Vol.2 自由時間 ニュージーランドへ高校留学、そしてパティシエコースに |
小学生の頃、近所でよく出入りしていたお宅があったんです。そこの「お母さん」がお菓子をよく作ってくれました。それを少しずつ教えてもらうようになって、この世界に入っていったんです。それともう一つ彼女に影響を受けたことがあるんです。正確には彼女の息子さんの影響ですかね。それは、彼がニュージーランドに住んでいたということ。そんなこともあって中学を卒業すると同時にニュージーランドに行こうと思いました。そこで、親や「お母さん」に直訴したんですが、日本の高校へ行きなさいと、あっさりと却下されました。
厨房で作業をする手を止めて舞子さんは話をしてくれた。その顔からはケーキを作っている時の烈火のような眼差しは消え、ごく普通の21才の女の子になっていた。
高校ではブラスバンド部に入っていてそれに打ち込んでいました。12歳のときに父にトランペットを貰って以来、ずーっと吹いていましたので、音楽は大好きでした。3年生の進路を決めるときには音楽の短大に推薦してくれると担任の先生からも言われていましたし、私自身もそうしようと思ったこともありました。でも、やっぱりニュージーランドに行きたいという気持ちも大きかったんです。今までと違う環境で今までと違うことを経験してみたかったんです。それで99 年の2月にここへ来ました。卒業まで待てなかったんです。99年の2月にここへ来ました。卒業まで待てなかったわけではないんですよ。式には出なかったけどちゃんと卒業もしました。こちらの高校に行く予定でしたから、新学期が始まる2月に合わせて日本を出発しました。 音楽の時間にみんなの前で演奏したトランペットが彼女のここでの生活に大きな変化をもたらした。クラスメイトから受けた拍手は舞子さんにここでも生活していくための自信を与えてくれた。その腕前を先生は高く評価。アーミーのブラスバンドに舞子さんを推薦した。こうして現地の高校という世界だけではなく地元の多くの人たちのコミュニティーに入っていくことになる。 Royal Regiment NewZealnd Artilleryという陸軍のバンドでした。最初は軽い気持ちで参加しようと思ったんです。ここでも音楽が出来るんだって。でもそこは結構、由緒正しいバンドだったんです。マウントウェリントンに専用の練習場があって、毎週火曜日の夜7時から練習があって、定期的に発表会もありました。ANZAC DAY にはドメインで演奏もしましたし、サンタパレードも歩きましたよ。2001年の4月にワンガヌイで開かれた全国のブラスバンドの大会「National Brassband Championship」では優勝することもできました。私にとってニュージーランドの生活の柱となるものの一つです。学校が忙しくなったので今はバンドからは少し離れていますがいずれまた復活するつもりです。
一年後、高校を卒業した舞子さんはAUTのビジネスコースに進む。しかしここでの内容に疑問を感じるようになる。
見つけたときはちょっと悔しかったですよ。なんでもっと早く見つけられなかったんだろうって。それと同時にすごく嬉しくなりました。今まで趣味でやっていたお菓子を本格的に勉強できるのですから。 2001年9月17日に行われた「New Zealand Culinary Fare」ではケーキ部門で見事、2位を獲得。これがきっかけでデボンポートのケーキ店「ice it!」でアルバイトをするようになった。
お店ではこの国で好かれるテイストなどを勉強しています。アルバイトなんですがケーキについては味から作る数までのすべてを任されています。お客さんからコンプレインがでたり、お店のケーキが欠品した場合はすべて私に責任があります。初めのうちは、キウイのお客さんからスポンジをもっとウエットにしてくれとか、もう少し甘い方がいいなどの注文を受けることが多かったですね。 |