E-CUBE 2005年05月

VOL.40 5月号


NZで活躍する日本人

時代を飾るキウィ




自由時間 : ワーキングホリデーやスチューデントで活躍中

<ストリート・ミュージシャン:George Kamikawa さん | メイン | 小学校教員:小林 加奈子 さん>

乗馬:豊村 鮎美さん

豊村 鮎美 さん夢は大きく、オリンピック出場です。

馬と身近に接することができる環境にあるここNZで、体重500kgもある馬と一体になって、高さ最高135cmもある障害を軽々と飛び越えていく。豊村 鮎美さんにとって、馬は相棒であると同時に先生でもあるという。

Ayumi Toyomura
豊村 鮎美(とよむら あゆみ)

1985年生まれ。東京都渋谷区出身。14歳から乗馬を始め、2003年3月末にNZに渡航。将来は調教師として生きていくか、父の不動産会社を継ぐか思案中。どちらを選択することになっても困らないように、現在はビジネスのディプロマコースに通いながら、週6日はKumeuにある乗馬クラブに通っている。

 家の近くに馬術競技場があり、幼い頃から馬を見る機会はよくありました。乗馬に興味はありましたが、高価なイメージがあり、遠い世界のように思っていました。さらにそのクラブは本格的だったため、入会条件は小学生で、そのうち小学校も卒業して条件を満たさなくなったこともあり、すっかり諦めていました。
 動物は大好きで、中学に入ってすぐ犬を飼ってもらったときにはうれしくて、毎日散歩に連れて行くのが楽しみでした。ある日散歩中に100kgの犬に遭遇、思わず飼い主に話しかけました。彼と動物の話をするうちに仲良くなり、乗馬もするという彼の話から、費用は想像よりも安いことを知りました。そこで、私も乗馬に興味があるが諦めてしまったことなどを話すと、静岡で乗馬クラブを経営している彼の友人を紹介してもらい、乗馬を始めることになりました。
 幼稚園から中学までは一貫教育のいわゆるお嬢様学校に通っていましたが、クラスメイトとは話が合わず友達はいませんでした。学校も休みがちになり、他校の友達ができたことをきっかけに、その頃は夜中に街を出歩くようにもなっていました。しかし、乗馬を始めて将来の目標ができたことで、私の意識は目に見えて変わりました。また、付属高校へは進まず、受験した別の高校の雰囲気が私に合ったこともあり、高校生活は充実したものになりました。乗馬の費用は、学校へきちんと行くことを条件に母が全額負担してくれました。

私にとって初めての馬、トスカからはたくさんのことを教わった

 犬の何倍も大きな馬は、最初は触るのも怖く、おどおどした態度で接していたのが馬には伝わるらしく、噛まれたり蹴られたりと、四苦八苦でした。馬は人間の5歳児程度の知能を持っていると言われていて、競技では馬と一心同体で動かなければなりません。それには高度な技術と訓練が必要ですが、難しければ難しいほど、達成したときの喜びを考えるとワクワクしました。また、馬術競技の男女の差がないところに惹かれました。
 馬との信頼関係を高めるためには日頃からのスキンシップは欠かせません。馬の表情や乗馬中に馬から伝わる振動を手がかりに、常に馬の精神状態や性格を読みとるように心がけます。
 障害飛越競技では障害を落としたり、馬が障害の前で反抗して止まったりすると減点されます。競技は、減点されずにいかに短時間でコースを回れたかが競われます。コースの発表は当日行なわれ、用意された14の障害をどのように回るかは自分で決めます。タイムも重要なので距離を短くすることはもちろん、何度もコース内を歩き回って、馬の歩幅を考え、馬が無理なく回れる順序を決めます。
 目前の障害物を飛び越えるのは馬の本能なので、踏切位置が合うように、馬の歩幅に合わせて助走やターンのスピードを調節し、馬が一番跳びやすい位置に誘導します。そして、馬がいったん踏み切ると決めたら、たとえそれが自分の意図していた場所でなくてもそれを尊重します。
 馬への合図は、ハミと呼ばれる金具を馬の口に噛ませ、その両端に取り付けた手綱を引いて送ります。足は常にきつく締めて馬体をまっすぐに保ちますが、足の位置をずらすことでも合図を送ります。競技では馬と連帯して動くことが重要で、自分の体調はもちろん馬の体調や気分も試合結果を大きく左右するため、試合前には馬の気分を高揚させるよう激励します。
 初めはクラブ所有の馬に乗っていましたが、馬との信頼関係が重要になるこの競技では不利な点が多く、自分の馬を持つことになりました。初めての馬トスカは人なつっこく忠実で、相性が合い、すぐに仲良くなりました。年齢は19歳で、人間でいうと約90歳とかなり高齢でしたが、ベテランの障害馬の彼は、合図の仕方や踏切位置など、初心者の私がコーチの言葉での説明だけでは理解できなかったことを教えてくれました。
 私に初めての優勝をもたらしてくれたのもトスカです。静岡県大会90cmの部では、私とトスカの息は今までにないほどぴったりと合いました。優勝を知ったときは、うれしくて涙が出そうでした。
 高校3年の初め頃、父が探してきた年会費の安いクラブに移ったのですが、安い年会費には理由がありました。実はそのクラブはすでに倒産していて、猶予期間の1年間限定で経営を継続しているという状態だったのです。そこでコーチに相談したところ、NZ代表として何度もオリンピックに出場しているジョン・コトル氏を紹介してくれました。高校卒業後はすぐNZに渡航、ジョンの家にステイし、クラブに通い始めました。

