他の国の文化を受け入れようとするときに一番保守的になる部分が味覚であると、オークランドのマウントイーデンでジャパニーズテイストの洋食店を開いている西さんは言う。 塩加減が強すぎない料理、甘いだけではなくほんのりと苦味のあるデザートなど、我々日本人に馴れ親しんだ味でキウイの味覚に勝負を挑んでいる。
それで、早くこの世界に入りたくて高校生になって、すぐにステーキハウスやカフェでアルバイトを始めました。自分の好きなことなのでアルバイトとはいえ、一生懸命に働き、高校生であるにもかかわらず、カフェ一軒を任されていた時期もありました。 卒業後は当然、調理学校に進むことを考えていました。しかし、すぐにニュージーランドに来たのです。目的は英語を覚えるためでした。洋食の場合、フランス語やイタリア語が必要だと思われるかもしれませが、実際には食材なども英語で言われていることも多いですし、本なども英語で書かれている場合が多いので、今の時代は英語が必要だと思い、92年に語学留学でハミルトンに来ました。1年後、予定をしていた留学の期間が終わり、日本へ戻ろうとしたのですが、僕自身はこの期間で英語がしっかりと身についたかどうかについては疑問符が残っていましたので、今度はロトルアの英語学校に通い始めました。しかし、英語だけを学んでも面白くはないので、自分の好きなことを学べるポリテクの料理学校に通うことにしました。そして卒業後はロトルアのホテルの厨房に就職しました。 ホテルのレストランスタッフが総勢50名以上と言っても、セクションは細分化されていました。僕が所属した洋食のレストラン部門は、その上司を含めても常時わずか4人しかスタッフがおらず、毎日、ランチ、ディナーの支度に追われていました。そんな中、その上司はデザートのメニューを一新する計画を打ち出し、週に一回の会議を持ち、それぞれ5、6パターンの案を出すことになったのです。しかし、新しいメニューを落ち着いて考える時間など、どこにもありません。また、会議に出す案は出来あがりをスケッチして提出しなければならないので、絵も描かなければならず、いずれにしても時間が足りませんでした。今考えれば、どんなに忙しいときでも常に新しいメニューを考え出すためのいい練習になっていたと思いますが、当時は苦しいだけでした。なんとかひねり出した絵でも、上司の手によって破られるのは1秒もかかりません。1ヶ月に1、2枚採用されれば良いほうでした。なにより難しかったのはその上司にはパターンがないということでした。この人はフォンドボーが好きだとか、クリーム系が得意だとか、普通はそれぞれ、好みや、得意な材料や組み合わせがあります。しかし、この上司にはそれが全くありませんでした。ですから、前回、クリーム系で採用されたからといって、この人はこういうものが好きだと判断して、次回にもクリーム系の案を提出すると「前回と同じだ」とゲキを飛ばされます。このゲキによってずいぶんと僕のパターンが広がりました。 やがてその上司が転勤になり、次の上司がやってきました。次の上司は前任者とは打って変わって、非常に穏やかな人でした。ただ前任者同様、料理の腕は尊敬すべきものがあり、普通ではなかなかは入れない、オーギュスト・エスコフィという西洋料理の基礎を作った料理人の協会に入っている人でした。 この上司は最初は自分で作り、味を決め、その後は僕達に任せてしまうタイプでした。そのために今度は自由にのびのびと仕事に取り組め、また任されているという気になり、自分たちで色々とメニューを研究する機会が増えました。 こうして何年かホテルで働いているうちに再び、ニュージーランドへ行くことを考えるようになりました。このままホテルにいれば安定はするが、こういった組織の中では上に行けば行くほど、現場の仕事から外れ、マネージメントの仕事の比重が大きくなります。それは僕の意に反することでした。それで、パーマストンノースの日本食レストランで働き始めました。そこではお客さんは主にスチューデントで、数や量が勝負でした。 ビストロ・ユーロアジアでの楽しみの一つは、日本で食べていた料理と同じ味が楽しめることである。 オークランドで気軽に洋食を楽しんでもらう事ができる店を目指して僕が「ビストロ・ユーロアジア」をスタートさせたのは02年の3月からでした。そのために店名もレストランではなく、ビストロにしたのです。 開店するにあたって、メニューの量と味を決めることには少し頭を悩ませました。量ではキウイと日本人との違いと言うのもありますが、同じ日本人でもこちらに長く住んで他のレストランの一皿のボリュームに慣れている人と、まだ来て日が浅い人とでは感覚が違います。ですから日本のレストランよりもボリュームを多くする必要がありました。味を決めていくのは更に悩みましたし、未だに悩んでいるところもあります。多人種を相手に味を決めることは容易ではありません。味覚は個人の主観的なものでありますし、他の国の文化を受け入れるときに一番保守的になる部分ですから万人に合わせるというのはほとんど不可能なのかもしれません。現在は一人でも多くのお客さんに美味しいと言ってもらうために、ヨーロピアンとアジアンでは塩加減を変えたり、ソースのバターの量を変えて調整しています。また、リピーターにはその人に合った味を出すようにしています。 全体のメニューでは、設定する時にある程度、対象を絞り込んでいます。たとえばうちではヨーロピアンに人気があるのはチキンの料理ですから、チキンはヨーロピアンに合う味にしてあります。一方、前菜などは日本人に合うようにしてあります。 最近はアメリカ人やオーストラリア人の影響でしょうか、雰囲気ではなく、自分の好きな味を求めてレストランを選ぶ人も増えてきています。そのため、うちを気に入ってくれ、うちの味のファンになってくれるキウイが少しずつ増えてきました。また、貸切りでパーティをする人も増えています。そういった場合は予約の時点で、質を重視するのか量を重視するのか聞くのですが、質を重視する人の方が圧倒的に多く、これはキウイでも日本人でも同じです。 ビストロ・ユーロアジアでのもう一つの楽しみは、西さんがニュージーランドの材料で試行錯誤して完成させたデザートである。それは味だけでなく、飾り付けにも反映されており、ホッとさせてくれる優しさや、繊細さを感じることができる。 デザートもキウイ用とアジアン用と大まかに設定しています。日本人に人気があるのは抹茶を使ったブリュレで、甘みを押さえて抹茶の苦味が効くようにした定番メニューにあるデザートです。これは完全に日本人用に作ったのですが、なぜか最近はキウイのファンが多くなってきています。
今は前菜、メイン、デザートなど、どれをとっても季節感のある皿を出していくことを考えています。僕が知っているバリエーションと言うのは多分、料理という大きなカテゴリーで考えたら、ほんの2、3%でしかないと思っています。まだまだ、広げていく必要を感じています。ですから、ちょくちょく日本に電話をして今のトレンドを聞くことは欠かせません。 また、美術館ヘ行ったり、美術書などを見ることも僕にとっては勉強です。きれいなものを見て、それを感覚的に捉えておくことは、盛り付けには大切な要素になります。この国では自然の風景などもいい教科書になります。 今後もまだまだ、勉強を続けて行こうと思いますし、メニューの数ももっと増やしていく予定です。それで、いずれは洋風居酒屋のようにしていきたいとも思っています。 |
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