VOL.65 6月号


NZで活躍する日本人

時代を飾るキウィ




Career up in NZ : 専門職に就いてキャリアアップ中

<女性起業家:ワイン/Island Wine:ウォード 佳奈恵さん | メイン | オークランド大学 教育心理学講師 & 博士課程研究生/ PhD Candidate Educational Psychology & Applied Linguistics University of Auckland:水谷 公美さん>

英語学校校長/English Voyage Academy:マクリーン えり子さん

English Voyage Academyを経営する
ビジネスウーマンになって、
意味のある夢は必ず実現できると確信しました。

 

イングリッシュ・ボヤージ・アカデミー(以下、エバ)のフィティアンガ本校を設立して6年経った今年4月に、2校目のテームズ校を開校させたマクリーンえり子さん。自らの母子留学の経験をもとに、留学生たちの教育に正面から向き合い続けるバイタリティ溢れる彼女。そんなえり子さんに、1989年10月から教育に力を注ぎ続けたニュージーランド生活についてお話していただいた。

Eriko McLean 
マクリーン えり子
1950年東京生まれ。成蹊大学卒業、文化人類学専攻。1972年オーペアビザでイギリス渡航。財団法人・海事広報協会の新聞『海上の友』で記者として働いた後、結婚して専業主婦となる。実際の子育てを通しながら教育の世界に入っていく。1989年、NZに母子留学で子供3人と渡航。日本語教師および日本人カウンセラーとして働く。永住権取得。NZに来た3年半後に離婚を経験。キウイの夫エディーさんと再婚し、共同で語学学校English Voyage Academyを設立。再婚後の子育て日記『日本人ママとキウイ義父さん』を出版予定。



 

『教育』を考え母子留学

 去る4月13日に、イングリッシュ・ボヤージ・アカデミー(以下、エバ)のテームズ校のオープニング・パーティーを行いました。エバ本校は、6年前にコロマンデル半島のフィティアンガに誕生し、最初は地元の公立小、中、高校マーキュリーベイ・エリア・スクールに通う留学生をサポートする学校としてスタートしました。その本校をモデルケースにして、こんどはコロマンデル半島の入り口にあるテームズの公立学校がエバと一丸となって留学生の受け入れのために動き出したのです。
私がはじめてNZに来たのは、1989年10月。その時、3人の子供を連れて、母子留学で来ました。私は38歳で、子供はそれぞれ5歳、8歳、11歳でした。子供たちのNZでの学校生活は、末っ子は大丈夫でしたが、長女と長男は英語が分からないので、はじめは授業についていくのに苦労したんですね。自分の子供の経験からも、英語が分からない留学生が現地の学校に入ることの難しさがとても理解できるんです。また、私がNZに子供たちと一緒に来た一番の理由は、「日本の学校教育に不安があったこと」でした。これらのことが、今も私の主軸となっているようです。
私が大学に入ったのは、70年代大学紛争の真っ只中で、国立大学や多くの私立学校が閉鎖した頃でした。大学では文化人類学を専攻し、人間は言葉が道具として必要だと考え、英語に関心をもったのもこの頃でした。それで、大学卒業と同時にイギリスに渡って1年間過ごし、帰国後は英語学校のレセプショニストを経て、海事広報協会という財団法人の新聞『海上の友』の記者になりました。それから2年後に結婚。3人の子供を産んで、子育ての13年間は専業主婦でした。その間、自分の子供を通して教育に興味を持ち、子育ての合間に、教育に関する本をひたすら読んで勉強していましたね。とくに感銘を受けたのが、子供が自分で自分をしっかりとらえ、一番深い内部の欲求から自覚的に行動することを目指している『シュタイナー』の教育。それと、黒柳徹子さん著書の『窓ぎわのトットちゃん』のトモエ学園の教育でした。
でもその頃の日本では少子化が進み、小学校の頃から子供達は塾へ通い、まだまだ英才教育を望む親が多かったですね。それを目の当たりにしているうちに、疑問が大きく膨らみ、海外で子供たちを育てたいと思ったのです。NZは島国で、安全で、英語圏で、多くの人種が上手く混ざっていることなどが気に入り、どうしてもこの国に来たいと思いました。

 

