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Vol.37 時代を飾るキウイ -ニュージーランド マッド・ブッチャー創業者

サンプルイメージ   肉屋チェーン マッド・ブッチャー創業者 Peter Leitch さん
ワーキングクラスのヒーロー

2004年12月11日付けニュージーランドのテレビ・ラジオ番組雑誌『LISTENER』が発表した「ニュージーランドで最も影響力のある50人」は1位に首相ヘレン・クラーク、2位に映画監督ピーター・ジャクソンが選ばれ、政治家、官僚、ビジネスマン、ビジネスウーマン、起業家、マオリの実力者、スポーツマン、スポーツウーマンなどが名を連ねている中でひときわ異彩を放っている人がいた。おどけてみせる独特なキャラクターで自らを売り出し、学歴もなく、労働者階級のヒーローと言われ、その親しみやすさから最も人気のオークランダーと言われている。それは41位にランクした、マッド・ブッチャーことピーター・レイチだ。肉屋チェーンで成功していることで名を連ねたと言うよりも、労働者のラグビーと言われるラグビーリーグへ注ぐ情熱でニュージーランド中に知られ、その上、各地域へのチャリティー活動への貢献が評価されたと言うのが理由だ。
現在はセミリタイアし、もっぱらラグビーリーグのサポーターと様々なチャリティー活動に精を出している。自らはスポーツマンではなかったが、ラグビーリーグのクラブのスポンサーになった事からスポーツへのサポートにかかわり始め、そこから地域貢献となるチャリティーへと活動が広がって行った。今ではニュージーランドのチャリティー活動の顔と言っても過言ではない。
インタビュー文面は毎月どおり「です」「ます」調で記されているが、今月に限り「だ」「だよ」調をイメージして読んでいただきたい。それが最もマッド・ブッチャー、ピーター・レイチらしいからだ。

ニュージーランド マッド・ブッチャー創業者

Peter Leitch QSM
ピーター・レイチ
肉屋チェーン マッド・ブッチャー創業者 / Mad Butcher Meat Chain founder

1944年ウエリントン生まれ。15歳で学校をドロップアウトし、様々な職に従事したあと、オークランドで肉屋を開業。以来、マッドブッチャーチェーンとしてニュージーランドに29軒のフランチャイズショップがある。ラグビーリーグのボーダフォン・ウォリアーズの熱狂的サポーターである事はあまりにも有名。サインを求められると「Best of Luck, Your Mate, The Mad Butcher」を付け加える事を忘れない。妻ジャニスとの間に二人の娘がいる。三人の孫のおじいちゃんでもある。

気違い肉屋?
おどけたウォリアーズのサポーターと抜け目のないビジネスマン

オークランド南部のプケコヘの町の道の真ん中で突然車を止めて飛び下り、汚い言葉を発しながら、道行く人にウォリアーズマガジンを配り歩いている変な奴を誰が成功したビジネスマンだと思いますか?
また、オーストラリアで行われたラグビーの試合前に、スタジアムに続く道の真ん中でほとんどオーストラリア人に囲まれながらニュージーランドの国歌を唄い、ハカをやる奴を誰もが不思議に思うでしょう。
自分はこの相反する二つのキャラクターの両方を持っていると思います。もちろん馬鹿げたキャラクターを演じている訳ですが、多くの人がこれがマッド・ブッチャーの仕事だとは思っていないでしょう。
私は7人兄弟姉妹の末っ子で、2人の兄、4人の姉がおり、父親が南島ウエストコーストで炭坑夫として働いていた典型的な労働者一家にウエリントンで生まれました。15歳で学校をドロップアウトし、郵便局、小売店や肉屋で働いたあと、オークランドに出ました。最初に就いた仕事は墓地の墓掘りでした。その後、肉屋に仕事を見つけ、ソーセージと肉の卸売りをやっていました。ここで初めてしっかりとした仕事を身に付けたと思います。そして、肉屋一軒をまかされるようになり、それと同時に夜に床磨きの仕事をして、お金を貯めました。その後、1971年にオークランド南部のマンゲレに自分の店を持ちました。この店がマッド・ブッチャーの原点です。当時は夜11時まで働き、そのあとは床磨きの仕事をし、家に帰って数時間の睡眠の後、再び肉屋に戻るという生活を続けました。妻のジャニスはその当時、5年間私と会う事がなかったと言うほど目まぐるしい生活が続きました。
現在マッド・ブッチャーはニュージーランドに29軒のフランチャイズショップがあります。「We Discount the Price…Never the Quality!」をキャッチフレーズに正直な値段とそれに見合う品質を維持し続けてきました。母親がいつも言っていた「自分が接してもらいたいように、お客さんと接しなさい」が経営のポリシーです。

