達がラグビーに戻って来ると信じています。サッカーをやっていた子供はキックがうまくなり、バスケットをやっていた子供はステップがうまくなります。そんな子供達がラグビーを始めると、キックやステップのうまいラグビープレーヤーの誕生なのです。このような活動もポンソンビー・ラグビー・クラブに入会してラグビーをやってもらうための勧誘活動につながっています。ニュージーランドでは13歳から18歳までは学校でラグビーをプレーするために、クラブのラグビーから離れます。学校を卒業するとまたクラブのラグビーに戻るのですが、その時にまたポンソンビー・ラグビー・クラブでラグビーをやりたいと思うような魅力あるクラブを作ることが私のライフワークなのです。

カテゴリ:ラグビー
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