エバ設立までの軌跡

 私は思い立ったら行動に移すタイプなので、日本の新聞で見つけた、当時、開校したばかりだったフィティアンガにあるアウトドア・ランゲージセンターのモーリス校長に、子供を留学させたいと日本から手紙を送ったのです。そしたらモーリスから返事が届き、母親が学生ビザを取得したら、子供もビザが与えられることや、その地域の公立高校で日本語教師を探していることを知りました。NZが日本語教育にとても力を入れていた時代で、私が教員資格を持っていたことから、大歓迎で日本語教師として雇ってくれたんです。またその時にはモーリスの語学学校でも日本人カウンセラーとしても働いていましたから、それらによって、永住権が取得できたんですね。NZの生活は、それなりに山坂はあったんですけど、じわじわと押していく内に紐が解けていくみたいに開けて行きました。
高校の日本語教師としては11年間エネルギッシュに働きました。気がついたら日本語学科は9年生から13先生までの5学年の選択科目になっていて。実際に日本語を使う機会を設けるために、学生の交換留学にも力を入れていました。それが発展して、フィティアンガの町が京都の京北町と姉妹町になったり。また一方で私は留学生の担当にもなったので高校に入ってくる私費留学生の世話も始めました。日本人留学生があまり上手くNZの学校に馴染まなくて、24時間体制でサポートをしたり、補習校を始めたり、多忙な毎日を送っていましたね。そんな頃、現在の夫のエディーに「留学生の数が増えていっているので、今していることを独立させて、学校を設立して拡げていきなさい。」と強く勧められ、エバを設立することを決心したんです。エディーは、今も決して前には出てこないのですが、いつも良きアドバイザーなんです。それで、マーキュリーベイ・エリア・スクールの隣にあった小さな民家を買って校舎にして、NZQAの認可を得て2001年にエバをスタートしました。当時は、登校拒否や引き篭もりの子供たちがNZに留学してくるケースも多かったです。でも親はいないし、英語もできないし、受け皿もないしという環境で上手くいくはずがありません。エバでも、そういう子供たちをサポートすることがありました。彼ら一人ひとりは素晴らしいものを持っているのですが、それを引き出すチャンスがないと不運にもしぼんでしまうので、何とかしたいって思ったんです。それで、留学生のNZでの親代わりとなり、日本の家族と密に連絡を取って、お小遣いや外出などを細かく管理しながらサポートし、勉強は補習校で補っていって。そうしていく内に、生徒が学校に上手く馴染んで行き、そういう経験を通して、エバの留学生のサポートシステムが確立していきました。

 

可能性が拡がるエバの教育環境

 エバは、NZの教育システムNCEA(国家認定単位)のレベル1(11年生)の単位が出せるNZQA(NZ文部省)認定校ですので、エバの高校入学準備コースの中で高校1年生の単位が取れます。英語を学びながら高校1年生の科目も勉強でき単位が取得できるので、タイムロスをしないのがメリットですが、スパルタ教育ではなく、学生によっては、もう一度高校で同じことを学ぶことを勧めたりもします。でも生徒たちはみんな、よく勉強するんですよ。また通常、NZでは14歳から単独で留学できるのですが、エバでは11歳から可能です。でも、私はせめて13歳以上がいいと思っています。でも良い例もありました。13歳で来た生徒がすごく頑張って、1年スキップして高校に入ったんです。また、私のポリシーなのですが、子供がNZに居る間に、家族の方にも、一度はNZに来るように言っています。それで来られたお祖父ちゃんがNZを気に入って、お孫さんと一緒に留学されたケースもありましたね。最近の傾向は、大学留学を目指す生徒が増えてきています。現在エバでは「一般英語コース」を基盤とし、「高校入学準備コース」、「親子留学」、「IELTS・TOEICコース」が3つの柱となっており、そのほかに短期体験留学も受け入れています。
日本の教育は今、変革期に来ているようです。さまざまな教育問題を抱える中、教育特区が設けられ、日本の文部省の教育システムと異なる教育システムを用いてもよい地域ができ、色んな形態の学校ができて行っています。その中でソフトバンクが、ルネッサンス高校というネット環境で勉強する高校を設立しました。画期的ですが、人間社会で育成されない子供を増やすことを学校側も懸念していました。そこで、彼らがエバのNZでの活き活きとした教育に注目し、またネットでどこでも勉強ができるという利点を活かして、ルネッサンス高校の生徒たちに、体験的な学習ができる環境を与えるためにエバと提携したのです。また、ルネッサンス高校はサイバー大学を創り、大手の塾ともリンクしていることから、それらの生徒にも活きた教育を体験させたいようです。そういう流れもあり、テームズ校が誕生しました。テームズを選んだのは、テームズの町全体が留学生の受け入れにたいへん協力的だったことが最大の理由でした。フィティアンガの高校は海洋学が盛んで、テームズの高校は音楽や芸術に秀でた伝統校です。エバの学生にとっては、サポート体制が整った高校の選択肢が増えるのと、ルネッサンス高校は3年間で最低74単位を取る必要があるのですが、エバのレベル1の単位が30単位までルネッサンスの単位にもなるという利点があります。ですので、生徒たちは頑張り次第で、NZの高校と日本の高校どちらも卒業することができるなど、可能性がいっそう拡がりました。
みなさんも、これから可能性に満ちた人生を過ごしていく中で、一つずつハードルが上がっていくと思うのですが、一つのことが軌道に乗って潤滑に回り始めた時に次のハードルへと進み続けるでしょう。私の場合は、学生から母になり、先生になって、今ビジネスウーマンになって。その次は分かりませんが、人のために役立つ意味のある夢は、必ず実現できるということ。それが私のこれまでの人生の軌跡から学んだことなんです。

英語学校校長/English Voyage Academy:マクリーン えり子さんと連絡を取りたい、勉強したい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいと言う方はイーキューブ留学セクションまで、お問い合わせ下さい。

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