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Kirsten Taylor
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勝亦 秀彰
Whitireia New Zealand
Bachelor of Applied Arts 留学生

大塚ゆかり
National Technology Institute学生 ほか

Vol.15 時代を飾るキウイ -ラグビーチームBluesマネージャ-Sean Fitzpatrick

サンプルイメージ  

 

 

ショーン・フィッツパトリック:Sean Fitzpatrick
オークランド・ブルーズ・マネージャー : Auckland Blues Manager
ラグビーのマネージャーは、ジャージの洗濯をするわけではありません。

ルイ・ヴィトンカップ、アメリカズ・カップとニュージーランドの歴史の1ページを飾るイベントが終わり、まだ、少し夏を感じさせる日々が続く中、早くも今年のラグビーシーズンがスタートした。毎年、ニュージーランドのラグビーシーズンは2月末から10月末まで、日本のように秋、冬だけの短いシーズンではなく、9ヶ月にもわたる実に長いシーズンなのだ。 今年は4年に一度のラグビーワールドカップが10月にオーストラリアで開催される事もあり、シーズン開幕以前から選手はもちろんの事、各チームの監督、コーチも過去にない入念な準備と調整を行ってレベルアップを図って来た。そうする事がニュージーランドのワールドカップでの優勝につながるからだ。 スーパー12の中の一チーム、オークランド・ブルーズにはオールブラックスのプレーヤーとして、そしてキャプテンとして歴史に残る名勝負を戦ったニュージーランド・ラグビーのアイコンが、日の目を見ない裏方のポジションであるチーム・マネージャーとして手腕をふるっている。日本のラグビークラブのマネージャーとは仕事の内容が全く違う、想像を絶するほど忙しいマネージャー職をこなすプロの素顔を紹介しよう。

ラグビーチームBluesマネージャ-Sean Fitzpatrick

1963年オークランド生まれ、オークランド育ち。セイクリッド・ハート・カレッジ卒業。所属クラブはオークランド・ユニバーシティ。ポジションはフッカー。初代表の1986年以来、1997年の引退までに獲得したキャップ(代表チームでプレーした数)は92で、ニュージーランドで最多。オークランド・ブルーズのマネージャーの他、コカ・コーラのPR部門にも勤務。さらに、自らもPR会社を経営し、講演やCM出演などのタレント業も行なう。父親ブライアンもオールブラックスだったラグビー一家に育つ。妻ブラウニーとグレース、エヴァの二女。自叙伝「FRONTING UP」がある。

3つの大会がある長いラグビーシーズン

ニュージーランドのラグビーシーズンは日本のプロ野球シーズンのようなペナントレース争奪の一大会だけではなく、3つの大会がある。
毎年、ニュージーランドのラグビーシーズンは2月末から5月末まで、南半球3ヶ国、ニュージーランドから5チーム、オーストラリアから3チーム、南アフリカから4チームの12の地域代表チームが参加する「スーパー12」で火ぶたが切って落とされます。私がマネージャーをするオークランド・ブルーズはオークランド、ノースハーバー、ノースランドという3つのラグビー地区から代表メンバーを選んだチームです。総当たりで優勝チームを決め、「スーパー12」が終了すると、そこで活躍した選手を中心にオールブラックスが選ばれます。
6、7、8月は「トライ・ネイションズ」という、南半球3ヶ国の代表チームの大会です。ニュージーランドはオールブラックス、オーストラリアはワラビーズ、南アフリカはズプリングボックスと、それぞれ国を代表するチームは愛称を持っています。各チームと2戦づつ、計4戦を行ない、優勝チームを決めます。
その後、8月末から10月末まではニュージーランドの国内選手権「NPC」があります。ニュージーランド国内27の地区代表チームが3つのリーグに分かれて、総当り戦を行ない、各リーグごとに優勝チームを決めます。これでニュージーランドのラグビーシーズンは幕を閉じます。オールブラックスに選ばれたトップレベルの選手は9ヶ月のシーズン中に約30試合を行なう事になります。 
オークランド・ブルーズは「スーパー12」が発足した1996年とその翌年に優勝しました。その後、カンタベリー・クルセーダーズが着実に力をつけ、98、99、00、02年と過去7年間行なわれている「スーパー12」で4回も優勝しています。「スーパー12」で活躍した選手を中心にオールブラックスが選ばれる事になっていますので、昨年までのオールブラックスはカンタベリー・クルセーダーズの選手が多くなっています。
オークランド・ブルーズはしばらく優勝から遠ざかっています。しかしながら、昨年行なわれた国内選手権「NPC」でオークランドは下馬評が低かったにもかかわらず優勝しました。今年のオークランド・ブルーズは「NPC」のオークランドから20人の選手を選び、さらにノースハーバー、ノースランド地区からもいい選手を選んでいますので、過去の数年とは違った、いい結果が残せるのではないかと思っています。ここ数年ニュージーランドのラグビー勢力地図は南島のカンタベリーにありましたが、今年からはまた、北島、オークランドに戻ってくると信じています。

