ニューマーケットとパクランガにスタジオを持つ女性専用フィットネスクラブ「mainly women」でエアロビクスのインストラクターをする上原陽子。彼女のステージは英語というハンディを感じさせることなくキウイの会員からの人気を着実に上げてきた。そこには経験と知識に裏づけされた自信と、言葉以外でも伝えようとする強い意志があった。 大学在籍中にフィットネスクラブでアルバイトを始めてそこでエアロビクスに出会いました。それからどんどんその魅力にはまっていき、エアロビクスに関わるところで働きたいと思い、卒業後そのクラブに就職しました。 でも、そこでは私がエアロビクスのインストラクターとしてステージに立つことはありませんでした。通常、それをクラブの社員がすることはありません。外注になるのです。私のような社員の仕事はジムのトレーナーやスイミングのコーチといった実践的なこともありましたが、受付や総務的な業務など、クラブの運営に携わる内容がほとんどでした。そういったことも好きですし、勉強にもなりました。しかし私が本当にやりたい仕事はエアロビクスでした。それで2年後にはフリーランスのインストラクターになったのです。 ところが、ある時にふと、将来に不安を感じたのです。このままインストラクターを続けられるのだろうかと。今まで好きだというだけで突っ走ってきたので少し充電して考えてみようと思い、それで海外に出てみたのです。 渡航先をニュージーランドにした理由はワナカにフィットネスクラブを経営している友人がいたから。シンプルな理由であった。 オークランドに到着後、語学力に少し不安があったので数ヶ月は英語を勉強しようと思いました。その後にワナカの友人を訪ねて働かせてもらうつもりでいたのです。しかし、私が学校に通っている時にそのクラブが倒産したという連絡を受けたのです。 帰る理由と残る理由。そのジレンマに陥っているときに友人に教えてもらった一行の新聞広告が陽子にとって転機となった。 オークランドの新聞ニュージーランドヘラルドに載っていたエアロビクスのインストラクター募集広告でした。電話してみると明日、来てくれという返事。着替えや靴を鞄に詰め込んでスタジオに向ったのです。日本での選考は一人一人時間をとって、動きなどの審査をされます。しかし、ここでのテストは日本とは違っていました。マネージャーは私を実際のクラスに出し、会員さんの前でレッスンをさせたのです。言われるままにステージに上がり、60分のレッスンを2本。しばらくの間エアロビクスもしていない、まして英語だってまともに話せない。初めは無我夢中でステージに立っていましたが、ほとんど何もできていない自分がだんだん情けなくなってきました。「私は何をしてるんだろう?最近まともに体も動かしてなかったのにどうしてここに立ってしまったんだろう?」
しかし、レッスンを受けている人には迷惑はかけられないという思いで必死に続けていましたが私にはギリギリのところでした。もうあと5分時間が長かったら、その場から逃げ出していたかも知れません。そしてレッスン終了、同時にオーディションも終了しました。「それじゃあ、来週から来てね」恥ずかしさのあまりステージからすぐに更衣室に向おうとした時に、マネージャーが言ったその言葉の意味を私は理解できませんでした。多分、日本語であったとしても同じように聞き返していたと思います。まさか合格するなんて夢にも思いませんでしたから。 日本とニュージーランドの違い。それは陽子がチャレンジしたエアロビクスにも当然のように存在していた。 始めてすぐにクレームが山のように飛んできて、レッスンのある日には体調が悪くなるくらいでした。私は当初、ビギナークラスを担当していたのでプログラムもそのように組んでいました。すると多くの会員さんから、レッスンが簡単すぎるというクレームをもらったのです。日本であればそういったことは通常マネージャーを通してインストラクターの耳に入ってきますが、ここの場合はすべてダイレクトです。 自分のスタイルをニュージーランドで表現する方法を探し、陽子は色々なフィットネスクラブを見て周った。 ある一つの大きな流れを感じました。それはみんな同じ音楽、同じ動きをしているということでした。インストラクターの動きも同じなのです。流行の曲がかかると、みんなで歌いだす部分も同じなのです。 熱意が認められて、所属していたmainly womenのサポートを受け今年の5月にワークビザを取得。いよいよニュージーランドで本格的にエアロビクスに取り組むことになった。 ニュージーランドのインストラクターの多くはレッスンの開始5分前に来る人が多いのですが、小心者の私には到底、真似のできないことで、日本にいた頃と同じように30分前にはスタンバイしています。それで会員さんとのコミュニケーションが多く取れます。なにより嬉しいのは私の考え方を理解してくれる人が増えてきたのです。 |
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