NZではジョン・コトル氏から馬上でのバランスの取り方を習得、馬のコントロールが楽にできるようになった

 英語は簡単な単語すらも理解できない状態だったので、1年間はステイ先の近くの語学学校に通いました。ステイ先では、辞書を片手に理解できるまで何度も聞き返しました。幸いそこで働いていた英国人の女の子が親切に説明してくれたので、すぐに慣れていきました。
 広大な敷地と自然に恵まれたNZでのびのびと生活している馬はストレスが少なく、人との信頼関係を築きやすいなど、NZの環境は乗馬技術を向上させるには最適でした。加えてNZの馬術競技人口は日本よりもはるかに多く、試合のレベルは高いので、志気が高まります。
 また、日本で主に採用している馬上に座って馬をコントロールする方法では、ある程度の腕力が必要になります。ジョンの指導のもとでは、上体を浮かせるようにしてバランスだけで馬をコントロールする方法を習得したおかげで馬と手綱の引っ張り合いになることもなくなりました。選手としてもコーチとしてもトップレベルのジョンは、時には手本を見せながら、分かりやすく的確にアドバイスしてくれました。
 次の課題は自己ベストを135cmに更新することでした。それには、それ以上の高さを飛んだ経験のある馬、そして技術面で未熟な私のレベルに合わせられるだけの器量を持った馬が必要でした。幼少の頃から馬と生活を共にし、馬の特徴を知り尽くしているジョンは、私に最も合った馬を見つけてくれました。それが私の今の相棒、バディーです。彼は臆病だけど勇気があり、大切な試合ではいつも期待に応えてくれます。
 NZ各地で国認定の試合が行なわれていて、年間10~15試合ほど出場しています。試合の結果は、ウォーミングアップ時にある程度予想がつきます。昨年4月に出場したNZで一番大きな試合Horse of the yearでは私もバディーも調子が良く、今日はいけると思いました。
 アマチュアの部2試合に出場しましたが、1mの部の直前に行われた90cmの部で落馬してしまいました。焦りましたが、気難しいところのあるジョンは、そのことで機嫌を悪くしてアドバイスをくれなくなったため、あとはすべて自分の判断に頼るしかありませんでした。
 1回戦で減点がなければ2回戦に進めるので、1mの部では1回戦は慎重に減点されないことだけに集中し、2回戦ではタイムも考慮に入れて100%力を発揮、優勝しました。しかし、優勝に対する喜びよりは、ジョンの機嫌が直ると思うとほっとしました。技術を向上させるうえで、ジョンのアドバイスはとても重要だからです。

現在通っているクラブは、バディーにとっても私にとっても快適な環境

 語学学校卒業後はシティーの専門学校に入学したため、ジョンのクラブに毎日通えなくなりました。馬と接する時間が短くなれば、馬との信頼関係を築くのが難しくなります。また、ジョンの調教スタイルは小柄で腕力のない私には合わないと感じ始めていました。腕力に任せたコントロールがある程度可能な男性と、腕力のない女性の馬のコントロールの仕方はまるで違ってきます。強い力を加え続けると馬の感覚は鈍っていき、弱い合図には反応しにくくなるのです。さらにジョンのクラブには常に試合を意識した、緊張した雰囲気が漂っていて、とりわけ繊細なバディーはストレスのために体調を崩してしまったのです。
 そこで、学校が終ってからも通えて、女性のコーチがいる Kumeuのクラブを知人から紹介してもらいました。そのクラブのコーチの繊細な馬のコントロールの仕方を見学し、リラックスしたクラブの雰囲気も、私にもバディーにもぴったりだと思いました。
 現在はそこに移り、週6日はバディーと一緒に練習するのが日課になっています。練習中に馬は大量に汗をかくので、洗ったりブラッシングしたり、コミュニケーションを大切にしています。また、獣医のアドバイスに従ってサプリメントを与えるなど、馬の健康管理にも気を使っています。
 夢は大きく、2008年北京オリンピック出場です、と言いたいところですが、オリンピック出場には馬の輸送や検疫など莫大な費用がかかり、スポンサーなしでは実現不可能なので、目下2012年のオリンピックを目指します。
 オリンピックの競技では、高さ160~170cmの障害を飛ぶことは必須です。私の技術を向上させることはもちろんですが、トスカとバディーが私に教えてくれたことを若い馬に教えていくと同時にその高さを飛ぶことのできる馬を育て、オリンピックにはぜひとも私自身の調教した馬で出場したいです。そのためにも、さまざまなタイプの馬に乗って、自分に合った馬を見つけられる目を養いたいと思います。そして、スポンサー獲得のためにも、いろいろな大会で結果を出していくつもりです。

乗馬:豊村 鮎美さんと連絡を取りたい、勉強したい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいと言う方はイーキューブ留学セクションまで、お問い合わせ下さい。

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