1970年3月14日に開幕した大阪万博。 当時、小学生だった良子は親に頼んで英単語の本を買ってもらう。以来、時間があればそれを開いていた。 その後も良子は海外への思いを募らせ、旅行会社に就職をした。 「添乗員として初めの頃の主な行き先はヨーロッパやアメリカでした。ニュージーランドに来たのは数年経った87年。そのときの感動は忘れられません。正確に言えばニュージーランドというよりオークランドが気に入ってしまいました。街の中に自然が点在していて、適度に都会で適度に田舎で。なによりも寒くないという気候が快適でした。温度、湿度、そして太陽。私のイメージしていた海外にぴったりで、そのときにはすでに私はここに住むと勝手に決めていました。ただ、それじゃあ明日からオークランドで生活します、というわけにはいかないので、帰国してすぐにニュージーランドへ添乗する仕事の希望を出しました。この仕事を他の人には譲りたくなかったので、この国についても猛勉強しました。それが認められたのでしょうか、ここへの仕事はほとんど私に廻ってくるようになりました。多いときには1年に10回くらい来ていました」 夢中になるとまっすぐに進んでいく。目標を定めたら決してあきらめない。良子はオークランドという目標にゆっくりではあるが確実に近づいていった。 97年に学生として入国。そこで今の夫であるDouglasさんと知り合い結婚。良子は次に、ビジネスを立ち上げるという目標を作った。 「実は日本で仕事をしていたときからの大きな夢でもあったのです。最初は旅行に関することで始めていきました。私自身がこれまで培ってきたことは旅行関連の仕事だったからです。ただ、それだけでは物足りない感じがしていました。そこで自分がここで経験したことをそのまま生かせることがないかと考えたときに浮かんだのがブライダルのコーディネーションでした。そうやって少しずつやりたいことと、できることを集めていきました。ロングスティや留学、夫の得意分野である不動産投資のコンサルティングなどにも広げています」 良子は自らをNZライフコンサルタントと呼ぶ。ニュージーランドでの生活すべてを手助けするという。 実は私自身、ここに来て間もない頃、週NZ$500のアパートに住んでいたことがあります。シティの真ん中でビルの最上階でロケーションは最高でした。値段は日本円で考えていたのであまり気にならなかったのですが、今考えるとそれはコストも場所も必ずしもベストの選択とは言えなかったような気がします。住むところに関して言えば、ワーキングホリディで来ている若い方々はどんどんフラッティングをしてキウイやその他の国の人と交流を持つことも大切だと思います。しかし年齢の高い方や、ご夫婦で来ている方は少し事情が違います。アパートやユニットなどの方が落ち着く場合が多いのです。そこで一番必要なのは場所や相場などの情報です。そういった話をするときに自宅兼オフィスは生活の匂いがするからでしょうか、非常に相手に伝わりやすいのです」 毎日の生活の中で気がついたことや感じたことを良子は仕事に反映させている。 「できるかぎり街には出るようにしています。レストランやカフェなど新しいものを発見したときにはうれしいですね。日常生活そのものが私にとってはリサーチです。特に家、不動産に関しては小さな物件でも足を止めて覗いてみます。そしてどんな些細なことでも疑問が湧いたらメモをとって帰ります。家に帰れば専門家がいるわけですから。そうやって私が感じたことを紹介することによって、多くの人にここでの生活を楽しんでもらいたいと思っています。同時に私も楽しんでいきたい。その目標として何年後かにはオークランドに日本の歌手を呼んでコンサートを開きたいですね。そのときはもちろん私も歌いますよ」 エンターティナーの資質を持っている良子は「演出」ということを大切にしている。その手段としてどのお客さんにもBBQパーティーを開いてキウイの生活を紹介している。パーティーに招待する人や数には細かく気を配り、演出効果を考えている。 「私が友人を誘ってパーティーを開きます。そこへお客様を招待するのです。誘う友人はその年齢や性格によって選びます。例えばロングステイをされている方でも海外勤務の経験がある人の場合、キウイの友人ばかりを呼んだ方がよろこばれます。そういうときは私もその場では英語で会話をします。逆にそうでない方にはキウイと日本人の友人を半分くらいずつにして言葉の面で浮いてしまわないようにしています。そういったひとつひとつのことを大事にしてきましたし、これからもちょっとしたことにも目を向けていこうと思っています」 |
|