文化芸術交流、海外における日本語教育、日本研究・知的交流の3つを主要活動分野とする国際交流基金のシドニーオフィスが企画するJapanese Film Festivalが今年初めてオークランドで開催された。許斐さんは国際交流基金シドニー日本文化センター(The Japan Foundation, Sydney)のArts & Culture Departmentのマネージャーとして、映画、音楽、舞台、展示、講演など、伝統芸能からコンテンポラリーアートまで日本文化を紹介するためにさまざまなイベントを企画・運営してきた。1997年より日本映画祭を全豪の各都市で開催し、そのディレクターも担当。3本の無料上映でスタートした同映画祭は現在は世界最大の日本映画祭に成長しており、仕掛け人・育ての親でもある許斐さんにご自身の映画との関わりと映画祭の狙いについて伺った。
【Profile】
許斐雅文(このみ まさふみ)
Festival Director, Japanese Film Festival Manager,
Arts & Culture Department, The Japan Foundation, Sydney
1960年兵庫県生まれ、大阪育ち。関西外国語大学卒業。出版社勤務、英語学校経営を経て、オーストラリアのニューイングランド大学で都市計画を修学。国際交流基金では文化芸術交流を担当し、日本映画祭をスタートさせた。休日も映画鑑賞に時間を費やすが、ハリウッド映画でストレスを解消している。
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映画との関わり
小さい頃から両親に連れられてよく映画を観に行っていました。両親は自分たちが観たい映画を、私と弟はその隣で上映されている子供映画を観ていました。この頃の体験がその後の映画との関わりの基礎を作ったのかもしれません。
関西外国語大学4年生の時に就活をせず、見聞を広めようと50CCのバイクで全国を廻りました。その途中に東京にいたいことから有名ゲームデザイナーを紹介してもらい、弟子入りしました。その後、出版社で編集にかかわり、ビジネスへの興味もありましたので、英語学校も経営しました。
高校では理系だったのですが、好きな女の子が英語好きだったので英会話を習い始め、外国人と会話をしてみると世界が広がるのを感じて関西外大に入ったわけです。単純な理由ですね(笑)。英語学校では私が講師になりました。子供たちを中心に生徒が集まりました。子供に英語を教えるのには勉強として教えるより、遊びながらディズニーと触れ合うことがいいと考え、東京ディズニーランドに車で行って、DVDやCD、ぬいぐるみ、おもちゃ、壁紙などあらゆるディズニーグッズを買い漁り、学校内をディズニー一色にしてしまいました。それで子供たちがさらに集まるようになると、今度は大人が入学するようになりました。英語学校はある程度大きくなったのですが、自分自身がもっと英語を勉強しなければいけないと感じて、英語学校を手放し、30歳の時にオーストラリアに留学しました。
オーストラリアへ
英語学校でIELTSを勉強し、大学入学のポイントも比較的早く取れたので、ニューサウスウェールズ州北部の学園都市にあるニューイングランド大学に入学し、Postgraduate Diplomaの都市計画を専攻しました。その後、国際交流基金のシドニーオフィスが文化センターをオープンする際のスタッフとして採用されました。国際交流基金は文化芸術交流、海外における日本語教育、日本語国際センターでの外国人向け日本語教師の育成・日本研究・知的交流、調査研究・情報提供を行なう、外務省管轄の日本の国際文化交流の拠点です。海外21ヶ国に海外事務所22ヶ所があります。
私は主にイベントの実施を中心に活動して来ました。国が行う文化交流イベントも多いので、歌舞伎、文楽やアートなどそれに関わる良質なものに出逢えたことは今の自分の財産になっています。主な目的は日本を海外の人に認知してもらうことですから、私は映画でそれができないかと考え、3本の日本映画を無料で上映した日本映画祭を1997年から始めました。しかしながら、上映する映画は国際交流基金が世界各国に巡回させている古い映画が多く、その時代の日本を紹介するには十分ではなく、最新の日本映画を上映したいと常に感じていました。日本の本部に何度も掛け合いましたが、送られて来る映画はいわゆる有識者が選ぶ“評論家受けする映画”ばかりでした。ヒットした映画は配給側が海外に出したがらなかったり、本部が商業的にはサポートしない主旨があったりしたからです。
