Vol.21 Career up in NZ ニュージーランドBISTRO EURO ASIAオーナーシェフ |
塩加減が強すぎない料理、甘いだけではなくほんのりと苦味のあるデザートなど、我々日本人に馴れ親しんだ味でキウイの味覚に勝負を挑んでいる。
僕の料理好きは小学生の頃から始まっていました。とにかく台所にいるのが好きで、卒業の寄せ書きには『ポール・ボキューズ』で働くと書いていました。その頃は『ポール・ボキューズ』というレストランが3ツ星だとか、フランスのリヨンにある有名店だとかいうことはまったく知らずに、テレビで見て、ただ憧れていました。 その後、謙介さんは日本に戻り、ホテルのレストランで修行を続けた。 全国にチェーン展開しているホテルの和洋中合わせて50人ほどのシェフが働いているところで、2人の異なったタイプの上司から料理を学ぶことができました。1人は「1年間に10年分のことを叩き込む」という意気込みを持った人でした。当時、テレビで活躍していた「鉄人」と呼ばれる人達が普通に電話で質問をしてくるような人で、フルーツとコショウ、チョコレートとショウガといった組み合わせなど、コックとしては駆出しであった当時の僕にとって、とにかく料理の発想に驚かされる事が多くありました。反面、非常に厳しい人でもあり、与えられる課題は量、質共に高いものを求められました。また、仕事中に本当にフライパンを投げつける人でもあり、僕も何度もオーブンで熱されたフライパンを投げつけられました。 ホテルのレストランスタッフが総勢50名以上と言っても、セクションは細分化されていました。僕が所属した洋食のレストラン部門は、その上司を含めても常時わずか4人しかスタッフがおらず、毎日、ランチ、ディナーの支度に追われていました。そんな中、その上司はデザートのメニューを一新する計画を打ち出し、週に一回の会議を持ち、それぞれ5、6パターンの案を出すことになったのです。しかし、新しいメニューを落ち着いて考える時間など、どこにもありません。また、会議に出す案は出来あがりをスケッチして提出しなければならないので、絵も描かなければならず、いずれにしても時間が足りませんでした。今考えれば、どんなに忙しいときでも常に新しいメニューを考え出すためのいい練習になっていたと思いますが、当時は苦しいだけでした。なんとかひねり出した絵でも、上司の手によって破られるのは1秒もかかりません。1ヶ月に1、2枚採用されれば良いほうでした。なにより難しかったのはその上司にはパターンがないということでした。この人はフォンドボーが好きだとか、クリーム系が得意だとか、普通はそれぞれ、好みや、得意な材料や組み合わせがあります。しかし、この上司にはそれが全くありませんでした。ですから、前回、クリーム系で採用されたからといって、この人はこういうものが好きだと判断して、次回にもクリーム系の案を提出すると「前回と同じだ」とゲキを飛ばされます。このゲキによってずいぶんと僕のパターンが広がりました。 やがてその上司が転勤になり、次の上司がやってきました。次の上司は前任者とは打って変わって、非常に穏やかな人でした。ただ前任者同様、料理の腕は尊敬すべきものがあり、普通ではなかなかは入れない、オーギュスト・エスコフィという西洋料理の基礎を作った料理人の協会に入っている人でした。 この上司は最初は自分で作り、味を決め、その後は僕達に任せてしまうタイプでした。そのために今度は自由にのびのびと仕事に取り組め、また任されているという気になり、自分たちで色々とメニューを研究する機会が増えました。 こうして何年かホテルで働いているうちに再び、ニュージーランドへ行くことを考えるようになりました。このままホテルにいれば安定はするが、こういった組織の中では上に行けば行くほど、現場の仕事から外れ、マネージメントの仕事の比重が大きくなります。それは僕の意に反することでした。それで、パーマストンノースの日本食レストランで働き始めました。そこではお客さんは主にスチューデントで、数や量が勝負でした。 ビストロ・ユーロアジアでの楽しみの一つは、日本で食べていた料理と同じ味が楽しめることである。 オークランドで気軽に洋食を楽しんでもらう事ができる店を目指して僕が「ビストロ・ユーロアジア」をスタートさせたのは02年の3月からでした。そのために店名もレストランではなく、ビストロにしたのです。これまでのキウイの動向を見ると、料理の見た目の派手さや、レストランが華やかなロケーションにあることや、店内の雰囲気によって繁盛するしないが決まってくるように思えます。そういったレストランに行くことが一つのステイタスになっていることもあると思います。 ですから、最初に場所を探すに当たってはポンソンビーやパーネルなどから始めました。しかし、どう考えてもコスト的に合いませんでした。それでは気軽に入れる洋食店というコンセプトには合わなくなってしまいます。そうして、あちこちオークランドを廻って、現在の場所であるマウントイーデンの物件を見つけました。もともとレストランとして使われていたので大きな設備は用意されていました。店内の改装は自分達で行いました。ここは華やかなエリアではありませんが、静かで駐車スペースも充分に確保できる所です。 開店するにあたって、メニューの量と味を決めることには少し頭を悩ませました。量ではキウイと日本人との違いと言うのもありますが、同じ日本人でもこちらに長く住んで他のレストランの一皿のボリュームに慣れている人と、まだ来て日が浅い人とでは感覚が違います。ですから日本のレストランよりもボリュームを多くする必要がありました。味を決めていくのは更に悩みましたし、未だに悩んでいるところもあります。多人種を相手に味を決めることは容易ではありません。味覚は個人の主観的なものでありますし、他の国の文化を受け入れるときに一番保守的になる部分ですから万人に合わせるというのはほとんど不可能なのかもしれません。現在は一人でも多くのお客さんに美味しいと言ってもらうために、ヨーロピアンとアジアンでは塩加減を変えたり、ソースのバターの量を変えて調整しています。また、リピーターにはその人に合った味を出すようにしています。 全体のメニューでは、設定する時にある程度、対象を絞り込んでいます。たとえばうちではヨーロピアンに人気があるのはチキンの料理ですから、チキンはヨーロピアンに合う味にしてあります。一方、前菜などは日本人に合うようにしてあります。 最近はアメリカ人やオーストラリア人の影響でしょうか、雰囲気ではなく、自分の好きな味を求めてレストランを選ぶ人も増えてきています。そのため、うちを気に入ってくれ、うちの味のファンになってくれるキウイが少しずつ増えてきました。また、貸切りでパーティをする人も増えています。そういった場合は予約の時点で、質を重視するのか量を重視するのか聞くのですが、質を重視する人の方が圧倒的に多く、これはキウイでも日本人でも同じです。 ビストロ・ユーロアジアでのもう一つの楽しみは、西さんがニュージーランドの材料で試行錯誤して完成させたデザートである。それは味だけでなく、飾り付けにも反映されており、ホッとさせてくれる優しさや、繊細さを感じることができる。
デザートもキウイ用とアジアン用と大まかに設定しています。日本人に人気があるのは抹茶を使ったブリュレで、甘みを押さえて抹茶の苦味が効くようにした定番メニューにあるデザートです。これは完全に日本人用に作ったのですが、なぜか最近はキウイのファンが多くなってきています。 シェフ・調理師になるための留学をしたい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいと言う方はイーキューブ留学セクションまで、お問い合わせ下さい。 お問い合わせはこちら |