ニュージーランド陸軍
軍では規律が一番、学校では楽しさが一番。これがティムの信条。
子供の頃は、母が料理をしているのを見ることが好きでした。そして見るだけでは物足りなかった私はいつの間にか母と一緒に台所に立っていました。子供ですから、ジャガイモやニンジンの皮をむくという簡単なお手伝いだけでしたが、それが楽しくて仕方がありませんでした。
そんな私ですから16歳で仕事を始めたときも、どこでもいいからキッチンに立てるところを探していたのだと思います。それで、見つけたのがニュージーランド陸軍で、ここでの経験が料理人として大きな財産になりました。
私が自分自身について、この最初の経歴を話すと大抵の人は、銃を担いでいる姿や、戦車に乗っていることを想像するのですが、軍で私はキッチンに立っていました。
では、「軍のキッチンで働くことが、料理人としてそんなにも役立つのか?」そう首をかしげる人も多いかもしれません。しかし、料理のベーシックな部分は軍特有の「訓練」によって身につけることができました。
シェフとしてのベース
軍では他の新兵同様に、入ってすぐに私たちは「基礎訓練」をさせられます。もちろん、料理をすることが私の訓練でした。ただ、全てを自分たちの手で処理しますので、肉のセクションでは牛、豚、羊、鳥、鹿などいろいろな肉が、そのままの姿で運ばれ、それを解体する作業をします。これはレストランと言うよりも、お肉屋さんの仕事と言ってもいいのかもしれません。これをぶっ通しで約一ヶ月続けます。それが終わると次に配属されるのは魚のセクション、と言ったように、基礎の基礎から叩き込まれます。ここは一般のレストランとは大きく違う部分ではないでしょうか。もちろん、大きなレストランやホテルの厨房などでは、肉を大きなかたまりで仕入れたり、魚を大量に捌いたりすることもあるかもしれませが、毎日、続けるということはないと思います。ところが、軍では多くの兵士たちの胃袋を満たすために、来る日も来る日も解体作業が続き、次のセクションに移るころには頭ではなく手で覚えてしまいます。このベースは料理人にとっては、かけがえなのない財産になっていると思います。
さて、みなさん、兵士の食事というと、味も何もなく、質素な食べ物が頭に浮かぶのではないでしょうか。しかし、実は普通のレストランやケータリングサービスと同じような料理を提供しているのです。しかも幸運なことに、軍というところは、上級クラスの人たちのパーティーであったり、何千人もの兵士の食事を10人ぐらいで賄ったりと、一般のレストランのようにある一定の客層を対象にしているわけではなく、様々なシーンでの調理を経験するチャンスがあるのです。
特に上級クラスの人たちの食事はいわゆる高級食材のオンパレードです。お肉もそうですが、海産物なんかではクレイフィッシュ、ホタテ、アワビ、マッスルなど。今では当たり前ですが、私が働き始めた1970年代にはまだ一般のレストランではなかなか出せなかった食材で、シェフであれば誰でも扱い方を知っているというものでもありませんでした。それらが普通にキッチンに並んでいました。厨房に立ち始めたときから、こうしたものを扱うことができたことも私の料理の基礎になっていると思います。
軍ではもう一つ私の財産となったことがありました。バターの彫刻です。先輩に「ちょっとやってみろよ」と言われて始めたバターの彫刻ですが、それ以来、私のライフワークにもなってしまいました。
バター彫刻
これまでのバター彫刻の作品の一部。一体にかかる時間は平均2、3日。
見習い兵からスタートした軍での生活は次第にただ料理をするだけのポジションから、教える側の立場に変わっていきました。料理以外にも、空手、そしてバター彫刻などの教官となっていったのです。私はその後、約10年続いた軍生活を離れ、ブラウンズベイにレストランを買い、自分自身の店をオープンさせました。しかし、2年ほどして、ちょっとした事故で怪我をしてしまい数ヶ月お店を開けられない状態になってしまったので、思い切って手放しました。怪我が治ってからはケータリングサービスで約5年働きました。同時に料理するだけでなく、料理を教える側になり、AUTで講師の仕事もしていました。
そんな料理の世界を歩いてきた私ですが、一旦、料理から離れたくなった時期があり、建設業界に転職をして、数年間、料理から離れていたときもあったのです。
これがバター彫刻を生み出すときに使う、お気に入りのスプーンとナイフ。スプーンは柄が長いモノがよく、ナイフは握り具合が決めてとなっている。しかし「どんな道具だって、最高の彫刻を作る自信はあります」とTim。
しかし、そんなときでもバター彫刻は続けていました。8月に行われるNew Zealand Culinary Fareには1976年以来、毎年出場し続けましたし、25年間、バター彫刻の部門で優勝し続けました。
それで、今度は、この彫刻自体を生活の糧にすることにしたのです。ニュージーランド、オーストラリア、そしてパシフィックアイランドを、バター彫刻をして周るという仕事でした。NZに2ヶ月いて各地のホテルやレストランを周る、オーストラリアに2ヶ月滞在して各地を周る、フィージー、タヒチ、サモアを周るといったものでした。各地ではロビーに彫刻を作ったり、ディナーショーでライブで彫刻を行ったり、とにかく、毎日、このオセアニアを旅しながら、バター彫刻をしていました。
講師という仕事
シェフを離れたときも、器用な手先を生かして、大工、左官、造園など、クリエイティブな仕事をしていた。
旅をしながらのバター彫刻は、ライブの感覚がとても好きで、気がついたら7年になっていました。そろそろ旅ばかりするのではなく、NZに戻ってなにか貢献したいと思い、North Shore International AcademyのCookery Tutorになったのです。
ここでは軍のときの講義とはまったく逆の、私が好きな「いつも笑が絶えない」楽しい内容の講義をしています。クラスがリラックスした雰囲気だと生徒たちが知識や技術を吸収するスピードがとても早く、これは私だけでなく、他の先生たちにも伝えていきたいと思っていることです。
学校に来る生徒たちはいわば、シェフの卵たちです。ここを卒業した後は、一流レストランであったり、リゾート地のホテルであったり、ランチで気軽に立ち寄るビストロであったり、様々な方面に進んでいきます。学んでいるときに私のような少し特殊な環境にいたシェフに触れることは、見聞を広げるという点でも、とてもいい経験になるのではないでしょうか。
実習のときの信条はクリーン・アンド・タイディー。厨房が常に清潔で整理されているように生徒には指導している。
また、来年からは一部のコースで、マオリ料理のアイデアも取り入れていく予定でいます。私自身はマオリですので、伝統的なハーブや調理法を知っています。講義の中で少し触れることはあるのですが、今まではカリキュラムの中には入っていませんでした。しかし、NZの先住民族である私たちマオリの文化を学んでもらうと言うことは生徒たちにとってもこの国で料理を学ぶ意味の一つになると思います。今の時点ではまだ、カリキュラムの内容は未定な部分が多いのですが、まずは基本のハンギを覚えてもらおうと思っています。実際にマオリの集会所であるマラエに赴き、本当のハンギを学んでもらうのです。
こうしたマオリのことや、バター彫刻で培った美しく見せるということや、軍で習得した食材のした処理など、私だからこそ伝えられる講義を、これからも行っていきたいと思います。
この記事を読んでTim Aspinall ティム・アスピナールさんに興味がある方はイーキューブの情報センター「イースクエア」までお問い合わせ下さい。