Vol.62 自由時間 オークランド大学で音楽留学


幼稚園児の時にピアノを始めた義孝さん。高校1年生でいったんレッスンをやめ、5年前にニュージーランドでふたたびピアノをはじめた彼。音楽に寛大なニュージーランドで音楽仲間に大いに刺激を受け、オークランド大学バチェラー・オブ・アートの音楽学科へ進学したのは3年前。「僕にとって人との繋がりが何よりも大きいんです」という言葉の重みだけ、ニュージーランドで学生生活を謳歌した姿が印象的だ。また、「これまでいろんな人に助けられて生きてきたので、今度は音楽を通して人の役に立ちたい」と語る彼。そんな義孝さんに、ニュージーランドでの音楽を通じての学生生活について語っていただこう。

オークランド大学で音楽留学

大阪市生まれ。幼稚園児の時にピアノを始める。中学2年の時に海外派遣に参加。高校卒業後、シドニーの大学ファンデーションコースへ進学。リンカーン大学か らオークランド大学に編入、現在BA音楽学科の3回生。6月卒業予定。5年前からピアノのレッスンを再開。Lyn Malakou, Margaret Seagraveに師事。声楽を高橋侑子氏に師事。音楽教育、日本文化、音楽療法など音楽に対する幅広い好奇心を持ち続ける。好きな音楽家は、マルタ・ア ルゲリッチ、アリシア・デ・ラローチャ、オスカー・ピーターソン、秋吉敏子、ヨーヨー・マ、エンニオ・モリコーネ、ビリー・ジョエルetc....

University of Auckland, School of Music
6 Symonds Street, Auckland

ピアノがいつも傍にあった少年時代

「人との繋がりに恵まれたこと。それが僕にとって何よりも大きいです。」と語る義孝さん。現在、オークランド大学のバチェラー・オブ・アートで音楽を専攻している。
「もともとニュージーランドには音楽をするために来たのではなかったんですよ。まさかニュージーランドでピアノを演奏するとは思ってもみなかったです。
ピアノをはじめたのは、僕が幼稚園児の時でした。たしか4歳か5歳ごろだと思います。どういう訳か、ピアノをしたいって自分から親に言ったそうです。それから高校1年生まで続けていました。母は音楽を聴くのは好きですが、けっして音楽と縁のある家庭ではないんですよ。当時は、周りにピアノをしている人が殆どいなかったので刺激もなかったですし。週に一度、ピアノの先生の所に顔を出しに行くという感じでしたね。昨年、実家に一時帰国した際に、当時のレッスン ノートをめくって先生のコメントを見ていると、『今週も進歩が見られませんでした』みたいなものばかりで。今でも先生と情報交換をしていますが、当時のことを考えると先生に申し訳ないと思います。親は僕がピアノを練習する音を聴いて、その日が木曜日だってわかるような感じだったのですから。ただ、ピアノを 弾くのは好きでした。高校の勉強が忙しくなってピアノ教室をやめてからも、色んな曲を弾いて楽しんでいましたね。また、今の僕のジャンルにとらわれず音楽を愛する姿勢。その原点は、先生がクラッシックに限らずさまざまな音楽を教えてくれたことだと思い、本当に感謝しています。」

海外留学への第一歩

「海外に興味を持ち始めたのは、海外派遣でメルボルンへ行ったことがきっかけでした。僕の出身の大阪市はメルボルンと姉妹都市提携を結んでいて、大阪市の 中学生がメルボルンに派遣される制度がありました。」義孝さんは、くじ引き、作文と面接試験などを通過し、110人の応募の中から24人の合格者の中に選ばれた。「これが、はじめての海外でした。ホームステイをして大変でしたが、なんとかなるものだと思いました。恥ずかしさもなく、最低限のコミュニケーションはどうにかなったのでしょう。中学2年の終わり頃で、そこで見るもの全てに大いに刺激を受け、目の前の世界が一気に拡がったような感じがしましたね。ブロンドヘアーの女性も輝いて見えましたよ。もっとみんなと会話ができたら楽しいだろうなって思ったんです。そして、中学3年生の時には、友人がクライストチャーチの学校に留学して。それを機に海外留学への関心が高まりました。それで高校1年の夏休みに、クライストチャーチにその友人を訪ねて遊びに行ったんです。2週間くらいホームステイをして過ごして、ニュージーランドって良い国だなってすっかり好きになってしまいましたね。その頃から海外の大学へ進学したい気持ちが膨らんでいきました。学校がホリデーになる毎に、情報収集をしに海外へ行っていましたね。大学進学が視野に入り始めたころ、TOEFL試験を受けました。海外の大学へ行くためには500点は最低必要で、僕は497点。500点以上が入学条件だったシドニーの大学ファンデーションコースにこの結果を 検討していただいて、入学できることになりました。でも、入ったものの大変でしたね。政治、経済、ビジネスなど英語以外の科目も多くて、2セメスターだけ 受ける予定が、3セメスター受けましたし。卒業後、日本にいったん戻って、21歳の時にクライストチャーチの大学で環境学を勉強するためにニュージーランドへ来たんです。」

