Vol.139 Mark Smith Restauranteur / キウイと日本人のコンビがビジネス成功の鍵で |
昨年末、Ponsonbyに登場したおしゃれなエンターテーメントスペース、Ponsonby CentralのLane Way中央の一角に、L字型のカウンターをフィーチャーした居酒屋風日本レストランバー、東京クラブがある。予約を取らないカジュアルさとおいしい家庭風料理で連日大盛況だ。その仕掛け人であるレストランターMark Smith氏に話を聞いた。
香港で出会った現代の日本食文化 私は、Auckland生まれです。West Lake Boys High School を卒業した後、Wellingtonにある専門学校CITで、ホテルマネージメントを勉強、それからシェフの資格も取りました。ニュージーランドのホテルなどでホスピタリティーのあらゆる仕事をして経験を得た後、海外に出ました。20年以上も前のことです。いろいろなところで、いろいろなことを経験しましたが、その中でも長かったのは、ハイアット・シェラトンホテルグループに勤めたことです。香港とメルボルン、2つの大都会での高級ホテル勤務。そこではマネージメントの要職も長いこと経験しました。5、6年いた香港で、現代風な日本レストランの人気を目の当たりにしました。都会的で、活気があって、おしゃれな日本レストラン。日本人の同僚と親しかったことも手伝って、そんな日本の食文化にとても興味を持ちました。さて、90年代の初めにニュージーランドに戻ってきたときニュージーランドにはそれが無かったのです。伝統的な日本料理を伝統的な手法でもの静かに提供する日本レストランはあり、いい料理を出すレストランもありました。でも、私が見てきた、都会の人間に人気がある現代的なスペースがない。そこに、トレンディーな日本食レストランビジネスのチャンスを見出したのです。
1994年に、つぶれたあるレストランの古い建物を買い取り、多額の資金と半年の時間をかけて改装、日本レストランとしては全く新しいコンセプトのガーデンレストラン、SOTOをオープンさせました。日本料理を伝統的ではない新しいアイディアで供するおしゃれなレストラン。大きな洋皿にアーティスティックに盛り付けされた料理。ワインを合わせる、世界中の都会で人気のトレンディーなジャパニーズキュジーン。でも、あくまでも基本は日本料理です。私はフュージョンという言葉が嫌いなので、その言葉は使いません。 現在人気のレストラン、Cocoroで大活躍のシェフ、マコトが若くてまだシェフとしては駆け出しだった頃です。私は、彼をSOTOのシェフとして抜擢しました。そして私が海外で見てきた日本料理のイメージを伝授、一緒にSOTOを成功させてきました。SOTOは5年ほど経営していましたが、その間にマネージャーとして働いていたのが、現在の私のレストラン、東京クラブの日本人共同オーナー、さらさです。 (Cocoroの徳山真人さんのインタビューはリンクから)
SOTOを売却してから、数々の日本レストラン、バー、ホテルなどでビジネスコンサルタントとして働きましたが、去年、さらさと一緒に、また全く新しいコンセプトの日本レストランを創ろう、ということになりました。さらさは、日本のレストラン業界ではちょっと名の知られた志村ファミリーの一員で、だから、この東京クラブは、志村ファミリーのファミリービジネスだと言えます。最初に構想を立てた時は、日本料理を出す会員制の高級レストラン、をイメージしていました。だから、店の名前にもクラブがついていますし、ウェブサイトやグラフィック用に取った写真も、すこしきわどい感じがするアーティなものになりました。ところが、ここ、Ponsonby Centralの物件を見つけたとき、場所の熱気を感じ、どうしてもここに自分たちのビジネスを開きたいと思いました。Lane Wayの横丁風で気取らない、いっぱい飲み屋にもってこいの場所。だから方針を少し修正して、家庭料理を安価で出す居酒屋にしたのです。 東京クラブのメニューには、きちんと料理された家庭料理がならんでいます。鉄板焼き、やきとり、今は冬場ですから鍋料理が何種類か、すき焼き。それから、やっぱり地元で人気のすしと刺身。さらさが日本人で私がキウイというコンビネーションがこのビジネスを成功させていく鍵を握っていると思います。キウイと日本のバランスをとること。さらさが出してくるアイディアを、私がここのお客にどう提供していくかを考える、またはそれがウケそうであるかどうかを判断します。または、私が示すNZの食材でさらさが何をつくるか考える、など。 開店当時、お好み焼きを大々的にうちだしていましたが、思ったほどウケなかった。キウイのお客さんには浸透しにくかったし、日本人のお客さんは個々が異なったお好み焼きのイメージを持っているので全員の期待に添えなかったです。 東京クラブでの私の大切な仕事は、クオリティコントロール。たとえば、昨日、ある枝豆の小鉢を見て、「これは盛りが少なすぎる、量ってみろ」と指示を出しましたが、実際に規定の量より8グラム少なかった。それから、ワインはお客さんの右がわからボトルのラベルを上にして注がなければいけないとか、箸がきちんとそろえられて平行に置かれているか、とか。お客さんに気持ちよく食事をしてもらうために細かく気を配ることは、山のようにあります。 東京クラブ オリジナル酒を展開 今年の初めに、さらさのお父さんが日本からやってきて、東京クラブのスタッフに加わりました。彼は、日本料理のシェフで、退職前は京王プラザホテル、ジャカルタやサイパンのインターコンチネンタルでも料理長を務めた経験がある素晴らしいスキルの持ち主です。また、日本の川鶴酒造に頼んで東京クラブ オリジナルの吟醸酒「さらさ」をつくってもらいました。これからオリジナル酒の種類を増やしていきたいと考えています。 近い将来に、東京クラブ パート2を開くため、今動いているところです。志村ファミリーからもうひとり、今度はフグの調理の免許を持った板前がニュージーランドに来る予定です。今度の東京クラブは、すこし伝統的でアップマーケットなレストランにするつもりです。ただ今、ロケーションと物件を捜索中。レストランを成功させるのには、やっぱり場所が大事ですからね。
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