大きな転機
2003年に国際交流基金が特殊法人から独立行政法人に移行しました。この移行によって映画祭の有料化に踏み切ることができるようになりました。売り上げは広報や上映映画の本数を増やすことに投入しました。そうすることで毎年上映本数が増えて行き、日本で人気映画の買い付けも出来るようになり、私の想いが少しずつ形を見せ始めました。突破口となったのは2006年の日豪交流年でのJapanese Film Festivalでした。最新映画を含む15本の映画を街の中心の映画館で上映し、注目を集めるイベントに成長しました。
このところ日本映画は国内での観客が減少し、海外へ売り込む方向へ舵を切っています。また、海外で上映すると国内市場のマーケット拡大につながると言われます。とは言っても配給会社が海外に売り込むのは簡単ではありません。ですからJapanese Film Festivalは映画制作側や配給側にとって海外に売り込むいいチャンスなのです。しかしながら、日本映画一本を単独で海外のマーケットで上映しても、注目してもらえません。ですから「日本映画」という全体の底上げが大切なのです。それは「和食」や「ハリウッド映画」と同じで、ブランド化が必要なのです。また、海外では日本映画はまだ「アート系」で分類されてしまいます。「ハリウッド映画」と同列に認知してもらえるようにしたいのです。
マーケティングに力を注ぐ
昨年からJapanese Film Festivalのプロモーションと運営にシドニーにある民間のマーケティング会社に協力を仰ぎました。その結果、パンフレットなどの印刷物を廃止して、案内のほとんどをウェブとソーシャルメディアに移行しました。印刷物はチラシだけです。ターゲットが若いこと、観客の約80%は現地の人ですので思い切った決断を下しました。観客動員数にどのくらいの影響があるかが心配だったのですが、ほとんど変わりませんでした。
私たちのJapanese Film Festivalは昨年は25,000人を集め、世界で最も多くの観客を集める日本映画祭に成長しています。目標は50,000人の動員です。それには質を向上しつつ、上映本数を増やし、上映費を下げる交渉が必要です。上映本数が多ければイベントとしてインパクトが出て来ます。上映費が下がれば、街中の便利でメジャーな映画館で上映でき、広報にも力が注げ、注目度も高くなります。映画は一回の上映でいくらと上映費が決まっており、文化交流とは言え、製作・配給側はビジネスですのでなかなか上映費を下げてくれません。
オークランドでの
Japanese Film Festival
10月中旬にアデレードから始まったJapanese Film Festivalはキャンペラ、ブリスベン、パース、オークランド、シドニーと巡回し、12月上旬にメルボルンで幕を下ろします。オーストラリア以外でこのイベントを開催するのは初めてです。オークランドではまず観てもらう、若い人に認知してもらう、インパクトを出すために上映本数は10本以下ではダメだと思い、21本を持って来ました。来年も実施するためにはリピーターも生まなければなりません。そのために「るろうに剣心」(3本)、「テルマエロマエ」(2本)、「舞子はレディ」など今、旬で、分かり易い映画を集めました。また、子供が楽しめる映画はどうしてもアニメになってしまいがちなのですが実写版の「魔女の宅急便」を、日本の社会問題を写し出す作品も避けられないと思い「東京難民」を選びました。全体的に公的機関ではなかなか選ばない映画がラインアップされたのではないかと思います。
今後は、日本映画全体を海外で活性化するために、この私たちのノウハウを他の国、特にアジアで活かすことも出来るのではないかと考えています。Japanese Film Festivalは毎年この時期に開催予定です。映画を通して日本文化を再認識できるいい機会だと思います。
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