Vol.141 スーパーラグビーも日本のラグビー発展のために |
「スーパーラグビーはヨーロッパのリーグに比べてスピードやパワーの点においても上回っていると思うよ」これは元オールブラックで現在ITMカップのオタゴチームの監督を務めるトニー・ブラウン氏の言葉である。そんな世界最高峰のラグビーリーグとも言える『スーパーラグビー』に日本人として初めて選手登録されたハイランダーズの田中史朗選手。身長166センチ、体重75キという彼の足のサイズは24.5センチ。「おそらくスーパーラグビーの中では一番小さいと思うよ」とチームマネージャーのグラハムは言う。そんな彼がキウイやオージーそしてパシフィックアイランダーの巨体たちと対等にプレーをしている姿は「体の大きさを言い訳にしない」という自身のポリシーを最も表している。
ニュージーランドへのラグビー留学 「10歳の時にラグビーを始め、高校生になって今のスーパーラグビーである『スーパー12』というものがあることを知りました。残念ながら実家のテレビでは映らなかったので、友人に録画をしてもらい、それを観ていました。大学でももちろんラグビーをしました。そして大学の1回生の終わりから2回生の中旬までの7ヶ月間、ニュージーランドにラグビー留学をしたのです。そこで何より驚いたことは選手一人一人の強さでした。クラブチームでさえ強い選手が大勢いて、その中から更に選ばれているスーパーラグビーのプレーヤーは一体どれだけ強いんだろう? 自分もスーパーラグビーの選手として戻って来たいという気持ちはあるが、かなり厳しい道のりだろうな、と漠然と思っていました。また英語でも苦労していました。最初は言葉が通じなかったため、自分のポジションとは違うところでプレーをしなければなりませんでした。しかし、練習や試合を通して英語ができないからと言って萎縮しないコミュニケーションの取り方というのを身につけていきました。ラグビーのことや、英語を使ってのコミュニケーションなどの経験は今大変に役に立っているように思います」 ラグビー留学経験した田中選手はその後、全国大学ラグビーフットボール選手権で所属する京都産業大学のチームを9年ぶりに準決勝へと導いた。卒業後に入った三洋電機では一年目からレギュラーポジションを獲得。日本でのトップリーグの連覇に貢献した。
「今シーズン所属したハイランダーズに入る前に、2012年のITMカップのオタゴ代表としてニュージーランドでプレーしました。実はその話を最初に聞いたのもニュージーランドで、それは2011年のワールドカップの最中でした。チームメイトのジャスティン・アイブス選手から『ブラウニー(トニー・ブラウン)がITMカップのオタゴ代表にフミ(田中選手)と堀江(レベルズの堀江翔太選手)を呼びたいって言ってるけどどうする?』と言われたのです。W杯中で目の前のゲームに集中していましたから、その時は軽い気持ちで『OK』と答えました。しかし、すべての試合が終わり、日本が惜敗した後、『日本のラグビーは誰かがなんとかしないといけない』と思ったのです。そのために、まずは自分が外に出てニュージーランドのラグビーを吸収してやろう、という気持ちになっていました。その時にスーパーラグビーはまったく意識していませんでした。とりあえず自分の出来ることを一つずつしっかりとやるしかないと思っていました。そんな気持でプレーを続けていた結果、ハイランダーズからのオファーをもらったのです」 ハイランダーズのスクラム・ハーフは世界最高のスクラム・ハーフと言われている現役オールブラックスのアーロン・スミス選手。ハイランダーズに入るということはアーロン・スミスとポジション争いをするということを意味する。その結果、控え選手になる可能性は極めて高い。しかし自分自身の成長のために、なによりも、日本のラグビーのために世界トップのラグビーリーグで学ぶことは大きいと田中選手は判断した。
スーパーラグビーにおいて、田中選手は様々な日本人初ということを成し遂げている。日本人ではじめてプレーヤーとしてグランドに立つ。日本人ではじめて先発選手として出場する。日本人ではじめてトライを取るなどである。田中選手にそうしたことを聞いても必ず返ってくる言葉は「もっと、よくなるためには」という視点からの意見である。周りが見ればスーパーラグビーでの活躍であっても、本人にとっては目標のための通過点にしかすぎないのである。 「日本のラグビーとスーパーラグビーとの違いは、『選手がラグビーを知っている』、『ミスしてもプレーを辞めない』、『できないことはしない』、『しんどいことも含めてラグビーを楽しんでいる』などありますが、すべてが基本に忠実だと思います。なにより指導者がしっかり学んでよい環境を作っているという感じです。こうした点は日本のラグビー全体で学ぶべきところだと思いますので、しっかりと持ち帰りたいと思っています。僕自身はハイランダ−ズの中でのプレーはまだまだ納得がいきません。もっともっと自分の能力を強化する必要があると思います。同じポジションのアーロン・スミスはスピードやフィットネス、そしてコミュニケーション能力などにおいて、僕よりも高いものを持っていると思います。しかし、逆に同じチームで近くにいるからこそ、プレーを間近で見てそれを自分で実際に試すこともできますし、同時に『世界一に負けるもんか』という自分自身のやる気を引き起こしてくれているのです」
田中選手のスーパーラグビーでの目標は、一つには自分自身がプレーを楽しみ、学び、それを日本で広げたいということ。次に日本の若い選手がNZに来るための道づくり。そして指導者がどんなことしているのかを学び日本に伝えることだと言う。これらはすべて日本のラグビー全体のことを視野に入れたことである。2019年のワールドカップの日本開催を成功させるには、日本でのラグビーというスポーツの認知度をもっと上げる必要があると考えているからである。田中選手とメールのやり取りをすると最後に必ず「これからも日本ラグビーをよろしくお願いします」という言葉で締められている。こうした彼の姿勢は他のスポーツ選手からはあまり見られない、「みんなのために」という精神が宿っている。 事実、彼自身はこうしたことを言葉にし、思っているだけでなく、先頭に立って行動も起こしている。「自分がテレビや雑誌に出ることでラグビーを知らない人にも興味を持ってもらえれば」という思いで、すべてのメディアの取材に対して協力的であり、何度も聞かれているであろう内容のインタビューにも必ず笑顔で答えている。ラグビーをしている人たちに向けては、日本のラグビーを考えるフォーラムの場所としてフェースブック上で「ラグビーファミリー」のコミュニティーを立ち上げ、すでに5000人以上の登録者を集めている。ここで出た有益な意見や要望を日本の協会に提案していくという動きも行っている。こうした、通常はラグビー協会が行うような活動のほかにも、ラグビーをしている日本の子どもたちのためにも頑張っていることがある。 「スーパーラグビーのプレーヤーたちからサインやグッズを貰って、日本の子ども達に配る。これも僕の大切な役割だと思っています。1試合でも多く出場して世界を目指すという自分の目標と日本ラグビーのレベルを上げるという目標は僕にとっては同じベクトル上にあるものです。まずは日本でのワールドカップを成功させることが大切だと思います。そして日本の多くの人にラグビーの楽しさをしってもらえたらうれしいです」。
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