E-CUBE 2005年03月

VOL.38 3月号


NZで活躍する日本人

時代を飾るキウィ




Career up in NZ : 専門職に就いてキャリアアップ中

<NPO職員:柴田 あゆみ さん | メイン | 造園デザイナー:鈴木 洋平 さん>

シェフ:金 浩二 さん

金 浩二 さん西欧料理の中に日本料理の繊細さを加え、独自の世界を表現していきたい。

毎年シェフ・オブ・ザ・イヤーズなど激戦が繰り広げられ、料理界の登竜門とも呼ばれる「NZ culinary far」。 2004年に金浩二さんはサーモン部門で強豪を押しのけて見事優勝を果たした。そのトップシェフと呼ぶにふさわしい地位は、常にチャレンジし続ける彼だからこそ勝ち得たものだ。

Kim Koji
金 浩二さん
Pontoon Restaurant
Sous Chef

1972年産まれ。大阪府大阪市出身。
1998年8月にワークビザを取得しNZへ。NZでのリラックスした生活スタイルが気に入り、2001年ヒルトン在籍中に永住権を取得。2004 NZ culinary farサーモンの部門で優勝するなど、プロフェッショナルな仕事ぶりは業界で高い評価を得ている。現在は個人でもケータリングを請け負うなど、活躍の場をますます広げつつある。
連絡先:09-578-0908 or 021-250-8350

シェフの道へ

 幼い頃からカフェを経営する母親を見て育った私がシェフになったのは、ごく自然なことでした。手に職をつけたいと思い、食品産業高校食品保存課へ進学、卒業後はヒルトンホテル内のフレンチイタリアンレストランに就職しました。そこでの7年間は毎日が勉強でした。何度でも繰り返し同じ質の料理を出すことなど、シェフとして最も大切な基本をここで学びました。
 しかし勤務時間は8時から11時過ぎまで、忙しくて3ヶ月間休みがまったく取れないことも珍しくありませんでした。テレビや新聞を見る暇もなく、世の中の流れに取り残されていくような気がして、違う世界を見てみたいと思うようになり、1年の期間限定でフリーターになりました。その間はイベントスタッフやドカタ、通行量調査員など、とにかく何でも経験してみました。そのとき本当にいろんな人に出会い、今までは聞くことのなかった話を聞きました。その中には海外での勤務経験を持つ人の話を聞く機会などにも恵まれ、いろんな人がいろんな夢を持っているという当たり前のことに改めて刺激を受けました。         
 そして当初の予定は大幅に越えた2年後、フリーター生活に満足して本職に戻るべく職探しを始めたところ、新聞の求人欄でNZでヘッドシェフを募集しているのを見つけたのです。日本でもレストランを経営していたオーナーが、NZにレストランをオープンさせるに当たってのスタッフ募集でした。そのときはNZがどこにあるのかも知りませんでしたが、チャレンジだと思ってすぐに応募しました。
 採用試験として課せられたのは新しくオープンするレストランのメニューの考案でした。まず自分の出来ること、それから興味をそそられるような、それでいてシンプルなメニューをコンセプトに、前菜、メイン、デザートの各10種、サイドディッシュ8種のメニューを考案、提出しました。

NZに渡航

 採用が決まり、9月オープンに合わせて渡航しました。ミッションベイにオープンしたレストランでは、採用試験で提出したメニューの半分くらいが実際のメニューボードに並びました。いきなりヘッドシェフになったことに対して違和感もありましたが、不安はありませんでした。 
 最初の半年は冬場だったこともあり客足は芳しくなく、思うようにいかないことに苛立ちましたが、季節が夏に変わった頃から軌道に乗りだしました。入ってきたお客さんが、従業員全員がアジア人なのを確認したとたん店から出て行ったり、何度か悔しい思いもしましたが、オープン1年後の99年にはラム&ビーフアワードを受賞しました。
 そこでは2年ほど働きました。充実した毎日でしたが日本人ばかりの職場で、ここでは自分の可能性が限られてしまうのではないかという恐れのようなものを抱き始め、退職しました。次はキウイの会社で働いて、もっと上に行きたいと思ったのです。
 しかし、学生時代には将来英語が必要になるとは想像もしていなかったため、英語は常に捨て科目で、基本的なコミュニケーションもままならない状態でした。渡航後も最初英語にはまったく興味がなく、自分は料理をしに来たのだから英語は必要ないとさえ思っていました。でも、キウイの会社で働くには、英語は必須です。加えて、そのころにはキウイの友達も何人かでき、彼らともっと話をするためにも英語が話せるようになりたいと思うようになりました。
 退職前からキウイの家庭教師をつけ英語は勉強していましたが、退職後はコミュニティーセンターの英語教室にも通いはじめました。また、フラットメイトがみんな外国人だったので、彼らと積極的にしゃべるようにしました。
 同時に自分の可能性を広げるために、ホテルを中心に仕事を探し始めました。ホテルなら他の国でも働ける可能性があると思ったからです。CVは20件以上送りましたが、結果は散々でした。
 勤務地はNZ以外に、ヨーロッパの求人にも応募しました。ヨーロッパで働くことは以前からの夢の一つでもあり、シェフとしてそこで影響を受けることは多いと信じていたからです。そしていったんはドイツの高級ホテルでの就職が決まったものの、ビザが下りなかったために実現はしませんでした。がっかりはしましたが、選択肢は常にいくつも持ようにしているので、すぐに気を取り直して次はヒルトンホテル内のレストランWhiteのオープニングスタッフに応募しました。面接では受け答えをするのがやっとの英語力だったこともあり緊張しましたが、つたない英語で必死に、自分はハードワーカーで仕事は正確にすること、自分を雇って損はさせないことをアピールしました。それが功を奏したのかどうかはわかりませんが、5回にもわたる面接を無事にパスし、晴れてWhiteのオープニングスタッフに加わることになりました。