音楽仲間に刺激を受け音楽の道へ

「クライストチャーチで生活をしばらくして、気づくと音楽仲間に囲まれた生活をしていたんです。結婚式でピアノを弾く機会もありました。ニュージーランドは音楽にすごく寛大で、ピアノを弾いたら喜んでもらえるのが、僕を反対に豊かな気持ちにさせてくれましたね。音楽を通していい刺激をいっぱい受けているうちに、ピアノをもう一度習いたいって思ったんです。先生についてピアノを教わりはじめてから、いっそう音楽との結びつきが強くなりましたね。」カナダで活躍するコン サート・ピアニストと知り合い、彼女の『室内楽セミナー』に参加するために1ヶ月トロントに行くなど、音楽を通したさまざまな出会いを大切にしてきた彼。 「もう一度、音楽を勉強してみたい。こう思ったのは、僕にとっては自然な流れでした。教えることも好きなので、大学で音楽教育学を学びたいと考え始めたん です。オークランド大学しかその学部がなく、ピアノの先生に相談すると、その学部の教授を紹介してくれました。教授と話をして、興味がどんどん沸いていっ たのですが、オークランドには親しい知人がいなかったので、最後までオークランドへ引っ越すことを迷っていましたね。誰一人知らない街でゼロから生活をス タートするのが不安だったのでしょう。最終的に、その気持ちに蓋(ふた)をして、音楽の勉強がしたいという気持ちを優先させてオークランド行きを決心したのです。」

幅広く音楽に接する楽しみ

音楽を幅広く学ぶ目的で、バチェラー・オブ・アートのミュージック専攻に入学した義孝さん。「ニュージーランドは音楽の分野において誰にでもチャンスがあり、卒業生が もっと勉強したい場合は、ヨーロッパやアメリカの大学に進学できる太いパイプを教授が持っています。現在、僕は最終学年で、これまでの授業では、音楽教育 学の中では指導方法、カリキュラム作りなどを勉強し、それ以外にも音楽史やインド音楽、副専攻のドイツ語やドイツ文学など、バチェラー・オブ・ミュージッ クという音大的な学部ではないバチェラー・オブ・アートらしい音楽全般の勉強を楽しんできました。ほかにも入学してからずっと、音楽学部のコンサート・ス タッフのアルバイトをしてきました。音楽を共通語とする仲間と過ごしたオークランドでの日々は、想像を遥かに超えて充実していましたね。
音楽学部のコンサートは、セメスター中に、音楽学部の校舎で毎週金曜日の午後1時から2時まで学生によって行われています。ピアノや声楽、弦楽器などクラシックを 中心にさまざまなスタイルの曲の演奏があるんです。無料ですので、どなたでも気軽に立ち寄れるオープンなコンサートです。週末にはプロの演奏家のリサイタルがあったりもするんですよ。昨年はクラシックやジャズ、インドからプロのシタール、タブラ奏者を招いて珍しいインド音楽のコンサートも開かれました。ほぼ全ての演奏会で僕はステージ・マネージャーやフロントスタッフの仕事をしています。見かけられたら気軽に声をかけてください。」

音楽を通して限りなく広がる世界

「日本人との繋がりも大切だと考え、日本食レストランでもバイトをしました。レストランにあったピアノをときどき弾いていたら、そこでも素敵な出会いに恵まれたんです。」義孝さんは、婦人コーラスグループ『さくらの会』の伴奏や福岡デイなど多くの場面で、日本人社会でもピアノ演奏で活躍する。その繋がりで、世界で活躍するメゾソプラノの日本人声楽家と知り合い、現在、声楽を習っているという。「日本人の方々との活動を通じて、日本文化を再認識したこと。これは、ニュージーランドでの僕の大きな変化です。ニュージーランドで沖縄三線(さんしん)や琴との共演、日本歌曲の伴奏をする機会があったり、昨年はタウンホールで初めてお能を鑑賞 したり、日本にいた頃よりも日本文化に接する機会が増えました。日本にも素晴らしい楽器や音楽があるのだと本当に実感させられたんです。僕の周りには日本 歌曲を聴いて、それをチャレンジしている外国人の友達もいて。そういう姿を見るのは嬉しいですね。僕自身は日本文化の趣深さに魅せられ、最近、雅楽に辿り着きました。1200年以上も前から日本の宮廷音楽として形を変えることなく今日まで大切に受け継がれてきた日本文化です。そんな雅楽を研究したいと思うようになりました。
プライベートでは、昨年12月に音楽仲間が家に集まってホームコンサートをしました。友達とピアノの連弾やアンサンブルの練習 をしていくうちにレパートリーが増え、折角なので友達にも聴いてもらおうという話になったのが始まりでした。最初はピアノ友達と2人だけだったのが、気が付くとホルンやサックス、歌やバイオリンなども加わっていて。当日は、僕の狭いフラットは20人以上のゲストでいっぱい。その日は、夜中まで音楽談義で盛り上がりましたね。
今、卒業が目の前に来ています。将来も音楽に関係のある仕事がしたいことは変わりありません。音楽に関係するビジネスも考えています。たとえば音楽サロンをつくり、音楽好きの人が気楽に集まれる空間をつくりたい。趣味で楽器を弾くけど一緒に演奏する人がいないという話をよく聞くからです。そういう人たちが集まって情報交換ができて、お客様が自ら演奏できるような。音楽を専門に勉強している方にも、人前で演奏する場所として使ってもらったり。そんな夢を今、見はじめているのです。」

各種法律や移民局の規定等は改定されている場合があります。詳しくはお問い合わせください。

お問い合わせはこちら