労働者階級のラグビー
店の近くにあるラグビーリーグのクラブをサポートすることからすべてが始まった

私が肉屋チェーンを経営していると言うより、ラグビーリーグのサポーターだと言う事で私の名前を知っている人の方が多いのではないでしょうか?
私はもともとスポーツマンではありません。時々、カヤックやソフトボールを楽しんだくらいです。ですから、自分からスポーツをサポートしようと思った訳ではないんです。ましてや、ラグビーリーグにここまで関わる事になるなんて思ってもいませんでした。始めは、店の近くにあったマンゲレ・イースト・ラグビーリーグ・クラブがクラブをサポートして欲しいと店のドアをノックして来たのです。クラブで行う「ラッフル」と言う、資金集めの景品となる肉のパック詰めを安く売ってくれないかとお願いに来たのです。「ラッフル」は、クラブのメンバーなどがクラブハウスでビールを飲んでいる時にイベントの一つとして行う景品くじの事です。1~40までの数字のついた札を一枚1~2ドルで買ってもらい、当選の数字の札を買った人にパック詰めの肉が当たるくじです。このくじを1日数回やる事で、クラブの資金集めに大きく役立ちます。毎週のように店に「ラッフル」用の肉を買いに来てくれるので、クラブとの信頼関係ができ、それ以来クラブの各チームの試合結果が気になるようになりました。毎週試合結果をチェックするためにクラブに足を運び、クラブのスタッフや選手とビールを飲みながら交流を持ち、どんどん親しくなって行きました。その後、クラブのメインスポンサーになり、チームのジャージの胸にマッド・ブッチャーのロゴを入れるまでになりました。私は忠誠心が強いので、一度仲良くなったら、浮気はしません。今でもマッド・ブッチャーはマンゲレ・イースト・ラグビーリーグ・クラブをサポートし続けています。
ラグビーリーグは労働者階級のラグビーと言われ、オールブラックス、スーパー12やNPCなどのどちらかと言うと貴族のラグビーと言われているラグビーユニオンとは違う13人制のラグビーなのです。私自身の出自から言ってもラグビーリーグをサポートするのが自分らしいと思います。どんなに成功しても自分はワーキングクラスの出身である事は忘れません。

19人目の戦士
ボーダフォン・ウォリアーズが背番号19をプレゼントしてくれた

90年代初めにクラブが18万ドルの借金を抱えて、倒産しかかりました。クラブが私を再建委員に選び、資金調達プランを作る事になりました。私の再建策は有名選手やメディアの著名人をクラブに呼び、講演会や交流会を企画し、その入場料やそこで行われるオークションでの売り上げで借金を返済するというものでした。当時オーストラリアではスーパースターと言われたウイリー・ルイスも呼びました。私がウイリーにクラブの借金返済に協力して欲しいと連絡すると、ウイリーは「分かった。クラブのために行くんじゃない。お前のために行くんだ」と言ってくれました。クラブにはオークランド中から彼のファンが集まり、立錐の余地もないほどの人で溢れかえりました。南オークランドの一クラブにスーパースターが来てくれた驚きと感動で会場は水を打ったように静まり返っていた事を今でも覚えています。
再建策でクラブを立て直すうちに、ますますラグビーリーグにのめり込むようになりました。1995年に初めてニュージーランドのラグビーリーグのチームがオーストラリアで行われていたナショナル・ラグビー・リーグに参戦する事になりました。このチームが今のボーダフォン・ウォリアーズなのです。私は毎試合ウォリアーズをサポートするためにツアーを組んだり、会報や雑誌を作ったり、イベントを企画したりしました。私設応援団長を買って出たようなものでした。その甲斐あってか、2001年にウォリアーズの親善大使の役職をもらい、さらに背番号19を自分の番号としてプレゼントされました。私以外に背番号19を着る事が出来ない、永久番号ですので、非常に名誉な事です。
今までのハイライトは2003年に優勝決定戦となるグランドファイナルに進出した事ですね。オークランドからはツアーを組み、オーストラリア在住のニュージーランド人には無料チケットを配ってサポートしてもらいました。結果は負けてしまいましたが、ニュージーランドのラグビーリーグ史に残る画期的な年でした。
また、ニュージーランド・ラグビーリーグ協会の親善大使にも任命され、ラグビーリーグのニュージーランド代表チーム「キゥイズ」の裏方として関わっています。

QSM
1991年に地域への貢献が認められ、Queen’s Service Medalを受ける

ラグビーリーグへのサポートを始めて以来、他のスポーツにも関わる事が増えてきました。資金的、物質的(この場合ほとんどが肉やソーセージですが)に援助をお願いされるのです。しかしながら、全てをサポートする事は不可能です。公平に全ての依頼先からの話を聞いて判断します。何よりもまず、自分とスタッフの家族を食べさせ、なおかつ会社が利益を生み出すなら、サポートをしていいと思います。とは言っても結局は個人の好き嫌いに負うところが大きいでしょう。
今ではスポーツばかりではなく、様々な非営利団体や個人のサポートにも関わるようになりました。動物愛護協会、関節炎協会、難読症協会、子供をドラッグと煙から遠ざける協会など、今まで関わって来たサポートやチャリティーは数知れません。これらの地域貢献が認められて、1991年にQueen’s Service Medalを受ける事になりました。
地域貢献がビジネスに役立っているかと良く聞かれますが、それは分かりません。そう考える事には興味がないと言っておきましょう。ワーキングクラス出身の私が同じ境遇の人たちを助ける事が、セミリタイアした今の私の人生で、その人生を大いにエンジョイしているのですから。

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