Vol.121 時代を飾るキーパーソン -ラグビーエージェント |
幼少期に習得したネイティブ並みの日本語と、ハイスクールでプレーしたラグビー経験、知識を生かして、プロラグビー選手のエージェントとして日本とニュージーランドを結ぶティム。現在日本で活躍するニュージーランド選手のほとんどが彼を通している。長年かかって築き上げてきた信用は絶大。日本語で話を聞いた。
日本で幼少期を過ごした
私の父は宣教師です。70年代に神様の導きによって日本に行き、教会を立ち上げて布教するのが彼の仕事でした。両親は私が生まれる前から北海道に住んでいましたが、母がニュージーランドに帰ってきて私を産んだので私はニュージーランド生まれです。両親とも生粋のニュージーランド人。祖先をたどるとスコットランドに行き着くようですけれど、父はタウランガ、母はオークランド出身です。
私は生後3ヶ月から日本で育ちました。最初は苫小牧でしたが、後に北見に移りました。普通の日本人の子供と同じように育ち、普通の小学校に行きました。両親ともたいへんな日本びいきで、特に父は普通の日本人にも勝るほどの日本語能力を持っています。彼は布教活動のほかに通訳の仕事もしていました。企業の海外との取引に関わったり、日本の地方都市が海外の都市と姉妹都市契約を結ぶときなど、その橋渡しに一役かったりもしました。
私が小学校4年生のとき、家族でニュージーランドに戻ってきました。私にとっては新しい国でした。当初は英語もHelloぐらいしかしゃべれなかったんですよ。日本では家が教会でいつも信者が集う場所でしたから、どっぷり日本語環境だったのです。
オークランドの家の近所の小学校から、Auckland Grammar School に進み、学校のラグビーチームでプレーしました。Auckland Grammarのラグビーチームは強豪ですからね、レベルが高かった。練習はきつかったけれど、とても楽しかったです。ポジションはスクラムハーフです。
スクラムハーフは「うるさい」ポジションなんですよ。たいてい.チームの中でも小柄な選手が担当するんですけれど、口が達者なのが不可欠。ゲームの最中いつも何かしら、チームメイトに声をかけて前後のリンクになります。あんまりタックルされないポジションでもあるかな。
学校を卒業した18歳のとき、まだ将来何をしたいのか、何を勉強したいのかが分からなかったので、とりあえず日本に行きました。新潟のスキー場で短期間働いたりしましたが、1995年に三菱重工のラグビーチームに、通訳兼選手として雇われました。その年、三菱重工は、初めて海外からプロの選手を招聘してチーム強化に乗り出したばかりでしたから、私の日本語と日本での経験がとても役に立ったのです。子供の頃から教会で育ち、「人を助ける」ことが、私のライフワークですから、その仕事は私にピッタリでした。 そのようにして、外国人選手の日本での生活をサポートすることから始まったスポーツ(ラグビー)エージェントとしての仕事もかれこれ17年になりました。最近は、この業界もすっかりプロフェッショナルになりましたが、私が長年積み重ねてきた実績は大きな信用になっています。「ティムは絶対にウソをつかない。」と、実業団チームの監督や選手たちに頼りにされているのは嬉しいことです。 私が日本のチームに選手を紹介するとき、まず、そのチームがどんなチームなのかを調べます。監督やコーチ陣と話し合って、どんな選手が必要なのかを割り出し、それに合った人選をします。一方、ニュージーランドの選手とは事前に個別に話し合いがしてあって、どの選手がどんなチームにどれぐらいの期間行きたいいのか、待遇や報酬に関することも含めてファイルがあります。そして、双方を上手くマッチさせていくのが私の仕事です。これまでに190人ほどの選手を日本の実業団チームに送りました。最近では、去年のワールドカップで活躍したAll BlacksのMa’ a Nonu がリコー、 Brad Thornがサニックス、 Mils MuliainaがNTTドコモと、それぞれ日本のチームでプレーしています。これは余談ですが、私の会社 essentially は、プロスポーツ選手のマネージメントも行っています。2011年のワールドカップのAll Blacks 30名のうち、23名が弊社と契約をしているんですよ。
日本のチームは有名なスター選手をまずは欲しがりますが、最近はそれよりもキャラクターをずっと重視するようになってきました。他の選手の模範になりうる選手が求められています。仲間と上手く付き合いリーダーシップを取れるような選手が人気。酒飲みで暴力をふるうようなのはダメです。
それから最近、とても気を使うポイントは奥さんのケア、家族のケアです。昔は、選手が単身で日本に行くケースが多かったのですが、今は、家族同行が主流です。家族が身近にいて家庭生活がハッピーなら、選手はリラックスしていいプレーができる、というのがその理由。そこで、選手に同行する家族のケアが重要になりました。選手本人はグラウンドに着いた途端に40人余りの仲間ががインスタントにできますからあんまり問題無いんです。ところが家に残されるワイフは違います。言葉も分からない、どこへ買い物に行ったらいいのか分からない、孤独、ストレス。というわけで、今は奥さんのケアだけを専門にするスタッフがいて生活の手助けをしています。
選手を日本に送る、彼らの人生に関わるこの仕事はとてもやりがいがあります。物理的にも精神面でも細かく「助ける」仕事です。私は特に問題がなくても、選手やその家族と電話やスカイプでちょくちょく話をするようにしています。それから、年に7−8回は日本へ行って、ネットワークを広く保つよう心がけています。
この記事を読んで、ラグビーやマネージメントに興味がある方は下記のお問い合わせよりイーキューブのキャリアアップ・センター「イースクエア」までご連絡ください。 |