英語環境で仕事をすることに

 初めての英語環境の職場で、指示が理解できないことも日常茶飯事でしたが、その都度簡単な単語に言い換えて説明してもらうなどして、理解できるまで聞き返しました。そのうち仕事が認められ、調理場の中ではトップにあたるソースという重要なセクションを任されるようになりました。肉や魚を焼いたりという一番気を使わなければならないセクションですが、料理をタイミングよく出せるよう個人個人のレベルを考えてチームワークを調整する役割も担っています。このほかにも日替わりスペシャルメニューの考案も任されていました。
 やりがいもありましたが、次第にそこでの料理のスタイルに納得がいかなくなってきました。自分の求めるスタイルと違ってきたのです。
 そして10ヶ月ほどしたころに転機は訪れました。尊敬していた同僚がワンガレイにレストランをオープンすることになり、私に話を持ちかけてきたのです。彼と自分の2人ならきっといいものができると確信できたので、即答しました。それにワンガレイでは趣味の釣りが気軽に楽しめるのも魅力でした。すべてが希望に満ちたスタートとなりました。
 ここでは自分たちのスタイルを貫きました。例えば、ソースには一切とろみを付けない、クリームも隠し味やつなぎ程度にしか使わないなど、徹底して重くない料理を目指しました。また、ニンニクやチリも素材自体が強すぎて他のものの風味を壊しやすいため、使用しませんでした。
 そしてオープンからわずか半年、2003 Tegel good food Awards で2位の座を獲得しました。
 2年後、そろそろオークランドに戻り新たなことにもチャレンジしたいと思っていたころ、St. Heliersのレストランからスカウトされました。35シートの小さなレストランから80シートの大きなレストランへの転職で、場所柄、舌の肥えたお客さんがたくさん来ます。トレーニングを含め、スタッフのコントロールという新たな責任感も増えました。スタッフを指導するときは、厳しく言った方が良いときや持ち上げるように言った方が良いときなど、状況に応じて言葉を使い分ける必要があります。人を扱うこと事態が初めての大役だったうえに、特に英語面で、コミュニケーションの難しさを感じましたが、上司が指導しているのを聞いて、その言い回しを覚えるようにしました。
 昨年8月には、自分のレベルを確認するため2004 NZ culinary farのサーモンの部門にエントリーしました。これは4回目の出場です。過去3回は満足のいく結果が得られなかったのですが、今回、サーモンというNZで人気が高く、使い慣れた食材で自分がどれだけできるか試してみたいと思ったのです。
 メニューはユニークで独創性があり、色彩豊かで、かつ口当たりは軽いものに仕上げようと考えました。
 仕事が忙しく時間が取れなかったため、練習は前日の1回のみでしたが、そのとき出来上がったものは全体的にアンバランスで、味も自分の納得いくものではありませんでした。本番で勝つためには素材からの見直しが必要でした。即座にメニューを練り直しましたが、もう練習する時間はありません。不安は残りましたが、頭の中で出来上がったイメージは完璧でした。

