ニュージーランドで音楽シーンを語るときにあまり表に出ない、あまり人々の口からは語られないオークランドのノースショアで結成されたロックバンドがある。とは言っても、すでに世界のメジャーな都市でのデビューを果たし、評論家の間では70年代のニューヨークパンクの影響を受けた「キウィ・ガレージ・パンク・ロッカー」と評され、CDの売り上げも着実に伸び、ブレイク間近と言われている。結成当初から、ニュージーランド国内よりは海外に目標を置き、渡航費を自前で稼いで、出来る限り海外でのライブを地道に行ってきた成果がこの数年の間にようやく実を結んできた。 ● 初めての海外ツアーが日本 「The D4」は1997年にノースショアで結成されました。私とジミーは幼い頃からお互いに顔見知りでしたが、それぞれ違うバンドで活動していました。バンドとは言ってもそのころはまだ10代の半ばで、バンド仲間が集まって活動していたにすぎません。この頃、たまたま共通の知人の家でパーティーがあり、初めてジミーと話す機会がありました。お互いにやりたいのがロックンロールだということで意気投合し、その後しばらくしてから、他に二人を加えて、バンドを作って一緒にやることになりました。バンド名の「The
D4」の意味は私とジミーしか知りません。よく取材で意味を聞かれるのですが、全て嘘を言っています。みなさんがいままでにインタビュー記事で「The
D4」の意味について書かれているものを読んでいるかもしれませんが、それらは全て嘘ですよ。意味が知られるときは「The D4」が解散するときです。 ● アメリカでのデビューはニュージーランドを世界の音楽地図に載せることに 日本でのツアーの後から、徐々に自分達のロックンロールが理解されるようになってきたのを感じました。2001年末にデビューアルバム「6TWENTY」をニュージーランド、オーストラリアでリリースし、2002年1月にオークランドのビッグ・デイ・アウトに参加し、3月アメリカ、テキサスのサウス・バイ・サウス・ウエスト・フェスティバルからも誘いを受けました。その後、ヨーロッパ、アメリカツアーを行いました。ちょうどヨーロッパツアーの際、ロンドンでニュージーランドのバンド「The
Datsuns」や「HIVES」を見出したアラン・マッギーに会い、デビューアルバムの中にある「ROCKNROLL MOTHERFUCKER」をシングルカットして、イギリスとフランスでデビューすることになりました。その後、「6TWENTY」も発売になり、これで弾みが付きました。「6TWENTY」は2003年にアメリカでもリリースされました。アメリカではハリウッドレコードとの契約となり、ニュージーランドのアーティストとしては最大の契約と言われ、ニュージーランドロックの地位を上げたとまで言われました。この当時は集中的にアメリカ全土を西から東へと渡り、再びテキサスのサウス・バイ・サウス・ウエスト・フェスティバルに参加し、さらにカナダまで足を伸ばし、延べ4か月ほどのツアーを行いました。 ● ニュージーランドよりも海外で売れている 「The D4」を作った時から、世界で通用するロックバンドを目指しました。ですから、世界のいろいろなところでライブをやってきたんです。問題はやはり、お金でしょう。これが解消されれば、世界はグッと近くなると思います。演奏したい曲があって、バンドを作って、地元のライブハウスでライブをやり、オリジナルの曲を作る。そこまでは誰でもできると思います。「The
D4」はその先のことをやったわけです。つまり、海外に出たのです。それは、コンタクトを拡げる、多くの人に出会うというメリットを考えたからなのです。 ● 曲だけではなくパフォーマンスも CDを買って、曲を聴いてくれるのはうれしいのですが、ロックンロールパーティーになる、ライブを楽しんでもらいたいです。ダンスフロアと化すライブ会場では、オープニングからフルスロットルです。イギリス、サザンプトンで行われたライブでは会場が盛り上がってくると、いつものようにディオンが客席にダイブをし、あやまって、ビールグラスの上に落ちて出血。全身血まみれになって、最後までライブをやり終えましたが、ライブ会場が血だらけで、羊の屠殺場のようになりました。このような感じで、ライブはダイブする人が続出し、盛り上がらないショーは今までにありません。自分達がノレばお客さんも大ノリにノッてくれますからね。今年5月の東京でのライブではディオンがダイブする前にお客さんの方が先にダイブしてしまったんですよ。日本のファンの間では「The
D4」のライブはダイブショーと思っているかもしれません。 ● ドリーム・カムズ・トゥルー 「The D4」を作った時は世界中に演奏旅行に出かけ、多くの人に会い、ライブをやることが夢でした。今はそれが実現し、夢が叶ってきていると思います。収入もほんの少しだけ、増えてきました。しかし、まだ満足はできません。逆に自己満足していたら、このままで終わってしまうでしょう。 最近ではビール会社がオリジナルソングの「COME
ON!」をテレビコマーシャルのBGMに使いたいと言ってきました。もちろん、使用料を払うと言うオファーでした。しかし、断りました。理由は明かせないのですが、このビール会社と組むことはどうしてもできなかったのです。そこで、このビール会社は独自で「COME
ON!」に似た曲をレコーディングして、BGMに使っています。あの曲は「The D4」の曲ではないので、間違えないで下さい。
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