ニュージーランドラグビーのアイコン
初めてのラグビーワールドカップ、アマチュアからプロ化への変革など最近のラグビーの激動期の真っただ中にいた。

ニュージーランドの子供達は5歳からラグビーを始めると言われますが、私もその一人でした。オークランドの3つのクラブを経て、1986年、23歳の時にオールブラックスに選ばれました。私のポジション、フッカーの選手が怪我で出場できなくなりチャンスがまわって来たからです。そして、1987年ニュージーランドとオーストラリア共同開催の第一回ラグビーワールドカップでもキャプテンが怪我で出場できず、フッカーのポジションを私が引き継ぐ事になりました。さらに、1992年にはキャプテン候補が怪我で出場できなくなった為、私がキャプテンを引き継ぐ事になりました。それ以来、1997年のシーズン終了まで計62試合のキャプテンを続け、その後のヨーロッパ遠征の後に引退し、結局キャップ数は92になりました。
その間にはいろんな国へ行きました。1987年には日本に行き、3試合を行ないました。その時にはチームでCMや広告の撮影などを行ないました。日本の文化がニュージーランドとは本当に違っているのに驚いた事を今でも覚えています。
選手生活の中でのハイライトと言えば、1996年に南アフリカ遠征を行ない、ニュージーランドラグビー史上、初めて遠征で3勝1敗で勝ち越して帰って来た事でしょう。オールブラックスはそれまでに何度も南アに遠征に出ていましたが、唯一南アだけには勝ち越せていなかったのです。
また、1996年にかたくなにアマチュアリズムを守り続けていたラグビーがプロ化して、選手や監督、コーチはラグビーに関わる事でお金がもらえるようになりました。それまでは一切金品の授受は認められていなかったのです。ラグビー界にとって晴天の霹靂とも言える事も目の当たりにしました。それまでは、みんなそれぞれ仕事を持っていたのです。プロ化に伴い、選手やチームは講習会で日常生活の気構え、プロとしての自覚、税金対策、契約書の書き方などについて勉強する事が必要になりました。それはラグビーがスポーツ・エンターテイメントとして、世界的なビジネスになる瞬間でした。

引退
どんな一流選手でも引退の時がやってくる。選手生活が長かっただけに、誰もがまだまだ続けられるのではないかと思っていた。

私は初めての代表に選ばれてから、一試合も途切れる事なく63試合に連続出場しました。これが途切れたのは1995年の南アでの第3回ワールドカップ、対日本戦でした。この試合では100点以上の差をつけた楽勝ゲームでした。その後からはまた代表の試合に出続けました。
ライバルの怪我でチャンスをものにしてきましたが、結局私も怪我で1997年に引退する事になりました。その年の国内選手権「NPC」は膝の故障でほとんど出場できず、その後のヨーロッパ遠征でも初めてスターティングメンバーに選ばれず、試合には出ましたが、リザーブとして名を列ねました。
後になって話を聞いたのですが、1999年ウェールズでの第4回ワールドカップでは監督だったジョン・ハートはできれば私をキャプテンとして起用したいと思っていてくれた様でした。ジョン・ハートは1996年にオールブラックスの監督となり、第一回のトライネイションズでの優勝、同年の南ア遠征の勝ち越しをはじめ、オールブラックスの全盛期と言われる一時代を築きました。私はキャプテンとして、引退する1997年までジョン・ハート監督と二人三脚でオールブラックスを引っ張って来たと思っています。とは言っても、膝の怪我をおして1999年まではとても続けられるほどオールブラックスは甘くはありません。次から次へと若い選手がポジションを奪いに来ます。オールブラックスの強さはニュージーランドの選手層の厚さから来ているのです。ですから怪我をしている選手がいる場合、他の選手を起用してもオールブラックスとしてはそれほど戦力が落ちる事はないのです。
それにしても12年間オールブラックスとして出場できたのは自分としても驚くばかりです。ずいぶん耐久性のあった選手だったものです。私と同じ試合でオールブラックスでデビューした選手の息子が、私の引退のきっかけとなるヨーロッパ遠征のメンバーに選ばれるほど、私は長くプレーしていたのです。

