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Vol.26 時代を飾るキウイ -元オールブラックス・ドクターJohn Mayhew-

元オールブラックス・ドクターJohn Mayhew   元オールブラックス・ドクター John Mayhew さん
ニュージーランドの医師として世界で最もプレステージの高いスポーツチームに関われた誇りがあります。

テストマッチと呼ばれる、ラグビーのオールブラックスの試合で、けがでグラウンドに倒れた選手が出るとプレー続行中にも関わらず、グラウンド内を走って選手に駆け寄る人がいる。それがラグビーチームの医師だ。試合観戦中に、選手とは違った色のジャケットを着て突然グラウンドの中に入り込み、倒れ込んだ選手の元に全速力で駆け寄るので、試合の展開よりも、医師の手当のシーンに目を奪われることが多い。したがって、その存在を覚えている人も多いに違いない。
必勝を期して望んだ昨年末のラグビーワールドカップでは、大会開催期間前から計約二ヶ月半の間、オールブラックスに付きっきりで、キープレーヤーの病気やけがの治療に専念し、ワールドカップを最後に16年間務めたオールブラックスの医師から退くことになったのがジョン・メイヒューだ。
ラグビーがアマチュアからプロになる過渡期にも医師としてオールブラックスに関わり、責任の重さと精神的な負担、費やす時間が止めどなく増えたことや二度のラグビーワールドカップ準決勝でのまさかの敗退による絶望感は今だから言えることと、多忙だった16年間の過去を振り返ってくれた。
オールブラックスの医師は退くが、自らもプレーをした、好きなラグビーとの関わりは変わりなく、今後はメディカル・アドバイザーとしてニュージーランドのラグビー界で大きな発言力を持つことになる。

元オールブラックス・ドクターJohn Mayhew

John Mayhew
ジョン・メイヒュー
元オールブラックス・ドクター / ニュージーランド・ラグビー協会・メディカル・アドバイザー
Ex All Blacks Doctor / New Zealand Rugby Football Union Medical Advisor


1955年イングランド生まれ。4歳の時ニュージーランドに移住。オークランドのノースショアで育ち、ロスミニカレッジを経て、オークランド大学医学部卒業。自らもノースハーバー地区のノースコート・ラグビークラブでプレー。1988年以来オールブラックスの医師を務め、数々のオールブラックスの歴史的勝利や敗退を目の当たりにする。2003年のワールドカップをもって退くことを決める。3人の息子もラグビープレーヤー。

16年間務めたオールブラックス・ドクター
1988年から2003年まで16年間で5人のオールブラックス監督に仕えた。

私は医学を学びながら、自らもオークランドのノースショアにあるノースコート・クラブでラグビーをプレーしていました。オークランド大学医学部を卒業して、二年間ロンドンでスポーツ医学を学んで帰って来た年、1985年にオークランド・ラグビー協会がハーバーブリッジを境にノースハーバー・ラグビー協会と分割されることになり、私が地元でラグビー経験者だったためか、運良くノースハーバー・ラグビー協会の医師として選手のけがや病気を診ることになりました。
そして、88年、オールブラックスが第一回ラグビーワールドカップで優勝した翌年、ニュージーランド・ラグビー協会からオールブラックスの医師をやってみないかと打診がありました。まだラグビーがアマチュアの時代でしたので、医師でももちろんお金を得ることはできませんでした。しかし、オールブラックスの医師になると言うことは非常に名誉なことです。たとえお金を得ることができなくても、本業である診療所の医師の仕事がパートタイムになっても、オールブラックスに関わることができるということで快諾しました。ラグビーがプロとなった今では、オールブラックスに関わるあらゆるポジションが公募され、志願した人が書類審査、面接を受けてポジションを得ることになります。
以来、2003年末まで、16年間オールブラックスの医師を務め、5人の監督と喜怒哀楽を共にし、4回のワールドカップを経験し、計131のテストマッチに関わりました。ニュージーランド・ラグビー協会で一人が16年間も同じポジションを務めた前例はありません。私なりにその理由を考えると、キーメンバーとの信頼関係が私をオールブラックスの医師につなぎ止めておいてくれたのではないかと思います。オールブラックスは毎年メンバーを更新しますが、キーメンバーは数年間は不動です。16年間のうち、毎年それぞれ4?5人ずつ、計20人ほどの中心選手との間に医師と患者としての信頼関係があったからです。そのうちにニュージーランド・ラグビー協会のメディカル・アドバイザーの職にも就くことになりました。