NZ culinary far

 競技は1時間。4人前のメインディッシュを作ります。競技中、観客数は多いときで500人にもなります。その大多数はレストラン関係者で占め、会場ではカメラも回され、競技風景は会場内の大画面に映し出されます。そこでの自分の行動すべてが採点対象となるため緊張しました。
 過去に時間切れで0点となったことがあるので、時間配分には最も気を使いました。
 出展したメニューは「サーモンと手長エビのシガー、鯛のムース」。均等にたたいたサーモンの半身の上にほうれん草、鯛のムース、手長えびを順番にのせ、それを巻いて輪切りにしたものをソテーし、皿の上に敷いたブロッコリーニ(中国ガイランを掛け合わせたブロッコリーの新種)の上に乗せました。それから皿にはグリーンティーのコンソメを注ぎました。外側から赤、緑、白と色鮮やかな美しい輪郭が目で楽しめると同時に、グリーンティーがサーモンの脂臭さを緩和します。上にはうなぎのローストとクレソンのサラダを乗せ、さらにその上には半熟うずらの卵といくら、スティック状にして焼いたサーモンの皮を乗せました。そしてその周りを取り囲むように、イモ科の植物アースジェムの黄色と赤を交互に並べ、色だけでなく様々な食感が楽しめるように工夫しました。 
 採点のポイントは、作業中自分の仕事場をどれだけクリーンに保っているかに始まり、プロセスに間違いはないか、さらに出来上がった料理は客席の前に並べられ、見た目の美しさや味のバランス、食感はもちろん、栄養が偏っていないかなど29項目が8人の審査員によって厳しく審査されます。
 通常、出場者の点数がボードに張り出されてからの表彰となるのですが、私の場合は表彰時間直前の競技だったため、口頭のみの発表となりました。下位のメダルから発表されていきましたが、その中に私の名前は含まれていませんでした。メダル獲得は自信があったので、もしかすると、と期待が胸をかすめたその瞬間、私の名前が呼ばれたのです。同じ部門には有名なシェフも出場していましたが、わずか1点差での優勝でした。舞台に上がっていったときには嬉しくてたまりませんでした。やっと優勝した、これで他の強豪たちと並んだ、そんな思いが込み上げてきました。
 今年ももちろん挑戦するつもりです。近年中には、NZ中の強豪が出場するシェフオブザイヤーズへの挑戦も視野に入れています。

Pontoon立ち上げに参加

 昨年9月、全国でケータリング業務を展開するRelishにスカウトされ、1年ほど前に火事で半焼したレストランPontoonの再建オープンの立ち上げに参加することになりました。外装、内装、スタッフ、メニューをすべて一新してのオープンです。
 そこではキッチンの設計、メニューの考案、業者の手配、食器や鍋類の選定、キッチンスタッフの面接、キッチンのマニュアルづくりにいたるまで担当しました。大変ではありましたが、将来の大きな目標である自分のレストランをオープンさせるときに役に立つであろう貴重な経験となりました。特にレストランのマネージメントなど、ここで学べるスキルは自分の次に目指すものと一致していて、ステップアップの良い機会に恵まれたと思っています。
 目下の目標は、同社でレストランを何件か任せてもらえる立場に立つことです。
 また、本職の合間には個人でのケータリング・サービスも行っています。実業家の方の自宅での接待や会社のパーティーなどで料理をアレンジするのですが、いつもとは勝手が違う場所で料理を作るのはそれだけをとっても変化に満ちていて楽しいものです。また、業者へ電話一本で済ませるレストランでの仕入れと違い、自分の目で新鮮さなど吟味して材料を仕入れたり、一般消費者向けの限られた食材を使ってどのようにメニューを組みたてるかなど、チャレンジ精神がかき立てられます。メニューは予算と好みに応じて相談して決めますが、料理はすべて自分のアイデアで作るので、評価が得られたときの喜びは一際です。将来の可能性を広げるためにも、こうした活動の幅はますます広げていきたいと思っています。
 ニュージーランドは生活様式こそ西欧スタイルですが、世界各国からの移民による影響を多大に受けています。歴史は浅く伝統といえるものが存在しないがゆえにこの国のシェフにはこだわりがなく、ダイナミックで自由な創作性があります。
 今後は油を極力使わない口当たりの軽い料理のスタイルを確立するとともに、そういったNZ人の柔軟な発想に学びたいと思っています。具体的には日本の食材も積極的に取り入れ、西欧料理の中に日本料理の緻密さと細やかさを織りまぜて、皿の上で独自の世界を表現していきたいと思っています。

シェフ:金 浩二 さんと連絡を取りたい、勉強したい、体験したい、資格を取りたい、この分野で仕事をしたいと言う方はイーキューブ留学セクションまで、お問い合わせ下さい。

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