選手としての経験をフィールド以外で活かす。
監督やコーチには興味がない。オールブラックスでの経験を活かしたPR業務やタレント業を通して、マネージメント業務を手掛ける。

2000年からオークランド・ブルーズのマネージャーの仕事につきました。日本ではラグビーのマネージャーと言うと、女子マネがやるようなジャージの洗濯、食事作りや雑用などを想像するかもしれませんが、仕事の内容は全く違います。ニュージーランドのマネージャー職は選手達が快適に練習ができるような環境作りをする事務職のプロなのです。たとえば、練習時間の連絡と練習場の確保はもちろんのこと、監督やコーチが練習で必要になる器具や用具を決められた日にち、時間までに用意したり、遠征や合宿になると、移動交通手段や宿泊施設の手配から、レストランやケータリングの予約まであらゆる業務を行ないます。大切な試合の前には余裕を持って競技場に到着できるように、通る道をあらかじめチェックしておいたり、宿泊施設に事前に泊まって食事内容、ベッドの快適度や騒音がないかなどを確認したりする事もあります。成功するスポーツチームには必ず、優れたマネージャーがいます。過去には元空軍特殊部隊指揮官、国連軍東ティモール作戦司令官がオールブラックスのマネージャーとして手腕をふるっていたという事もあったくらいです。この仕事を始めて3シーズン目になりますが、この仕事の経験を積めば積むほど、いつも先を読み、何がいつ必要なのかを感じ取る感性が磨かれてくるのを感じています。
ブルーズのマネージャー職は「スーパー12」が開幕する前から始まります。年間約6ヶ月間この仕事を行い、その他はアマチュア時代から勤務しているコカ・コーラでPRを担当しています。メディアへの対応、消費者の間でコカ・コーラ製品がどう受け止められているかの調査などを行ないます。
さらに、ショーン・フィッツパトリック自身をPRする「KATIKA」という会社を経営しています。イベントでのスピーチ、広告やテレビCMへの出演などをこの会社が行ないます。今までにはオークランド空港、カンタス航空、最近では設立されたばかりのインターネット銀行SUPERBANKのテレビCMに出演しています。
なぜ、選手時代の経験を活かして、監督やコーチにならないのかと聞かれます。それは、ニュージーランドには監督やコーチは私よりも適任の人がたくさんいると感じいているからなのです。また、私はラグビー周辺のものに興味があるからです。ラグビーのプロ化の際、キャプテンだった私が最初にニュージーランドラグビー協会と契約を交わしました。ラグビーへの取り組みはアマチュアの時でもプロ化してもほとんど変わった事はなかったのですが、契約書一つでお金が入って来たのです。アマチュア時代からのコカ・コーラでのPR業務の契約書、CM出演の契約書など、書類一枚が左右するプロのマネージメント業のやり甲斐を実感できるようになって来ているからです。将来は自分だけではなく、他のラグビータレントのマネージメントも手掛けたいと思っています。オークランド・ブルーズのマネージャーの仕事も将来の布石となるはずです。

まず、スタジアムへ
ラグビーはルールが複雑なため、観ていても分からない事が多いと言われる。しかし、それは昔の話。

ラグビーがプロ化された1996年に「スーパー12」と「トライ・ネイションズ」が始まりました。選手や監督に報酬を出さなければいけませんので、入場料収入を確保する事が急務となりました。観客を増やすためには、ラグビーのルールを簡素化し、ボールゲームとしてエンターテイメント性を高めたのです。それまでラグビーは反則があるとその場でゲームが止められる、遅々としたスポーツだったのですが、今はプレーが継続され、どんどんボールが回され攻守交代の激しい、楽しめるボールゲームに変貌を遂げています。また、花火を上げたり、アトラクションを企画して試合をショーとして演出する事も常識になって来ています。オークランド・ブルーズがイーデンパークで行なうホームゲームでは、スカイシティ・チアガールズが日ごろの練習の成果を披露します。ですから、ルールを知らなくても今のラグビーは十分楽しめるのです。
私が現役でプレーしている頃は、オークランドがニュージーランド・ラグビーの中心地でした。しかし、1998年に南島のカンタベリーにその覇権を取られて以来、観客数が減少していました。無理もありません、勝てなくなっていましたので。しかし、これからは違ってくると思います。今シーズンはオークランド・ブルーズが優勝すると予想する解説者も多くいるのです。今ではスター選手も増えて来ています。彼らは10月のラグビー・ワールドカップで必ずやオールブラックスに選ばれるに違いありません。
ワールドカップでは先日のアメリカズ・カップ以上の盛り上がりを見せると思います。ニュージーランドは何を隠そう、ラグビーが国技の国なのですから。

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