医師もプレーヤーと同じ気持ち
オールブラックスの医師として最高の瞬間が二つあった。

16年の間に忘れられない瞬間が二つありました。一つはオールブラックスの医師に就任した直後から3年間、1988年から1990年までは伝説のキャプテンといわれたバック・シェルフォード率いるオールブラックスはテストマッチで一敗もしなかった黄金時代です。今でもオールブラックスの歴史上、最強チームといわれています。そんな時代に、私は新前でしたが、オールブラックスの医師としてオールブラックスのスタッフでいられたことは夢のようでした。
もう一つは、1996年に南アフリカに遠征して、3勝1敗での敵地での勝ち越しです。それまでオールブラックスは南アフリカの敵地に遠征しても勝ち越したことはありませんでした。この勝ち越しは私だけではなく、当時オールブラックスの選手、フタッフみんなが生涯忘れられないほどの出来事だと感じていると思います。
また、絶望にも近い脱力感を味わったことも二度あります。1999年と昨年のワールドカップ準決勝での敗退です。フランス、オーストラリアに負けました。絶対勝たねばならない、絶対勝てる試合に負けてしまったからです。
オールブラックスは世界で最も観客を集められるラグビーチームです。テストマッチになれば、スタジアムは満杯になり、オーラが立ちこめます。オーストラリアのワラビーズとのテストマッチになれば10万人近くの人が観戦します。私も応急処置のできるバッグを持ちフィールドに立つと、緊張感が走り、鳥肌が立つほどです。もし自分がプレーしたら、プレーできたら、とテストマッチの度に思います。しかし、ニュージーランドの医師として世界で最もプレステージの高いスポーツチームに関われた誇りがあります。

特に多忙だったこの二、三年
スポーツチーム所属のプロの医師として多くが求められた。

1999年のワールドカップ準決勝での敗退で、次回の2003年では絶対勝たねばならないという雰囲気になりました。2001年あたりから、2003年に向けて完璧な準備を進めていました。しかし、中心選手のちょっとやっかいな病気やけがが重なるようになりました。ウイングのジョナ・ロムが腎臓疾患からカムバックし、活躍していたのですが、再発し、プレーできない状態まで悪化してしまいました。現在彼は定期的に透析をしていますが、移植が必要になると思います。
また、フルバックのレオン・マクドナルドは度重なる脳しんとうで長い間プレーすることを禁じられていました。ラグビーでは脳しんとうになると、二週間プレーしてはいけないルールがあります。彼は脳しんとうが何度も重なり、試合中に気を失って運び出されることも何度かありました。オールブラックスとして選ぶべきかどうかの議論になりました。監督は選びたい、本人もプレーを切望したため、精密検査を何度も行い、異常が見られませんでしたので「脳の定期的検査を続け、様子を見ながらならば試合で使える」と判断を下しました。判断を間違えることは許されません。オールブラックスの勝ち負けに大きく影響することですし、そのうえ、命にまで関わることだからです。今年から彼は日本でプレーすることになりますが、大きなリスクを抱えながらのプレーは心配です。
また、昨年のワールドカップではタナ・ウマガは初戦で左ひざ靭帯を痛めました。結局その後は試合には出なかったのですが、私は最後の二?三試合はプレーできると判断しました。しかし、監督のジョン・ミッチェルはタナを使いませんでした。キレがないと判断したためです。メディアはタナのひざは回復の見込みなどなかったのに、オールブラックスは相手チームを惑わすための情報を流したのではないかと問いつめました。そんな情報戦争は今では当たり前になってきているからです。私は本当にタナがプレーできると判断したのです。

家族との時間
オールブラックスの医師は拘束される時間が莫大なものになる。

現在はノースショアにあるミレニアム・インスティチュート・スポーツ&ヘルスのメディカルセンターに勤務しています。ここはジム、プール、グラウンド、宿泊施設、レストラン、カフェ、メディカルセンターを備える、ニュージーランドのあらゆるトップチームが合宿に訪れるほどのスポーツ総合施設です。
オールブラックスと関わっていた時はメディカルセンターでの診療は週二?三回、後はオールブラックスの医師として、チームに同行したり、協会ではメディカル・ミーティングに出席したりしていました。どの仕事もパートタイムの仕事ですが、フルタイムの仕事をしていてもその仕事が永久に続く保証はありません。考え方によっては16年も同じ仕事をしていたということはフルタイムの仕事ととらえていいかもしれません。
2003年はワールドカップのため、6か月間は家に帰れませんでした。オールブラックスの医師を退くことを決めて、家族が喜んでいます。名誉職で誇りに思うのですが、家族と一緒にいる時間が取れませんでした。今後はここのメディカルセンターでの診療を今まで通りに、そして、民間の保険会社のメディカル・アドバイザーのポジションに就きます。ニュージーランド・ラグビー協会のメディカル・アドバイザーの仕事は今までどおり続けて行きます。

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